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(…懐かしい記憶だ)

目を覚まして暫く、夢と言うのを久方ぶりにみた感覚に呆然としながら、人の腕を枕がわりに寝こける娘を見て、起こさないようにゆっくりと身体を起こす。
縄は解けていた。自分で力任せに解いたのでは無く、ココロが鋏で切り取ったらしい。幼い割にはやはり、頭が回る。

(刃物はガキの手の届かない所に置けってんだ)

足元に転がっている料理鋏を拾い上げてから、暫く考えた後に食器棚の引き出しに入れる。多分この辺だろ、と。
少し視線を上げると壁に掛けられた時計が見えて、時刻が夜の二時であることを理解する。
睡眠が浅いのは元よりだが、それにしても起きるのが早すぎる。もう一眠りするかとも思うが、思いの外目が冴えていた。
あんな夢を見たからかもしれない。

(昔を懐かしむ余裕ができたってか、我ながら腑抜けたな)

床の上で眠っている少女を抱えると、客人用にある寝室に入ってそのベッドの上に横たえる。元より人の体温が移っていないシーツの上だ、頬に触れる冷えた感覚にココロはしょぼしょぼと眠気でしわくちゃの目元を薄く開いた。

「おはよお…?」
「まだはえーよ、寝てろ」
「んんー…」

目を擦りながら返事をする少女に、粗雑にそう返してからベッドを離れようとするが、ココロの手はベータの袖から離れない。
甘えているのだろうか、或いは心細いのだろうか。

(優しくすることなんかできない)

されたことが殆ど無いから、少女に対しての優しさとはどのようにすべきなのか見当がつかないのだ。それに、心の底からこの娘を殺してやろうと何度か考えた癖に、今更になって眠そうな娘の顔を見て気まぐれにも優しくしてやろうと思ったなどと。
突然老婆心が芽生えたなどと言う訳では無いにせよ、掌返しではなかろうか。自分の脳もまだ起きたばかりで可笑しくなっているのだ。きっとそうだ。

「…お前、この旅が終わって、そうしたらどうする」
「ココロは、ココロは…れっちゃんのとこ、かえりたい…」
「アーいや、質問の仕方が悪いのか。
…将来、お前はトレーナーになるのか」

直接的に言うのは憚られるような気になったのは、本当に一瞬で。ベータの言葉は夢に引っ張られてか、いつもなら貝のように閉ざした心の隙間を小さく開けて、少女に向けてそう問うた。
そうして、問うてからなぜこの質問をしたのか考えれば、恐らくこの娘を嫌う理由が欲しかったのだと思い至る。今はいとけなくとも、いつか羽化してベータが知る数々の人と同じように醜くのたうつなら、今の純真さを持ったまま死ねば彼女を心底から嫌わずに済むだろうとも。

(なるほどな。
俺は思ったよりこの娘を、気に入っていたのか)

ココロが言うとおり、生き物に永遠はない。
変化すると言うのはベータには恐ろしくて、醜くて、時には酷く自分を傷つけもする。だから他人など好きにはならないのだし、少なからず心を砕いたものに対しての執着の形としてそれを壊すことで永遠にしたくもなるのだ。
そうすれば、自分の記憶にある面影は確かに永遠となる。思い出は美化されて、時折現実よりも煌めいて見えた。

「んー…わかんない…」
「なりたいかどうかの話だ」
「んー…」

少女はひとしきり考えてから、「やっぱりわかんない」と返した。未来のことを考えるにしては幼過ぎたか、とベータは少しばかり肩を落としたが、続いた言葉はその考えを簡単に払拭してみせた。

「だってね、ポケモントレーナーって、ポケモンがいないとだめなんだよ。しってる?ベータくん」
「…そりゃ、まあ」

知ってる、何せ使役されていた側である。少女は一応のこと、自分達をポケモンだと認識しているようだが、人型をしているとそのポケモンと人との関係性がなんとも曖昧になるらしい。大抵どのトレーナーもそんなものであるし、人間とは同じ人型をしていれば如何にも人扱いしたくなる生物なのである。
そこんとこ、人型になった当人達すら曖昧な部分があるので、今更どうのこうのと人間とポケモンとの関係における健全性が云々と説教垂れるつもりもない。関係性など千差万別、良し悪しを一側面で語るのは無意味である。

「ココロはね、どっちでもいいの。
だいじなひとができたなら、それが“ひと”でも“ポケモン”でも」
「どっちでもよかねえだろ」
「んーん、おんなじなの。
でもね、ポケモンだったら、それってココロと、だいじなひとって、たいとうかなっておもうの」
「対等」

優劣がなく、同じであることの例えだ。
対等と言うのは、実際問題現実に存在し無いものだ。人間同士ですら男と女では善かれ悪しかれ差がある、筋力やら身長やら、或いは育ちからの根本の考えかたやら。

「トレーナーになって、てもちのポケモンとこいびとになったら、それってたいとう?」
「………では、ない」
「そうだよね。きっと、ちがうよね」
「………」
「わたし、すきなひとにのぞまれるなら、なんにでもなりたいよ。すきっていってくれるひとのためなら、きっとがんばれる。
だから、すきなひとにトレーナーになってほしいっていわれたら、なるとおもう」

望む望まざるでは無い、周囲からの、大切だと自分が思う人のためならそう出来る。
けれど、本当のところ、彼女は知っていた。友情や愛情を持っても、恋仲になっても、トレーナーとポケモンの関係性とは如何言い繕っても従う者と従わせる者である。
それは決して悪いことでは無いが、彼女の中にある対等な関係とはかけ離れているのだろう。

「わたしね、すきなひとにね、すきだよっていって、すきだよってかえしてほしいの。
でもね、それをね、あいてのきもちのほんとうとは、ちがうところのすきかもしれないって、そうおもいたくないの」

愛の形はそれぞれにある。
色欲のある愛か、或いは親愛か、友愛か、敬愛か。それらを含めて、自分の思う愛情を混在させているのではないかと。自分が望むからこそ、そう返しているのでは無いかと。
相手が本当に望む愛情を返してくれているのか、などと。そんなことを一々悩むくらいなら、最初から主従の関係など無い方が気持ちとしては楽だと言うのは、正しい気がした。
少なくとも、ベータはその考えに痛いほど賛同できた。

「…分かるよ」
「ほんと?」
「ああ」

あの憎いはずの自分の元主人ですら、憎みきれないのはあの男が確かにベータにとっては特別だったからだ。それを愛だ恋だと括ることはないが、もしも主人に関係を迫られればベータは否応なしにそれを受け入れただろう。
もしそこから唐突に関係を無かったことにされても、ベータは同じく何も言わないだろう。きっと、それが主人と言う存在だと納得した。

「如何したって俺たちにとって、主ってのは特別だ。
血を分けた親兄弟よりも、下手をすれば比重が重い相手だ」
「うん」
「これが自分の手持ちに愛情を注ぐ、普通のトレーナーだったら…もっと拗れる」
「そうなの?」

そうなったのを見たことがある。
そう言いかけて、ベータはこんな話を幼い娘に話すべきではないな、と思い至って口をつぐんだ。
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