溺れる深海魚




「慶さん!」


賑わう雑踏の中で自分の名前が呼ばれるのを聞いた。少し辺りを見回せばすぐに彼女の姿を見つけることができた。こんな時自分の長身を便利だと思う。
人混みをかき分けて彼女の前に立てば肩の上の夢吉が嬉しそうに鳴いた。


「夢吉も久しぶり。」


柔らかい、変わらぬ微笑みがそこにはあった。伸ばされた彼女の指先は格段に綺麗だ、なんてことはないけれど俺のそれとは全然違っていて、撫でられている夢吉も嬉しそうだった。


「そういやぁ、もうすぐ祭りの季節だな。」


街の声はいつもより一段と大きくて、心地よい慌ただしさに包まれている。


「今年は豊作だったから、みんな浮かれてて。」


そう言った彼女に浮かんでいるのもまた笑顔だった。
思い出される、いつか彼女と歩いた祭り。その年もかなりの豊作だった。俺も彼女もいくらか大人になってしまったけれど、浮かべられた笑みは今も昔とあまり変わらない。愛しい。
出来ることならそれを俺の隣で、俺だけに向けていて欲しかった。

店の奥から彼女の名前を呼ぶ男の声がする。次いで聞こえるのは母を請う、赤子の泣き声。


「ねぇ慶さん、団子でも食べて行ってよ。」

「……いや、また来るよ。」


行こう夢吉。彼女の手のひらから夢吉が名残惜しそうに俺に飛び移る。
頭を一つ下げて彼女は俺に背を向けた。振り返らなかった。





打ち寄せる波に足だけそっと浸して、撫でられるそのくすぐったい感覚を楽しんでいた、はずだった。いつのまにか腰まで濡れていて、俺は岸を目指すのだけれど気付いたときにはもう、遅くて。




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溺  

   れ

  深

海 
 魚