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※若干グロ注意


酷い脂汗が、額をにじませた。
妙に熱くて、苦しくて、鼻につくガスの臭いに漸く体が拒否反応を出しているのだと察した。

「お゛ぇェ……」

脳のどこかでこれが現実ではない、そう理解していても、デルタは動けないままだ。
恐ろしい、あの冷たい箱庭に閉じ込められ、首を締めあげられ、オモチャの様に体をいじくられ、解体され、尊厳を踏みにじられる、あの…感覚は。

「う、あぁ…ああっ!いやだ!いやだあ!離せ!死ね!死ね死ね死ねっ!しねえ!!」

嘔吐しながらそう叫び、怒りのままに無意味に地面に頭を打ち付ける。
痛みよりも不快感が勝る。生きている。空気を吸っている。体中の血管の中を、小さな虫が我が物顔で這いまわるような、そんな怖気。

「死ね…しね、しねよ…しんで、死んでよ…!」

あがる息、詰まる喉、剥がれてゆく爪と皮。
自分の立ち位置がわからなくなる感覚。浮遊感。快楽。嘲り。痛み、痛み、痛み。
痛み。

「あ、う…ううああっ!あ゛ーっ!」
「フン!」
「ギャ」

首を掻きむしり始めたデルタの腹にむけて、思い切り拳を叩き込む。潰れたような声に合わせて、白目を向いたデルタをみて、首を掻き切る前に意識を失ってくれて良かったと安心した。
のたうち、暴れ回るデルタとは反対に、ベータの方は、おそらく何かが見えているのだろうが、恐怖や怒りの念は湧いておらず。
なにやら、ただ気が抜けたように空中を眺めてぼうっとして立ち尽くしていた。

「…歩けるか?」

アルファがそう問うと、彼はそれに対して頷きはしなかったが、意識はあるのか視線だけはきちんと向けて、袖を引かれる方へと歩いた。
アルファ自分より大柄な男を背中と、背後において、霧と幻覚作用のある煙の間とを、方向もわからぬまま確かに進む。

(クソ、足がぐらついてきた…ガンマの言う通りになりそうだ…!)

危険は承知で此処にきた。
しかして、共倒れになるのは困る。自分がどうなったとしても、部下達だけは助けなければ。
…これ以上、誰も失いたくは無い。



『おねがい、一緒に…』

「!!」

響いた声は、忘れもしない。いや、忘れられるものでは無い。
生唾を飲み込んで振りむきかけた顔を必死に正面に戻して、正常であろうとする。しかし、正常であろうとすること自体が、今自分が狼狽している証では無いだろうか。
無意識に握りしめた拳が、眉間によった皺が、その証左だ。

『ねえ、どうして?私の事、嫌いになった?』

振り向くことは無い。
幻でも、もしも本物だったとしても。後髪引かれて足を止めて、今此処にいる部下を助けられなければ一生後悔する。

(けれどあの時、彼女はどんな顔をして泣いたのだろうか)

平穏の度に思い返してしまう感情に蓋をして、アルファは前進する。背後から忍び寄る影に、気がつくことも無く。



「ねえ、ガンマくん!アルファくんたちをたすけなきゃ!」
「勿論助けるけど!ゴメン、話どころじゃ無いから後でッ…と!」

霧に任せて何もしてこないほど悠長に構えてくれる者はいない。
少なくとも、ガンマが仕えて来た主はそういった『最後の一押し』は念入りにするタイプだった。その息がかかっている身内共が、こうしてガスマスクを着用して此方に人数で押しつぶすように畳みかけてくるのは当然の思考の帰結である。

「子供を置いて投降しろ!ガンマ!」

先頭に立つ男が、物騒な武器を構えてそう吠える。
マスクでくぐもった声であるが、圧倒的優位に悦の色を押さえ切れていない。こう言う奴ほど、主は重用する。上昇志向が強ければ強いほど、地位に縋るような者であればあるほど、扱いやすいからだ。

「ア゛?テメエが俺に命令すンなよ」

命令は、自分が認めた相手以外からは受けない。
ガンマにとってはそれは、自分を助けたシスターであり、権利のある主であり、今はリーダーであるアルファだ。それ以外からの命令はただのノイズにしかならない。
メットをかぶっていようが、人間のような武器を持って居ようが関係は無い。単純に、今此処で無意味な命令を下そうとした身の程知らずを殺す。
ガンマの脳はそういう風に一瞬にして切り替わった。

「おおっと、おいたはいけないよ」

男の喉仏めがけて踏み抜かれたガンマの足は、前に出てきた一人の男によって咄嗟に防がれた。
いくらガスマスクをつけていようが、それが誰かは身内だからこそ良くわかる。現状の立場は正直、最悪だ。

「身内同士で傷つけあってどうするの。
ラブ&ピース、平和的解決が一番だよね。
ん?お嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「は、はひ…!」

少女の額につけられたハンドガンは、ポケモンなら脅威になり得ないものだが、柔らかな頭蓋ならば簡単に砕いてしまうだろう。
こいつらの目的がココロだとするなら、殺される可能性は低いが、それでも天秤にのる命は一つ。ガンマは不機嫌そうに眉をしかめて、小さく舌打ちするとココロを抱えていない空いた左手を抵抗の意思はないと示すために大人しく上げた。
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