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「no.37-5、本日の訓練を終了する」

冷たく言い放たれたあと、硬いパイプのベッドに汗だくの体を打ち捨てて死んだように眠る。これが、実験体としてのしての、『俺』の生き方だった。
それなりにやれば飯が出て、仲間を殺すと褒められる。戦場で戦果を上げれば昇進できて、上手く上の人に目をかけて貰えれば待遇も良くなる。実力至上主義であるこの場所の仕組みについては、それなりに気に入ってもいた。
弱い者ならこれを不平等だと嘆いたろう。しかし、男は少なくともこの限られた施設の中で、同じ種族の中で抜きん出て強かった。向上心もあった。暴力性も恐らく、多分に。

(自分が生きるために必要なものは、力と、技と、後は、あとは…)

誰にも負けないほど強く、それだけが彼の鎧だった。そうしてあの暗い暗い牢屋の奥で、鞭打たれる恐怖だけが彼の最大の敵だった。


生まれて一年程度の力の研鑽から、技の習得威力向上命中安定までの過程のうちで、施設の内での壮大な蠱毒もやがて終わりを告げた。
全ての虫を喰らい尽くした男…ベータにとって、最早仲間や友情に心を砕かせるにはその精神は磨耗し切っていた。
同じくチームに選考されていたアルファも、ベータとはほとんどよく似た境遇である。それ故に、人生の先輩から知見を深めようと彼に「愛って何です」と聞かれた時には、何やら答えあぐねたりもしたものであった。

なぜ彼の口から愛などと言う、本来関わり合いが薄いだろうその問いが漏れたかと言われれば、その時に組んでいた相手がいけなかった。
否、いけなかった、と言うのは違う。結果として、ベータの心に深い傷をつけたのは彼がきっかけとしても、当人はとても、そう…とても善人に近い心持ちの男であったのだ。


ベータの戦場は雪霰と弾丸の雨が降り注ぐ死地が基本で、どちらかと言うと砂漠地帯や亜熱帯が主のアルファとは、チームと言えども殆どの場合の戦場で共に背を預ける事は少なかった。特に、ベータと違いアルファは主である男のその時の“気に入り”に近くあったので、より良く首根っこを捕まえられては必要な場面で動けずと言うこともあった。
その時の彼の苛立ち具合は、文字通り鬼神の如き有様であったので、主様に頼りにされてよかったですね、などと言う軽口を叩こうと言う気すら起きなかったものである。

「…寒い」
「ベータさん、こっちの設営は終わりましたよ」
「おう」

と、彼の仕事というのは決して単独で全て解決するような仕事ではない。雪山にて敵を強襲するとしても下調べや、立地の確認、見晴らし、相手の行動などを鑑みて長期間待機することは少なくない。
わざわざ雪山にいるくらいだから向こうもまた、寒さに強いポケモンが多く、此方は少人数で動くため数で押されればまず勝ち目はない。だからこそのアンブッシュである。

(さて、今回のやつはどこまで使えるか)

主の仕事は決して、彼の育てた兵士だけで動くでない。依頼人の息のかかった者を連れていくこともあれば、今回のように比較的安い金で雇える裏取引で連れてこられた、何も知らぬバイトくんのようなものも多い。今回の男はかなりド一般人らしく、臭い消しもまともにしていないのか、紳士的な態度のくせに臭うシトラス系のタバコの匂いが印象的だった。
人と違い、ポケモンは戦いが根本に息づいているから、そこいらの野良ポケモンですら、少し目をかけてやればそれなりに戦える。
便利な反面、己の存在意義を考えさせる事柄だ。

「寒いですねー、ベータさん雪の中で平気ですか?」
「寒いが俺は体質がもとよりこうだ。雪の中でも大して変わらん」
「へー、いいですね。私なんか、氷タイプじゃないから雪山には全く慣れてないし、寒くって…」
「…無駄口叩いてねえで、監視しろ」
「アッ、そうでしたね!」

青年は、終ぞどんなポケモンか知る由もなかったが、それなりに戦い、恐れながらも此方のサポートに徹した。人の命を奪うことに対する躊躇があるのは当然なので、ベータは男の代わりにターゲットの男の首を刎ねた。
ロケット団とか言う組織で、若い子供にヤクを売る男だ。金はあったが、主人にとっては“せっかく自分のために強いポケモンを育ててくれるトレーナーの芽を潰す”男として映ったらしい。
男を殺して、施設を突き止め、そこに火を放ってから放心した状態で帰投した男を見て、ベータは次はないなと考えた。

そうして、初めて出会った任務からしばらく、ベータの前に姿を現した。仕事では無く、街中で。彼は、最初に出会った時と変わらず穢れない様子であったように思う。

「ベータさんお久しぶりです!お元気でしたか?」
「………」
「ちょっ!聞こえてますよね!?」
「知らん」
「ひどい!」

ベータが街に降りてきたのは煙草の為だ、この男との談笑に励む為ではない。面倒臭いのだ、こう言うのとの関わりは。
人の内側に土足で入り込もうとする輩は、相手をしたくないのである。しかし、こうも付き纏われては敵わない。
何のようだ、と低く唸るように問えば、青年はパッと表情を明るくして「良ければ、食事でも。奢らせてください」と当然のように続けた。


通された店は今思えばカロス系列の少しお高い、有名チェーン店だった。外食など殆どしたことも無かったベータは、内心面食らいながら手渡されたメニューを眺めたりして、結局何がいいか分からず仕舞いであった。
だから、連れてきたのはお前なのだから、と文句を言った結果結局男が決めた料理を食べた。
これもオススメなんですよ、とか、これもいいんですよ、とか。そんなことを聞きながら、相槌一つ打たずに来た食事を黙々と食べる。
そんなベータにも全く気落ちせず話続ける男に見かねて、じろりとした死んだ魚のような目で青年を睨んだ。

「男の顔見ながら飯食って何が良いかね…」
「ふふ、お礼も兼ねてるんです。勿論、こんな事で返しきれたとは思ってませんが」
「礼?」

覚えが無さすぎて目を見開いたベータに対して、彼はクスクス品よく笑いながら「では、あなたにとって、当然のことだったんですね」と聖人の如く言う。

「ほら、初めてお会いした時、私はあまり役に立たなかったでしょう」
「初めてでこの仕事をしたことがないなら、あんなもんだ」
「この仕事は歩合給でしょう、私の取り分はオニスズメの涙ほどだと思ったのです。
しかし、帰ってみれば殆どの給与を貴方が放棄したからと、私に…」
「アー…」

給与と言うのは、ベータにとっては施設の要人達にピンハネされるだけの代物である。手元に残る金は一緒なら、大金を持っていく必要がない。
何なら、食事も冷たいレーションだけで満足する性質であるので、嗜好品の煙草一つさえあればベータの持ち物は事足りた。それを説明するのも面倒で、あんな明らかに堅気と言う雰囲気の青年に金を横流ししたのは気まぐれだ。
否、さっさとこんな仕事、足を洗え、と言う気持ちもないでは無かった。
しかしそれを指摘されるのも気恥ずかしくて、ベータはあえて無表情を作って「忘れた」とつぶやいた。

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