成分補給


痛い、と呟かれた言葉に視線を上げる。
舌を這わせる指先の、ほんの僅かに出来た裂け目。滲み出る血液はとうになくなり、喉の奥に塩味を残して腹へと収まってしまった。
珍しく指を刃物で切ってしまった主人は、何を思ったのか血液が滴る赤い指先を俺へと向けて一言。

「舐めて」

真顔で言った。
突拍子もないことを言うのは今に始まったことではないが、ここ最近は特に頭の回路がおかしいんじゃないだろうかと疑うことが多い。今回のそれも何か繋がったのだろうな、と理解すると共に、パタパタと床に滴る赤が勿体ないと思った。
思ってしまった。
ストンと椅子に座った彼女の前に膝を付き手首を固定。そのまま指先に舌を伸ばして滴を舐め取れば口いっぱいに酸味と鉄臭い味が広がる。眉を寄せつつ傷口を舌先でつつけばぴくりと指が震え、ああ痛いのだろうなと理解する。
それに構わず傷を抉れば、痛い、と上から小さく言葉が落ちた。

「そっと舐めて」

「…もう血は止まりましたが」

「えー」

掴む手を弛めれば素直に手が引かれた。
ベタベタの指をしげしげと観察する彼女の肩を押して流しの前に移動、問答無用で手を洗わせる。石鹸が沁みるのか再び痛いと呟いていたが、消毒して絆創膏を貼る頃には静かになっていた。
心なしか放心しているように見える。

「…今日はどうしましたか」

「え?」

「指を切るのも…俺に舐めさせるのも。何か、ありましたか」

「…別に」

ぼんやりとしていた瞳に光が宿る。でもそれはふいと余所へと向けられてしまった。

「別に、ちょっと出ちゃうのが、零れちゃうのが、勿体ないなーって思って」

「はい」

「じゃあ、たまに欲しそうにしてるからあげようかなーって」

「…はい?」

「私の成分」

欲しかったでしょう。
ぽろりと零れた言葉は広い部屋に響く。欲しいか欲しくないかで言えば、欲しいが。それは望むこともねだることも出来ないことだろうと思うのだが、この人にとってはあまり関係ないことなのだろう。

「思ったより少なくて、え」

「あまり獣に血肉を与えない方が良いかと」

手首を掴んでその柔肉に歯を立てる。滑らかな肌を裂いてしまわないようなるたけ優しく。

「味を覚えてしまって、喰われるのは嫌でしょう?」

「…まあ、させないけど」

つんと顔を背けた主人の、声が震えているのには聞こえないフリをしておく。








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