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「何者にもなれない、お前はお前だからだ」

誰もが言い淀むだろう問いに、アルファはあっけなくそう答えた。静かに流れていた静寂と、冷たい空気は、その一瞬で一気に霧散したように思えた。

「…ココロは、だって、あるじさんのかわりだから」
「違う。ココロはココロだ。あの人ではない。
あの人の代わりになるように生まれて来たとしても、あの人の代わりには決してなれない。
俺にも、他の誰にも」

そしてそれは、君にも適用される事だ。
人が人であるように、ポケモンが人型になっても人にはならないように、誰も同じにはなり得ない。どれほど悲しみ、苦しんでも、自分は自分にしかなり得ないと言うのは、残酷な事実でもあるように思う。

「じゃあ、…じゃあ、わたし、なんのためにうまれたの?」
「生まれた理由が生まれたときから決まっている者は少ないだろう。これから見つけていくしかないことだ」

そっけなく思える返答は、女の寄り添ってほしいと思う気持ちとは真逆をいくだろう。紳士的とは思えない、オブラートの存在を知らないような返答だが、少女は腰掛けたまま宙ぶらりんになった足を揺らして、彼の言葉を懸命に咀嚼して頷く。

「みつかるかな」
「どうだろうな。そんなものが見つからなくとも、人は生きていける」
「…アルファくんには、あるの?」

生まれた理由、と。
探している途中か、諦めたのか、それとも最初から持っていたのか。少女は自らの指針を定めるより前に、先人の知恵を拝借しようとしたらしい。そつない娘だと今更ながらに感心する。

「俺はそれを、未だ示している最中だ」
「そっか」
「ああ」

そして、それは近い将来に叶うだろうと言う、明確な意思を持った瞳が幼い娘に向けられた。ココロがいつもアルファに対して彼の瞳をまっすぐ見つめていたいと思うのは、いつも迷うことなく何処か遠い場所を、その意味と意義を見出して目指していると思うからだ。

(まっくろなひとみは、つきのないふゆのよぞらみたい)

則ち、憧れである。
比較的小柄でどっしりとした、例えるなら戦車のような安定感を持つ目の前の男は、ココロの目指す所に一足早く踏み入っていた。
ただその道は決してなだらかな道ではなく、寧ろ今いる場所よりもずっと荒地のようで、歩みに痛みを伴うようにも思えた。それを自らの意思で前進し続けるのは、どれだけの気力だろうか。
傷付かぬはずはないのに、なんともないような顔をして眉間に皺を寄せる様が、妙にココロの胸の奥を重たくするのだ。

「くるしみがあるのに、アルファくんはどうしてすすめるの」

ココロのただただ不思議そうな問いは、男の表情を静かに変化させた。少しだけ顔を伏せ、黒々とした瞳が一瞬だけ揺れる。

「苦しみこそが、俺の糧だ。
…お前には、そんなことを知ってほしくはないが」
「どうして?」
「ココロ、険しい道を歩むことが誇れるとは限らないものだ」
「…それじゃ、よくわかんないよ」
「そうだな」

これは俺のエゴだ。
幸せになってほしいなどと言う、俺の。

微かな音になったその小さな願いは、静寂の中でも拾う者は存在しなかったが、ただ、その祈りだけが残った。



「…なんだよ、僕にあんなの聞かせたかったのかよ」

“目を覚ましていた”デルタは、話の最中にどんどんと眠りを深くしていったココロと入れ替わるように、後ろの席から前のめりになって、アルファの座る椅子の背もたれに肘を引っ掛けた。

「そうだ。この子は、大人びている、いや…大人にならざるを得なかった。
けれど本質はまだ幼い、お前の内心が危惧する主人の席に座る事など、考えてもいない」
「わーってるよ!何もこんな遠回しに言わなくてもいいだろって話!」
「お前にこんなことを直接言ったところで、納得するか?」
「…そりゃ、」

しない、かも。
デルタ自身、己の火がついた際の視野の狭さに関しては思うところがある。存外、よく自分を省みるタイプであったので。
ただ人間もそうだが、直したいと思った所が少し意識しただけで直るなら、苦労はないのである。

「…あの子に、悪いことした、……かも」
「かもじゃない」
「悪いこと、…しましたァ〜…」
「よし」

軽く頭を叩いて、アルファは立ち上がる。眠る少女を腕に抱きかかえて、最初に出会ったときよりもほんの少し重く感じる感覚に身が引き締まる。この重さこそが、預かる命の重さなのだと理解しているからだ。

「…ちょ、あの、これ言わせたかっただけ?」
「謝罪のタイミングは好きにしろ」
「それは投げんのかよ…」

最後まで見てくれないわけ、と追って文句を言うデルタの背中を叩く。
それぐらいは自分で考えろと喝を入れるまでもなく、デルタはそのことを理解して、雨音に紛れて大きな大きなため息をついた。
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