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窓の向こうで吹雪が鳴いている。誰かの心の叫びのようで、ベータの喉からは笑いが漏れた。子供相手に、つまらない話をしたという自分への嘲笑だ。

「それって、ベータくんのこと?」

だから突然飛んできたその、言葉のナイフに咄嗟に少女の傍に蹴りを入れたのは、本当に瞬間的な怒りだった。有り体に言えばそうだし、だがそれを見透かされて同情されたのは二度三度と数えきれない。
弱みと言うのは、決して見せないものだ。見せてしまったが最後、相手を殺すか、愛するしかない。
しかし、ベータには愛と言うものは虚像で、生き物の目を曇らせるまやかしの一つとしか思えていない。それは、過去の記憶との照査でわかりきっていることで、今さら変えられない彼の精神の深い所に根を張っている悪心でもあった。

「ベータくんは、なんでそんなにわたしをこわがってるの?」
「は…っ」

心底から不思議そうに、怯えることなくココロが一歩も動かずにそう問うた。
何を、馬鹿な、と。笑いをこめてそう嘲りの声をかけようとしたのに、喉が詰まったかのように声は出ない。蹴りを入れたはずの足が、小さく震えている。
そうか、確かに。これは恐怖だった。

(殺そう)

恐ろしくても獲物にそれがバレてはいけない。戦いというのは、いつでも精神的に優位なものが勝つのだ。
命のやり取りであれば尚のこと。明確な弱みだ。こんな人間の小さなガキを、恐れているだなんて!
許されることではない、決して。

「まだいたいの?」
「うるせえ」
「それはココロのせい?」
「うるせえってんだッ!!!」

電気が走り、家の電気が消える。バチバチと嫌な音がして、吐き気に耐えながらベータが少女の手首を掴んだ瞬間に、食事を作りにいっていたジャリドが彼の頭を足で踏みつけて床に落とした。


「あーあー…電気系統が全部おじゃんだなこりゃあ」
「ごめんなさい…」
「いや、お嬢さんが悪いんじゃねえ、気にすんな。
予備電源はあるが、電気をつけずに暖房のみでも明日の朝までってとこだな」

彼はそれだけ言うと、かなり古いビニールコートに袖を通して、簀巻きにしたベータを横目にフードを被って振り返る。

「俺はこれからブレーカーの修理をする為に機材を買いに行ったり、外で直したりしてるから、余計な事はすんなよ。
特にそこの鳥頭」
「………」
「返事ィ!」
「………ワカリマシタ」

一応の返答に納得したものの、あの異様な空気になった中で二人をそのまま残しておくのは気がひける。縛りつける際に身内が作ったろう“おもちゃ”の回収に成功したから、物理的な悪さはできないだろうが、幼子の心を傷つけるには男の胸三寸であろう。
心配はしているものの、然りとてこのまま時間だけ潰しても先に凍えてしまうのは少女である。明日の朝までになんとか直さねば。
ジャリドがジェスチャーを交えて、もう一度ベータに注意するが全く意に介さず顔を背けるのを見て、流石にため息をついた。


縄を解くのは簡単で、それをしないのはベータにも少なからず冷静さが戻ってきていたからだ。何のためにここまで来たのか、忘れていた訳ではない。
ただ、それを頭から放り出す程度には目の前の子供に苛立っていただけで。

「ベータくん、ごはんたべられる?」
「…床に置いてくれ、足で食える」

元々原型の足が鰭で全く歩行に適していなかったことから、人型になっても歩くのに苦労した記憶がある。それを、何とか克服しようと、…否、させようとこうして足で食事をさせられた事があった。確か、文字の書き取りもさせられた筈である。
あの頃、木を隠すなら森の中、人を隠すなら人混みの中と言うのが、生まれた施設のモットーではあったのだ。

(人型になる理由は、人に溶け込むためだ。
人に紛れて人を殺し、人のように武器を取り、人よりも頑丈な道具としての生を全うさせるための調教だ)

皆一様に黒髪なのはそのためだ。アイデンティティである獣の毛皮を脱げば、ベータを含めた彼らの“ポケモンらしさ”は掻き消えてしまう。
我々は、つまり仕込み杖やサイレンサー銃なのだ。

(持つものがなくなった武器に何の意味があるんだ?)

「ベータくん、きようだねえ」
「………」
「まねしていい?」
「すんな」

昔のことに気を取られている間にも、皿に盛られたナポリタンを足の指で挟んだフォークで器用に食べるベータに、ココロはマジックでも見ているような視線を向けて目を輝かせている。
自分の足にもフォークをつけて同じようにしようとしては、誤ってひっくり返ったゼニガメのように足をばたつかせていた。
あまりに間抜けなので、ベータは白い目を向けつつアドバイスにもならない言葉を聴こえるように吐く。

「ヘタクソ」
「むーん…」
「手でやってるのを足でやるだけだ」
「…わたし、まだてでたべるのもへたくそかもだ」
「じゃあそっち練習しろ」
「たしかに!」

言われてみればと手を叩き、素直に手でフォークを持ち始めて漸く目障りなのが消えるかと思えば、床の上で食べるのは変わらないらしく彼女が視界から消える事はなかった。
もう舌打ちする気力も無くなってきて、ベータは空になった皿を回収していく小さな背中見ながら、頭痛がする思いで体を無理やり横たえた。
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