水に散る


冷たい雪降る冬の日。
主人が死んだ。
病気でも事故死でも、ましてや殺人や自殺でもなく。
前触れもなく、なんとも呆気なく。
殺しても死ななさそうに飄々と生きていた俺の主は死んでしまった。


ぱっと冷たく暗い部屋に色が散る。はらはらと落ちるのは大量の花だ。いつも真白い顔は生気を失ってさらに白い。その頬を滑る鮮やかな花びらは余計に目立った。
上から際限なく花を降らせる。まだ幼い頃に集めた野花を降らせた時に喜んでいたのを思い出したのだ。でもあの時は白い頬を赤く染めていたのに、今は真白いままぴくりとも動かない。
死んでしまったのだ。動くはずもない。
何度も撒けば籠いっぱいの花はなくなっていく。最後の花を手から落とそうとして動きを止める。少し考えてそっと髪に差し込んだ。
黒髪に白が映える。
とても綺麗だ。
ふとベッド全体を眺めれば赤色が多くなってしまっていた。足先まで散った花びらが飛んだ血液のようで。
さながら殺人現場だ。

「…殺しであれば、どれほど」

良かったか。
いいや、良いはずがない。
それでもどこかの誰かがこの人を殺したのであれば、恨みや嘆きをぶつける先ができたのだ。
自然死、なんて。

「貴女を殺すは俺だと、あれほど言っていたのに。嘘つきですね」

約束だと言っていたじゃないか。
それを己が承認した覚えはなかったが、そんなことお構い無しにそう口にしたのに。
勝手に死なれたら、殺せないじゃないか。
それに。

「もう貴女に聞かれる心配がないとなると、自制が利かないんですよ」

絶対に伝えないと決めた想いや歪んだ胸の内。ぽろりぽろりと今まで口にしなかった言葉が落ちていく。

「俺は貴女をお慕いしていました。貴女はどうでしょうか。皆に同じように好意を伝える姿ばかり思い出します。それでも自惚れていいなら、俺は貴女の一等であったと、思ってもいいでしょうか。
…俺の想いが、好意だけなら良かったのですが。これが肉欲を伴うものだと知れば貴女はどんな反応をするでしょう。貴女に頭を垂れる俺が、貴女を組敷きたいなどと考えていたと、知れば」

主人からぶつけられていた『好意』はどれだけ歪んでいてもそれは『好意』に過ぎない。伝える方法が残酷でも想い自体は無垢だ。自分のようにその『好意』の先を考えていなかった。

「貴女の想いに頷いていたら。差し出された手を掴んでいたら。貴女に触れてしまって我慢できるほど、俺は幼くなかった」

貴女の精神が見た目相応であれば。
または俺の精神がもう少し幼ければ。
天秤をどちらかに傾けても破綻しなかったかも知れない。
もうそれは、どれだけ考えても意味のないことだけれど。

「……」

じっと顔を眺めても動かない。長々と話しても起き上がらない。本当に言葉が届いていないことを確かめて、そっと彼女を抱き上げた。
胸に凭れかかった首は窮屈そうに、力の入らない腕はぶらりと揺れる。いつもより重く感じる体をしっかりと持ち、歩き出す。
はらはら、はらはら。
歩きに合わせて服や髪に付いた花びらが散る。部屋から階段にぽつぽつと、玄関から外に出てもわざと落としたパンくずのように鮮やかな色達が落ちていく。
雪に残る足跡と花びら。吹いた風に飛ばされて消えてしまった。
ああ、きっとまた雪が降る。


さくさく、さくり。
ひゅうと吹いた風が先ほどより冷たい。水面を滑って冷やされた風が主人の黒髪をはためかせて飾られた白い花を持っていってしまった。図ったようにぽとりと湖の真ん中に落ち、ゆらゆらと揺れてやがて沈んでいった。
基本的に好意か興味のないことの方が多い主人の中で嫌いにカテゴライズされるシンオウの湖。湖の主は主人曰く『神様気取りのクソガキ共』らしく、珍しくポケモンに優しい主人が邪険にしていた。

「…貴女は嫌がるでしょうが。俺からの最期の願いですから、我慢して下さい」

さらさらと風に揺れる髪以外は頷きも抗議もない。それでも少し不満そうに見えてしまうのは、幻覚でもないだろう。
生きていれば、絶対にそんな顔をするだろうから。
冷たそうな水面を覗き込んで1歩を踏み出した。ずぶりと沈んだ脚を冷たい水が容赦なく刺す。
凍えるほど冷たいが動けなくなるほどじゃない。僅かに眉をしかめて歩を進める。
足首から脛へ、脛から膝へ、膝から腰ほどの高さへ。
主人の細い指先が水面に触れた。既に黒髪は水に浸かっており、水面に波紋を作っている。
そこからもう10歩ほど進んで胸まで浸かった。彼女も同じく胸まで浸かっている。水中で止めた足の先は高い段差か空洞になっているようで、爪先が宙に浮いている。
ゆるり、主人から離れた花びらが流れていく。それを目で追って主人へと戻した。
不満そうに見える生白い顔に、ぽつりと告げる。

「…後追い自殺、と言うやつです」

初めて逢ったあの時に、主人と共にあれないその時は死んでしまおうと決めていた。主人に強制された生なのだから、本人がいなければ意味がない。先に死ぬつもりはなかったから、どうしたって自殺か、もし殺されたのであれば仇を討つ時にだろうと思っていた。

「俺がどちらにいくかわかりませんし、貴女がどちらにいっているかわかりませんが。
また逢えたらその時は」

今度は素直に想いを伝えてもいいだろうか。
絶対に離さないよう抱え直して跳ねるように足を踏み出す。一瞬の浮遊感、それは直ぐ様消えて視界が水に呑まれた。
薄青から群青へと沈んでいき、止めていた息を吐き出せば水色の泡が天を目指して昇っていく。上を見上げれば絶対に綺麗だとわかっていたけれど、それよりもこの人の顔をずっと見ていたい。
息が吸えなくて苦しい。視界がぼやけるのは涙か。水の中だと言うのに、おかしなことだ。

(そう言えば、名を呼んだこともなかった)

名を呼ぶ行為は特別な気がして、僕程度が行うものではないような気がして、避けていた。
だから。
また逢えたら、名を呼んで、想いを伝えて、それから。

(貴女からの口付けが欲しい)

抵抗されないからと、好き勝手に唇を奪う自分はとても愚かだ。
ゆらと揺れた視界、近い距離にある顔が呆れたように笑んだ気がした。









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