目が覚めると、真っ白な場所にいた。私…天国にいるんだわ。
私から背を向けて何かをしている人がいる。天使さんかな…と思ったら。
「まぁ…随分遅いお目覚めね、Ms,眠り姫……おかげんはいかが?」
お熱測りますねー、と言いながら私に微笑みかけてくるその人は胸にネームを付けていた。
「ナース」だって。ってことは…。
「私、死んでないの……?」
*****
私は、死んではいなかった。かなり重症だったみたいだけれど、命は助かったのだ。
あの時、ジョン・マクレーン刑事の放った銃弾を浴びた私の胸は、弾丸に貫かれた。あと数ミリずれていたら危なかったらしい。そうして、私の身体を貫いた弾は、その後ろにいたハンスの身体に当たって止まった…らしい。
ハンスと私は仲良く救急車で搬送され、治療を受けた。
勿論、ハンスは入院中に逮捕され、ジョン・マクレーン刑事は表彰されたらしい。
私の方がハンスよりも重症だったので、いつまでも病院を退院できないみたい…。
私は、胸に出来た傷を見つめた。見たくはなかったけれど、現実と向き合う必要があったから。
そこには凄い傷が出来ていた。胸の谷間に沿って、傷がある。10pはあろうかという傷だ。酷いのはそれだけじゃないの。そこよりも左側に、銃痕があった。
マクレーン刑事は凄く凄く謝ってくれたけれど、彼が悪いんじゃないものね。私が馬鹿なだけ。
私、傷モノになってしまったんだわ……文字通り……。
ハンスは近く裁判にかけられるらしい。タブロイド紙が一斉に報じていた。
ICPOからも指名手配をされているので、彼は、国際法で裁かれる、と新聞に載っていた。タブロイド紙の一面には、連行されるハンスが写っていた。取りあえず元気そうだった。私は何故かホッとした…。
何故か、なんて解りきったことじゃない。
メイ、貴方、惚れてるのよ。あの非情なテロリストに。
私を利用し尽した男に。
それだけじゃなくて、命まで救っちゃうんだから……本当にどうしようもないわ、私って…。
*****
あれから、3年の月日が流れた。
ハンスは裁判にかけられ、今は服役中。
私は……ナカトミプラザを継ぐことを勧められたけれど、丁重にお断りした。
私、どう考えても社長という器じゃないもの。
そして、一人では到底使い切れないくらいの遺産まで相続してしまった。
何に使ったらいいのかわからないので、銀行に預けてあるけれど。
今はコーヒーショップで働きながら、次の夢を探している所。
一緒に働いているサマンサは、シングルマザーの19歳。私よりもずっとしっかりしているし、働き者。何よりも要領が良い人だった。どんくさい私とは全く正反対の人だけど、結構気が合う。サマンサと一緒に、ショッピングに行ったり、この間は、初めてクラブにも連れて行ってもらった。私には無理そうな場所だったけれど…。
今日もそんな彼女と働いていたら、彼女が、あるモノを私に寄こしてきた。
「ね、メイ…コレ、行ってみたら?」
そう言ってサマンサがくれたモノは、コンサートのチケット。クラッシックコンサートのチケットだった。
「アタシ、クラッシックって苦手。鼾かいて寝ちゃうのよ。さっきお客さんからもらったんだけど…捨てるのはもったいないし…貰ってくれない?」
チップ代わりだって言われたのよ、貰ってくれると助かるわ、そう言うとサマンサは笑ってきた。
クラッシックコンサートか……うん、良いかも!私はありがたく頂戴することにした。代わりに違うお客さんからもらったクッキーを彼女に渡す。
「わお!ここのクッキー高いのに…メイ、あなたって本当に凄いわねぇ…熱心なファンですこと!」
「そんなんじゃないわよ……」
だって食べられないから食べてって言われたのよ?きっとアレルギーがあるのね。私がそう言うと、サマンサは溜息を付いてきた。
「男心を解ってないわねぇ…」
*****
コンサートの日は、久しぶりに気分が高揚した。
薄く化粧をして、ワンピースを着た。チケットを見てみた私は、驚いてしまった。だってこの席って、S席よ…?
ウェイトレスに渡すチップとしては、高価すぎないかしら。サマンサの方が…私よりも凄いチップを貰ってるじゃない。
地下鉄を乗り継いで、コンサートホールへと向かった。
ホールには、きらびやかな恰好をした人達で溢れていた。いつも思うのだけど、素敵な恰好をしている方達ばかりね…。
チケットを渡すと、席へと向かった。そろそろ開演時間だから、皆それぞれプログラムを開いたり、咳払いをしたりと忙しい。あ、携帯の電源を切らなくちゃ。マナーも大切よね?
しばらくするとアナウンスが聞こえ、会場が暗くなる……いつも、この瞬間はドキドキするのよね。今日はオーケストラの演奏だから、とても楽しみなの。
奏者が入場してくる。湧き上がる拍手。席に着いてからしばらくして、指揮者がやってくる……あれ、この人は……?
指揮棒を構えると、静かに、演奏が始まった―――。
*****
素晴らしい演奏に感動しつつ、小休憩のためにホールへと戻った。
いつものようにコーヒーを注文して、それを飲みつつプログラムを見る。やっぱり…やっぱりそうだわ。
あの時の指揮者なんだ。エリック……いいえ、ハンスと初めて会った日の。
ここで、こうやってコーヒーを飲んでいたら、私は確か……プログラムを落とした。
それを拾った次の瞬間、あの人が現れた。
「隣り……良いかな?」
そう、そんな感じで――――って……?
聞こえてきた声が信じられない。もう、二度と聞くことはないと思っていた声だったから。
私、夢を見ているの……?
「メイ……夢じゃない……こっちを見なさい…」
うっとりするようなその声。低くて、艶があって……胸がドキドキするような声の持ち主は一人しかいない。私は振り返った。
するとそこに立っていたのは、お洒落なシャンパングラスを持った、ハンスだったの…。
「あ、なた………どうしてここに?」
胸の鼓動がどんどん早まる。少し痩せたみたいに見えるけど、ハンスは……あの時のハンスと全然変わっていなかった。髭は剃られていたけれど、ね。
「驚いているようだね。メイ、君は変わらないな。あの時のままだ」
ハンスはそう言うと、テーブルに置いた私の手を、そっと握ってきた。暖かいハンスのその手の感触が、現実味を帯びてくる。本物の…本物のハンスなんだ……。
「その大きな瞳……可愛らしい鼻筋……そして…その唇のカタチ……ああ、メイ」
ハンスが動いた。グラスをテーブルに置いた彼は、私を抱きしめてきたから。
ああ、この匂い。彼の匂いだわ……。
「ハ、ンス……」
「君に言った言葉…憶えているかい?」
ハンスのその手が、私の身体をなぞる。こんな場所でそんなことをされて……本当なら恥ずかしくて仕方ないはずなのに……だけど…ああ、今は……。
“欲しくなったんだ…”
耳元で囁くその声。首筋にキスをされて、私は甘やかに喘いだ。
「あ…ぁんっ…ハンス……」
歪む視界。太腿に感じる、鋭い痛み。ハンス…ハンス貴方……、
「ば、かねハンス……そんなこと……しなく……ても………」
どんどん、意識が薄れていく。
「メイ……」
そんなことしなくても……私は逃げないわ…ハンス、馬鹿な人。
私はとっくに、貴方の虜だもの。
私は最後まで、貴方を嫌いになれなかった。
そればかりか、今は貴方のことが……どうしようもないくらい……好き、なのに。
そう言うことは出来なかった。私は、意識を失ってしまったから。
*****
その日、コンサートホールは大騒ぎになった。
逃走したテロリスト、ハンス・グル―バーが女性を攫い、逃げて行ったからである。
警察は検問を置き、昼夜を問わずハンスとその人質の行方を追ったが彼らは捕まらず………その行方は誰にも、わからなかったそうだ。
end.
(H24,07,02)
→リンからめいさんへ
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