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ココロがただの子供なら、庇護する大人に縋れば幸せになれたのだろうか。それとも、もっと賢ければ、正しい答えが出たろうか。
ベータの手を見て、ココロは静かに首を横に振った。彼が憎いわけではない、逃げたくないわけでも。

「れっちゃんをおいてけない」

母であり父であり、たった一人の家族。血の繋がりはなくとも長く生を共にしたかの人を、如何してこんな酷いところに置いていけようか。
怪我だってしているのだ。酷く苦しげなのだ。なんとかしてやらねばならない、どうすれば良いのか皆目見当のつかない幼子であろうとも。

「……そうか、そうだよな。ああ、そうだ」

ゆらりと立ち上がったベータは、その答えに笑った。自重篭ったその上擦った声に、周囲は男の雰囲気に気圧されて動けない。
ヘイスも止めれば良いのに、むしろ止めるべき役柄なのに、ただ成り行きを見つめている。酷く楽しげに。指示の一つも出さずにいるので、痛みに咳き込んで指示を下し損ねているエカトは、睨むばかりだ。

「いつもそうだよなァ、俺。

なにしたって選ばれない」

ベータは今、この中で一番いや、『唯一』自由だった。
デルタのように主人に縛られず、アルファやガンマのように無駄に反発して怪我を負ってもいない。
それは別になんとも思っていなかったとかではない。単純に仲間割れしていくのを眺めているのが最善だと思っていただけだ。そう、自分の計画の上で。

俯いて倒れ込む女の髪をひっぱって、持ち上げる。烈火と呼ばれたあの記録の中のリザードンと同じ名前をした、ココロの親代わりの体を抱えて、盾のようにして陣取った。
ひゅ、と少女が息を呑んだのが見える。涙を堪えて、怒りと悲しみと困惑の入り混じった瞳がベータただ一人に向けられる。

(そうだ、その目だ!)

ベータは今、叫びだしたくなるくらいの幸福が胸の内に広がっているのを感じ、奥歯をかみしめた。
誰かに見ていてほしかった。自分を求めて欲しかった。あの男の様に、美しさや優しさなどと言う盲目的な殻をかぶせた偽物の自分ではない。この醜くて貪欲な己を、ほかならぬ主と同じ顔をした、このか弱い娘に。
ココロは己を受け止めたアルファの腕から飛び出して、烈火を盾に取るベータに飛びかかる。エカトにされた様に殴られる可能性などみじんも頭に浮かばない。それくらい、頭に血が上っていたのだろう。
それは、ベータにとっては目的を達成するに最も大事なファクターだ。

「テメッ…!」
「遅エんだよ」

半分死にかけているようなガンマが、もし生きていたならこの行動は止められていた。アルファがココロを庇っていなければ、もっと素早く動けたろう。エカトも二人に感けていなければ、今の今まで地べたを這っていなくても済んだ。或いは、ヘイスをもっと上手く誘導できたなら、結果は変わっていたのだろう。
だから、唯一主に後ろ髪を引かれながらも、現状のベータの可笑しさに気が付いたデルタが飛びついたが同時に、


「ッ…クソが!」


四人の姿はすっかり、エカト達の前から消えていた。


「ッ…!ベータたちを探せ!ゲホッ…ゲホッ!」
「エカト、落ち着いて。骨が突き抜けているよ」
「やっかましいッ!第一テメーがッ…おえッ…!」
「どうどう。
いやあ、小型のテレポート装置か。一体どこの誰からあんな特異な物を?」

エカトの怒鳴り声に部屋にいる者たちが慌てて飛び出す。どこにいるともわからないが、ポーズだけでも取っておかねば、男の怒りが自分たちに向かないとも限らない。
そんな隊長格の憤慨とは真逆に、ヘイスの落ち着いた声は壁を背にして座り込むしかない、怪我を負ったアルファに向けられていた。
お前の部下だろ、と。何をしたかくらい把握しているだろう、と。
アルファは流血した背を庇いながら立ち上がり、自分より幾分か長身のヘイスを睨むように見つめてから、恐らく、と前述してから口を開く。

「巨人族に出会った際、ベータは何かを受け取っていた。恐らくアレだろう」
「なぜ確認しなかったのか、聞いても?」
「…我々は厳密には最早主人の手持ちではない。故に本来、すでに隊長と部下でもない。
ベータはそのことにいち早く気がついていた。問い詰めても、応えなかっただろう」

死んだ人が作った、もう終わったピラミッドの作り。瓦解していながら、その枠に無理やりハマろうとしているのは、皆一時代が既に終わったことを認めたくないからだろう。
アルファも、求められるまま振舞ったが、これに意味があったのかどうかは正直、分からない。

「ッ…アア゛ア゛ァァ!!!」

痛みに呻きながらも立ち上がり、その拳をアルファに打ち付ける。あまりのエカトの形相に、周囲に居た者たちは震えあがりながら挙動不審にもなるが、殴られた当人は口の端から血を流しながらも酷く冷静な瞳で暴走している男を他人事のように眺めた。

「もう少し冷静になれ。お前は昔から、頭に血が昇りやすすぎる」

静かな口調の労いすら感じる声に、エカトが目の前の男を酷く打ち据えようとするのは当然の判断で。誰しもがその恐ろしく、血生臭い様子から目を反らしていた。
この先、主のいないこの烏合の衆の結末は、目の前のアルファという男が沈む血の海なのではないかと、誰もが感じざるを得なかったので。
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