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※若干胸糞


人生山あり谷ありと言う言葉があって、つまり幸せと言うのは長く続くと思ってもすぐに移り変わると言うことでもある。

「シスターが病気になって、教会も立て直しできなくて、みんなバラバラになって…俺は連れ戻された」

ともすれば、連れ戻されたと言うのは正確ではない。
シスターの病気は、田舎の小さな病院ではなんともならずとも都会の病院なら大金を掛けるだけで何とかなるのだ。

『言うなよ、あの子らには。心配かけたくないんだ』
『金をかけるなら教会の建て直しをしな、こんな婆さんに金なんて使うんじゃないよ。勿体無い』

その時はわかったと返事した。けれどガンマにそのつもりはなくて、シスターが病気だと知った瞬間から主の元に駆け込んだ。
元鞘に戻るつもりはないし、許されるとも思わなかったが、稼ぐ手立ても手段も持たないガンマにとって唯一の希望は主だった。

『お前、逃げ出した手前よくまあ、そんなことを…』

彼はそう、取り押さえられたガンマを見下ろしてからそう笑った。殺そうとして牙を剥く手持ちを制して、地に伏したガンマの顎をつま先で引き上げる。

『じゃあ、その婆さんのためなら死ねるか?』
『他の生き物をゴミみたいに殺せるか?』
『一生奴隷として生きる道も喜んで進めるのか?』

その問いに頷いた、強く頷いてから、彼が『じゃあ今お前を抑えている奴らを殺してみろ』と言うので、組み伏せてきた男達を力で捩じ伏せてから力任せに脊髄を引っこ抜いてみせた。冗談みたいな手早さで、スプラッター映画のようには行かない勢いの薄い鮮血の中で、甘酸っぱい血の匂いの懐かしさに肺いっぱいに深呼吸した。
その暴力性は元より、シスターや子ども達の前では鳴りを潜めていたとは言え、元々ガンマの中に息づいていたものだ。今更偽善者ぶるつもりもない。

『今から、お前のコードネームはガンマだ。
今後は手足となって私の地位を押し上げてくれ。
可愛い可愛い造反者』



「あの人に見初められて、俺はガンマになった。
…だから、君に俺の名前を呼ばれた時一瞬不思議な気持ちになったよ」

名無しのウオノラゴン、坊や、ノラくん、エトセトラ。

そんなあだ名をいくつも貰って、楽しかった思い出は大事にしまい込んでいたから、尚のこと気がつくのに遅くなってしまった。

「どうして君がここに居るんだろうって、今はそれを考えてる」
「どうしてって、貴方が置いていったんじゃない。
私たちをおいて、いなくなったんじゃない」

シスターも、と続けて、鼻を啜る娘の姿はもうココロの姿ではなかった。太陽の様な金はまやかしで、光を遮る艶やかな黒髪の嫋やかな娘が、ガンマの腕の中で悲痛な涙を浮かべている。背丈も二歳程度のココロとは比べるべくもない、十四、五歳ほどの美しい花の蕾である。

「シスターが病気なんて知らなかった…シスターを助けるためにいなくなったなんて、言わなかった…」
「…ごめんね」
「みんな捨てられたって、思ったのに…だから、だから…」

シスターが居なくなって、ガンマが居なくなって、村が廃村になって。行き場のない人々は故郷を後にし、子ども達はそれぞれの施設に引き取られた。
娘はその引き取られるはずだったうちの一人で、ガンマがただの名もないウオノラゴンだった頃、確かにこの娘に淡い片恋を抱かれていた。

だからそれは悲劇と言うよりかは、ある種喜劇だ。
娘は来るはずのないウオノラゴンを待つために、廃村になった深い森に近い場所に足繁く通った。いつか来てくれる、いつかあの人が。
優しくて抜けていて、何処か危ない匂いのする男だった。野生的と言えば聞こえはいいが、明るい笑顔の裏に見えた残忍な、或いは淡白な様子が本当の所若い娘には毒の様に染み入った。

「全部逆恨みといえば、そうなの、きっとそう」

子供相手にどうのこうの、少しばかり下世話な話。
でも幼い相手に気を起こさないと言うのは、ある種そうであってほしいだとか、そうでなければならないだとか、社会的な常識と道徳にしっかり絡め取られていなければ出てこない言葉ではなくて?
幼い蕾が無体にも引きちぎられ、荒らされて、踏み付けにされて。狼が出るなんて知っていたら、赤ずきんだってきっと道を遠回りしたはずなのよ。

「…傷ついて、苦しんで、言葉にならない痛みを抱いて尚、貴方のことを」
「駄目」
「……なんで」
「それは刷り込みだ」

酷い目にあったから、待っている人だけは素晴らしいものであると考えたくなったのだ。
これだけのものを無くしたのだから、それに見合う何かであるはずだ、そうでなくてはならない。そんな思い込みだ。自縛気味になっている目の前の娘を見遣って、ガンマは冷たい目を向ける。彼女が最早生者で無く、今を生きるものを害するなら自分はどうあっても彼女とは対立せねばならない。

「…私を殺すの?」
「違う、君は死人だ。
死んでいる人間を二度殺す趣味はないよ」
「そんなにあの子の方が大事?」
「俺が大事なのは今生きてる人なんだ」

死んだ人に思いを馳せる事はあるけれど、死んだ人のために今生きている人を蔑ろにはできない。それは恩人であるシスターであってもそうだ、そこに優劣はない。

「酷い人」

細い首に手をかけて、ゆっくりと締め上げる。今は目の前の女より、生きているだろうココロの行方が心配だ。
恨み言に凍えることも無く、ガンマは冷たい目を向けたまま崩れてゆくそれに事もなげに「俺は人間じゃない」と、そう返した。
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