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「バーッカじゃないのお!?」
「あう…」

海を泳ぐデルタは、一度無線で仲間に連絡した後、下半身だけを器用に戻して、ゆっくりと前進する。
すっかり暗くなり月が登り始めた宵闇の海は、夜空を写して時折煌めくが、その水温の冷たさは人が何分も入っていられるものではない。幼子なら尚更のこと。
デルタは水面スレスレでココロを抱き上げたまま、自らの防水コートでおくるみのように包んで夜風から守る。
暴言に近い言葉も、怒りに濡れた拳も見たが、今こうしてココロを抱き上げる優しい腕も確かに彼の一面である。だからこそ、ココロはこのデルタという男と“仲直り”したいと思うのだろう。

「何で知らない奴に着いていくかなァー!?もっと周りの奴に助けてコール出せや!
そしたらもっと早くに…」
「デルタちゃん、みてたの?」
「見てたわ!呑気に買い物なんてしやがって、心配してた僕がバッカみたいじゃないか!」

ミサンガ作りに精を出し、ニコニコしながら話して抱っこされ、随分仲のよろしいこと。デルタはもしも浜辺で彼女が「帰る」と言わねば置いて行くところであった。
迎えにきた手前、ついでに謝ろうと思っていたのだが、その気持ちが今やすっかり消えている。なんなら、泣きべそかけばいいと思っていたが、腕の中のココロはニコニコ、否…妙にニヤニヤしていた。

「…ンだよ」
「しんぱい、してくれたんだ」
「…は?してないですけど?」
「うそ!さっきしんぱいしてたっていった!」
「してません〜!言葉のアヤです〜ッ!」

腹立つ、と眉を釣り上げても、ココロはケラケラ笑うだけだ。何て図太いガキだろうか。

そうぼんやり考えて、はたと気がつく。結ばった糸がするりと解けるような感覚だ。
いや、この子供はいつだって、デルタの抑えようの無い癇癪を受け止めていた。恐ろしくなることもあったろうに、避ける事さえしなかった。自分より大きな相手の怒鳴り声など、おっかないに決まっているのに。
見世物小屋の様な、あの狭い部屋の中に押し込められて死にたくなった自分は、鞭を取る男と同じことをこの娘にしたのだ。
意識的にせよ、無意識的にせよ、なりたくなかったはずの加害者と自分は今、近しい所に立っている。
その事実に怖気がした。

「…今更になって、同じことしてるって気が付くの、バカかよ」
「? うん?」

不思議そうな顔で見上げる少女の彼によく似た無垢な瞳は、ガラス玉のようにこちらを映した。なんて間抜けなツラだろう。
不安に揺れる自分の顔は、酷く滑稽だった。
嫌われるかも、なんて事実は今更どうにもならない事なのに。

「……だから、なんて言うか…僕は、僕が」
「…あっ!待って!」
「何だよ!」

せっかく謝ろうとしてたのに、と言いかけて直ぐに閉口する。
少女がゴソゴソと自分の服のポケットから取り出した色に、驚いたからだ。見知ったその三色は白、紺碧、水色。
言われなくたってウオチルドンの体色カラーと理解できる。勿論、デルタは彼女に元の姿を見せたことはないが、服の配色は元の体とほぼほぼ同じだ。
そう考えると、人の形を模してみても、結局己は化け物であると言う事実からは逃れられないとも思う。

「あのね、プレゼント!」
「…なん、え?今の流れで?」
「? なかよくしたいひとにね、あげるのよ。
ミサンガ、これね〜ココロもおそろい!」
「あ……そう……へー」

遠巻きに見ていたのでミサンガを作っていたのは知っている。
あの二体のポケモン…原型はわからないが、明らかに強さの段階が一二段階違うだろう相手なのは確かな奴らにも、くれてやっていたのを見ていた。

「みんなの分もあるの?」
「ううん、ココロとデルタくんのだけよ。
テンニーンくんとフォラーズくんは、ストラップだから、べつっこ!」
「……ふうん」

手渡されたそれを指先ですくって、眺める。安っぽい出店品だ。手作りだけあって作りも甘い。
そう思いつつも口には出さずに、ゴム紐でできたそれを手首につける。ココロがそれを見て、「おそろい」といったもう一つ同じカラーのゴムは、当然彼女の手の中にある。

(何さ、こんなんで僕のご機嫌取りしようっての)

そんなに安い男じゃ無いんだから、と心の中で思うのに、誰かからの贈り物…それこそ、自分のための贈り物なんてきっと初めてで。
多分そこらのコンビニで買ったガムだったとしても、己のために買ってくれたと言う事実が嬉しくなってしまうくらいには、デルタの愛への執着は強く、そして飢えてもいた。

「あのね、あのね…だからね、これはなかよしのしるしだから……」
「…うん」
「な、なかなおり、し、…してほしい、の…っ!」

とうとう耐えきれず、決壊した涙がぼろぼろとデルタの袖を濡らした。別に今更塩水で濡れたところで何とも無い。
海の水と違って、熱くて、なんだかキラキラしている。そんな特別なものだから、デルタの頭の中にある意地悪な気持ちさえ雪ぎ落としてしまったらしかった。

「なんっ……もー!泣くことないだろーが!」
「ご、ごめ、ごめ…っ!」
「謝んなよ、怒ってんじゃないから。
僕こそ、だから、なんかその…悪かったし……つか別に仲違いしてた訳じゃないし…っ!」

勝手に主人を投影して、勝手に主人と違うことに怒って、そして、勝手に仲間が遠くに行った様に思えて悲しかっただけだ。
デルタには何のつながりもないから。自分を見出してくれた主人がいなくなった自分は、何者でもないから。

「僕は、主人のことが一番大事だよ。それは多分変わらないし、時々癇癪も起こす…かもしれない。
でも今回のことで、流石に僕でもわかることはあったよ」
「? なに?」
「ココロはココロだった。
主人じゃないし主人の代わりはいない。それと同じで、お前の代わりもないし、お前はお前でしかない。
……ちゃんとした意味でそれを理解するのは結構、時間かかったけどさ」

ココロは泣きべそかいていた目を大きく開いて、はくはくと口を開閉しながら何といったらいいかわからず視線をあちこちに彷徨わせる。

「わ、え…わたし、のかわりは…」
「いないだろ」
「でも」
「いないの」

それが普通なんだから、と。
デルタが空を見上げる。遠くから見れば同じ様に輝く星でも、その星の代わりになるものは無い。
デルタは彼女が何故、自分を恐るべきはずなのに近づこうとするのかようやく分かった。

(互いに、似たもの同士だった訳だ)

拠り所がなく、自分の存在が不安定で、どうしたらいいかわからない。
だから二人に共通していたのは、不安だった。同調意識、似た者同士だからこその親近感。
ココロが感じていたのはそれで、デルタが感じていたのもそれを発端とした同族嫌悪である。

「あのね、デルタくん、わたし……」
「帰ろ」
「……え?」
「ずっと水の中に居る気?僕さむーい」

二度も同じことを言わせる気は無いのだ。
彼女が自分は偽物で、たとえ主の代わりに作られた何者かであっても、デルタはもう構わなかった。
腕の中に居る小さな子供は、確かに自分の居場所を作ろうと足掻いている。たったそれだけの、きっと誰にでもわかる事実が、浅慮な己の視界にも漸く入ったというだけで。

「ありがと…デルタちゃん…」
「なにさ、それって」

僕の台詞なんじゃないの、と言いかけた言葉は、切ったはずの無線から聞こえたガンマのクシャミで引っ込んでしまった。
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