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男はあの日以来、度々ベータと食事に行きたがった。
最初のうちは「あれが最後だ」とすげなく断っていたものの、何度拒否してもめげずに誘ってくる男に最早呆れを通り越して恐怖すら湧いてきたものだった。
待ち伏せする場所は変わらずなので、道さえ変えればいい。しかし、何故自分が相手のために道を変えるのだと思うと腹立たしく、結局待ち伏せしている相手が勢い任せに妙なことをしでかす前に釘を刺し、これで最後と告げてそれを承諾させてから二度目の食事を承諾した。

「ベータさんはお優しい方ですね」
「は?」

降って湧いた男の言葉に暫し意味を考えてしまうくらいには困惑して、ベータは食べていた食事の端を口元から零してポカンと大口を空けてしまった。
本当にそれくらいに、彼の言葉は理解できずに右の耳から入って左の耳に通り抜けるような不思議な感覚である。『オヤサシイカタデスネ』とは海外の言葉か?或いは何かしらの隠語か。皮肉か。
無言のまま呆けているベータに、青年は穏やかな笑みを崩さずに品よくクスクスと口元に手を当てて微笑む。馬鹿しているとは思えない、慈母の如き笑みである。

「いえ、あんなに嫌そうにされていたのに、私とまた食事に来てくださったから」
「………これで手切れだ」
「ええ、最後です」

約束した以上は、と。
寂しげに言われると、こちらが悪い気がしてくる。善悪で言うならばこちらが悪人の部類であるし、見た目からして好青年の相手と向かい合っているとああなんとも、よく磨かれた鏡を覗き込む気分だ。
相手が美しく濁りなく、研ぎ澄まされていればいるほど、自らの立ち位置がどれほどに穢れていて醜悪であるかを突きつけられている。それがただの思い込みであっても、だ。

(早く、あの薄暗い部屋に戻ろう…)

美味い食事でも、高価な店でも、心持一つで味の有無など意味をなさなくなるものだ。砂を噛むような心持で食事を続けるベータに、男は静かに言葉を続ける。嫌われている、避けられている、それを察して尚会話を続けるつもりであるらしいことを理解して、ベータの視線は剣呑になる。なるほど、随分と厚い面の皮だ。

「最後なのでしょう。少しだけ、相談に乗っていただけませんか」
「相談?俺が貴方のような小奇麗なお方にとって、有益な情報を持っているとはとっても思えませんがねェ」
「そうおっしゃらず。…本当に、相談する相手が貴方しかいないのです」

空いている手を両手で包み込むようにとられ、じわと鳥肌が立つ。男に触られたからではない、手のひらまでもが艶やかで妙に色っぽく、美しい男とはどこまでも美しいのだとわかった瞬間、自分の存在そのものの否定を勝手に感じただけだ。いわばただの劣等感である。
瞳の色までもが透き通った宝石のような輝きを持っているのが……ああ、憎らしい。

(俺はどこまでもがらんどうなのに)

持つ者、持たざる者。その差は致し方ないもの。
なんたって、平等と言うのは幸福なものが考えなしに放つただの甘い妄想でしかないのだ。



虚しさはそのまま、男は話をする。なんてことない話だった。
彼はトレーナーの女の手持ちらしい、随分長い事連れ添ってきたそうだが彼女も婚約をすると言う。まあまったく、それはまあなんとも素晴らしい事である。
が、問題はその相手がまた手持ちの内の一人で、つまるところチーム内での纏まりの全てがトレーナーの女に向かった恋心で収束されていたものが、すっかりバラバラになってしまったことに起因するのだ。

「私も勿論、彼女の事を真剣に愛していました。けれど、選ばれなかったのだからそれは仕方が無い事です。
…しかし、割り切れる者もいれば、割り切れない者もいる」
「当然だ」
「……チームは、ほぼ解散状態で。彼女もトレーナーとしては…もう」
「色に縛られて組んだのなら、その縄が切れりゃ四方八方。当たり前の事でしょうが」
「ハハ…手厳しい」

つまり、トレーナーとしての稼ぎが殆ど無くなり、チーム半解散状態。彼自身は彼女の結婚応援のため、バトル以外の方法で金を稼ごうと危険を伴うバイトをしたわけである。

「ハハア、成程それで危険を承知であの仕事を。…アンタ阿呆ですな」
「えッ!?」
「阿呆でしょうが。
自分の女ならいざ知らず、いずれ手から離れるとすっかり決まっている女のために何故命を懸けるのか。
半分自殺ですな、馬鹿馬鹿しくて腹がよじれますわ。あーあほらし」
「そ、そこまで…」

ベータからすればただの笑い話に過ぎないが、当人たちは大真面目であるのは理解できた。それに、色恋の拗れとは想像より生き物の頭を馬鹿にするものでもある。
だからハニートラップやら美人局が存在するし、戦略としても機能する訳であるから、生き物の性とは抗えぬものだ。

「まあ、貴方の言う通り私は、馬鹿な事をしたのでしょう。
…それでも、彼女とその友人のためなら、命をかけられると本気で思ったんです」
「それで?」
「ベータさんのおかげで、お金は集まって、二人は婚約しました。
他の仲間たちも、その、……戻ってきてくれて」
「…如何にも聞いて欲しそうな言い淀みだなァ、オイ」

眉間にシワを刻み、苦々しげに告げる男の言葉選びはオブラートを何十枚も重ねたようなものであったが、有体に言えば不貞の話である。女は手持ちたちを繋ぎ止める為に、つまり自分を使ったのだ。それは最早最初仲間にした時と同じように、言葉だけ心だけとはいかぬだろう。
淡い恋心が大人になって肥大化し、欲が出て、それに色がつくとなれば、男と女の終着点は悲しくも同じなのだ。
吐き気を抑えるように口元に手をやる男は、話し合える頃にはすっかり蒼白な顔であった。

「私は、その時、それを知った時…なんと穢らわしいのかと、そう思ってしまいました。
あんなに愛した人なのに、大切に思った人なのに…」
「そりゃあアンタが熱に浮かされて、勝手に夢見心地だっただけのこと。
その夢が覚め現実に戻れば、相手の悪いところもフィルターなしに見えて来るもんですわ」

恋は盲目とは言うが、盲目というそれに関しては恋だけではない。家族愛、友情、尊敬、憧れ、信頼、嫌悪感、憎しみ、悲しみ、世間の評価、エトセトラエトセトラ…好悪に関わらずそれらは全て生き物の目を曇らせる。

「私の恋心も、全て浮かれた脳が導き出した、哀れな妄想でしょうか」
「それはアンタが決めれば宜しいでしょう。昔のことすらただの気の迷いか、それとも百年の恋も冷めたのか。
どっちにしろ結果は変わらんのだから、お好きなように」
「…ハハ、それもそうですね」

乾いた笑いを漏らす男に、ほんの少しの哀れみと同調。
自分の持っていない日常や穏やかな平和を享受する男が、持っていた幸福から遠いモノ。それはベータの気持ちを幾分か、否相当に軽くした。
これで会うのは終わりだと自分から告げた癖に、そのつまらない色恋沙汰の拗れの帰結が気になって、またその次の機会を自ら口にする程度には。
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