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(…くだんねェ)

時折こんな風に昔の夢を見て、そうして飛び起きる。
それでも、彼の死に顔を初めて見た時から比べれば夢の頻度は日に日に減っているし、一度名乗られた名前を呼びもしなかったから欠片も覚えてすらいない。
覚えているのは、彼の声と、顔と、タバコの臭いだけ。愛でも、ましてや恋でもない、単純な置いていかれたと言う寂しさだけでできた感情はベータをいつも惨めにさせた。
彼の心に応えきれなかった自分自身にも、酷く苛立つ。

「…愛って何だよ」

愛されたら愛し返すのが普通なのか、彼からの言葉を受け止めきれなかった自分自身はおかしいのか。思うのはそればかりだ。
死体を見て狼狽えたベータに、アルファはいつだかこの答えを返してくれた。

『愛は、…恐らく、見返りのないものではないか、と思う』
『相手がどう思おうと優しくしたいと思うのは、確かにお前が言う通り、独りよがりなモノなのかもな』

それはベータに納得をもたらすものでは無く、ただ彼自身の心には確かにその愛を抱いたことがある口ぶりでもあった。

彼は殺された、敬愛すべき主人に殺されたのだ。
何度も何度も刺されても、抵抗せずに人間の小娘に刺されて死んだのだ。それは確かに彼の愛だった。
新婚のポケモンと人の夫婦は、花嫁の暴走によって破局を迎えた。破局といっても、女はトレーナー資格を失って、手持ちたちはそれぞれ別のブリーダーに預けられたというから、自然消滅に近いだろう。

『あの子はね、私を愛してるっていっていたの。皆もよ。
私を一番に愛してるって言ったのに、結婚してもそれは変わらないはずなのに。
ねえなんでかしら、あの子、どうして私を一番にしなくなったのかしら』

捕まった女の譫言は、ベータの背筋を凍らせた。女の勘とは恐ろしく、愛とは独りよがりで、婚姻の誓いなど形だけ。
女の話を聞いた主人は楽しそうに笑った。女を見て哀れんだのではない、ただ、ベータの瞳にある絶望の色を見て喜色ばんだのだ。

『可哀想に、人の形をしているから、人のように扱われると思ったのだなあ。
トレーナーはね、良くも悪くも自分を一番に愛するポケモンを愛してるんだよ。自分では無い誰かのことを一番に愛してしまったポケモンは、汚くて目障りに見えるのさ』

それは愛なのか、と。ええ愛とは醜いもの、物欲ですわ。
主人の言葉は乾いた土に水が染み込むより自然に、ベータの心に沈む。理解できた、主人を今一番に愛してはいない自分が、彼に愛されてはいない理由も。

『ポケモンってのは道具さ、物さ。俺はね、強くて命令を聞く道具なら大事に大事に扱うよ。
他の臭いがする事を、まるで咎めもしない。
よかったなあ、お前の主は寛大だ』

彼の言う物というのは、正しくて。
女は手持ちを殺したのに、半年も経たずに牢屋から出た。金で釈放されたし、その金も二束三文。つまり彼の命はその程度なのだ。では、我々の命はそれ以下か?

『殺人では無いよ、相手はポケモンなのだから。器物破損さ、しかも自分のモノなら尚更早い。
気をつけなさいよって事で、女もすぐ出てくるに決まってるよ。
それは仕方ない事なのさ、ベータ。

ああ、可哀想に!そんなに辛いのかい』

ポケモンが意思を持って人を殺したなら、そのポケモンは殺される。危険だからだ、恐ろしいからだ。
だが、人がポケモンを殺しても、法はそれを咎めはしない。なら、やることは一つで。

(………気持ち悪い)

狭い洗面台の前で、目を覚ますために濡らした顔は、血濡れて赤くは無いだろうか。時折見るこの幻覚は、決して思い込みなんかじゃ無い。
己という生き物は望まれていない、この世界にいてもいなくてもいい、そんな生き物だ。
鏡越しに見た自分の青ざめた顔は、少し引き攣っていた。雪は止まない。
寒い。ああ、…寒い、凍えそうだ。

「ベータくん」
「!」

つい、と裾を引かれて、振り返る。
娘の小さな手は迷いなくベータのズボンの裾を掴んで、透き通った瞳を向けていた。純粋さを宿したそれはいつ見ても恐ろしく、ベータを咎めている様に見える。
誰もが陽の光を求め手を伸ばすわけではない。寧ろ、その熱さから逃れる様に背を向ける者も居るだろう。彼もそのうちの一人だった。

「止めろ、俺に構うな」
「うそつき」
「なにが」
「さみしいっていってるのに、どうしてかまうなっていうの」

彼女からしてみれば、言葉よりも雄弁に寂しさと悲しさと、それに入り混じった恐怖心に苛まれた存在が、差し伸べた手を反射的に払う様はとても不可思議に見えていた。
ただの意固地なら分かりやすかったが、男のそれは伸ばされた手そのものを恐怖していたから。
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