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「やめろ」

脳が痺れたままのベータに、そう声をかけたのは先ほど去って行った筈の男だった。
薄い氷のような髪をザンバラに切り揃えた青年は、その妙に仄暗く見える黄色い瞳で静かにベータを諌める。
何をしようとしていたのか、そんなことは聞くまでもないとばかりであった。

「…何のようだ、消えろ」
「その子が風邪をひく、家に来い」
「は?」

素性の知れない輩の後にホイホイとついて行く馬鹿はいない。ベータがそう続けようとしたが、彼は雪道で離れないように何度も振り返るココロを見て、ゆっくりと寄る。
膝下ほどまで埋まる雪道であるのに、彼の足は浮いているように軽やかであった。

「オイ、山小屋を提供するから泊まってけ。
今日はそろそろ吹雪になる」
「ふぶき?」
「雪と風が激しく打ち付ける、悪天候のことだ」

ココロは男の言葉にうんうんと悩む仕草をすると、嫌そうに顔を顰めているベータに向かって手をこまねく。
こちらに来いと言っているのだと察して、嫌々ながらに足を進める。

「…何だよ」
「さむくなるからおいでって。
ベータくんもおうちにいくでしょ?」
「スーッ……」

放っておきたい。
行くなら勝手に一人で行けと言いたい。
しかし、これは任務である。
隊長から探索を申し付けられているし、見つけた以上は連れて帰らねばならない。つまり、お目付役は降りるわけにはいかない。
気分は最悪だったが、重く首を縦に振ると彼女はこっちの気など知らずにパッと笑みを作った。



いくつかの文字列が浮かびかかっているのを指でなぞって、アルファは数時間かけて山から降りたガンマとデルタに点呼を掛ける。ガンマはともかく、デルタは山の空気が薄いのもあってか少し疲労が来ている。
青ざめた様子で208番道路にテントを張ると、いつに無く気弱になって「ごめん」と小さく呟いてから眠りに入った。

「ベータに任せて良かったのかな…」
「…これから、キッサキに近い土地は暫く猛吹雪に見舞われるそうだ。俺たちが行っても足手纏いになる」

シンオウ発信のラジオに耳を傾けながら火を焚くと、アルファの言葉にガンマはそうだけどさあ、と口を尖らせる。適材適所という意味では、雪山にはベータが良い。
だとしても子守には向かないのでは、と問われれば、それは確かにその通りだ。

(無事に猛吹雪が過ぎ去るのを待って、山を降りてきてくれればいいが…)

アルファは暗くなった山の向こうの雲を眺めて、落ちる夕日を眺めながら木枝を焚べた。


山小屋に案内されてほんの数分の後、言われた通りに猛吹雪が吹き荒れ、その風や雪が窓を激しく打ち付けている。少女が外の様子を見てひえ、と悲鳴を上げると、男はカップを二つ持ってココロとベータの前に置いてから「二重窓だから問題ねえぞ」と呟いた。
カップの中身はココロにはミルク、ベータの物は透き通ったぬくい紅茶が入れられていて、手渡された先から彼はフンと鼻を鳴らした。

「何も入ってませんよってことか?
毒ならカップの付け方に塗ってもいいし、強いものなら持ち手の方に塗るだけでも皮膚から入り込んで致死に至ることもある」
「紅茶なのは俺も飲むからだ、疑うなら飲まんで良い」
「ぎゅーにゅーおいしい!」
「そうかい」

少女の言葉に鋭い目つきを少し緩めて、男はソファに腰掛ける。そりゃあ自分の家なら寛ぐのは結構なことだが、ベータからしてみれば、なぜにこう、この男がやたらに親切にしてくるのかがわからず気持ちが悪い。

「…怪訝な顔をしやがる」
「何者だ、アンタ。その顔からして人間ではないだろ」
「俺の擬態は完璧のはずなんだが、何故かバレやすいな」

不思議だ、と首を傾げた男に向けて「そりゃ、そんな目立つ顔面してりゃあ」と言いかけてベータは大人しく次の言葉を待つ。自分たちのように人間に本当の意味で溶け込む為の人型とは、目の前の男は違うわけであるのだ。つまり、個性があって然るべきと言う。

「俺はジャリド、レジアイスのジャリドだ。
お前らの話は、ムディーア経由で聞いてるぜ」

なかなか面白いことになってるそうじゃないか、と。
妙に馴れ馴れしく話しかけられてベータが本日何度目かの舌打ちをすると、ココロはすっかり彼の不機嫌に慣れ始めていたので「また、ちってしてる」と揶揄い気味につぶやいた
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