アラン・映画夢 | ナノ

10´ 永遠に囚われる




目が覚めた先……その先に待っていた世界は………





*****





目覚めると、自分の家のソファーにいた。

この天井はとても見憶えがある。私は身体を起こした。着ている服はあの時のままではなく、新品のスーツだった。薄い、ピンク色の。

悪い夢でも見ていたみたいな気分…。

私は、頭を振った。まだ少し、めまいがしたので。きっとそれは…あの人が最後に、私に盛った薬の影響が残っていたのかもしれない。


両手を見つめると、手首には縄の痕。

私には不思議で堪らない。どうしてあなたは、私を解放したの―――?





*****




あれから1年の歳月が流れた。
私は相も変わらず、法律事務所で秘書をしている。


真面目な毎日を過ごして、目立たなく生きてる。そう、あなたが言った通り、仕事帰りに寄る場所はいつものマーケットだし、本屋くらいしか寄る場所なんてない。

地味だけど、堅実に生きている。あの日……一瞬でも死と隣り合わせだったなんて、忘れてしまうくらいに平凡な日常。


おまけに――――。


「ヨウコ、考えてくれた?」

「ライアン……」


法律事務所一のイケメン、ライアンに求婚までされている。地味なこの私が、信じられないけど。


「結婚を前提として付き合って欲しい」


この間、呼び出されたと思ったら急にそう言われたのだった。はっきり言って彼をそんな対象と思ったことがなかった私は、戸惑うばかりで……いまだ、返事が出来ずにいる。

結婚を前提にお付き合いって……私と?この人、本気なのかしら……。



私って地味な女よ?

マーケットと本屋くらいしか、寄り道しない女よ?
クラブなんて行ったこともないし、洒落た会話なんて出来そうもないわ。
流行りの歌手の歌なんて知らないし、夜は、静かに音楽を聴きながら読書をするのが趣味なのに。

ライアンのように、アウトドアなんて趣味じゃない。私とあなたの生き方は、まるで違うのに。


「ヨウコ、どうかしたのかい?ぼーっとして…」

「あ、ごめんなさい……」

ついつい、自分を振り返ってしまった。
私は慌ててライアンに言った。断った方が良いのよね……きっとそうよね……?


「ライアン、私―――」

「よく考えてほしいんだ。結論を出すのはまだ、早いと思うよ。良い返事を待ってるから………」

ライアンはそう言うと、魅力的な微笑みを残して去って行ってしまった。





自宅に帰る途中、ライアンのことを考えた。

駄目もとで付き合ってみるのも手かもしれない。あんなに言われたら……ちょっとでも心を動かされない人はいないだろうから。

なによりも私には……そうしなくちゃならない理由があった。




想いだしてしまうのだ。あの人のことを。



あの瞳、声、そしてあの人の愛撫を。
吐息のように囁かれたあの言葉。



攫われ、監禁されたはずの人のことを、私は忘れられずにいたのだった。


ストックホルム症候群なんかじゃない。きっとこれは……恋情。私ったら悪趣味だわ。
あの人のことが好きなんだ………名前も知らないあの人のことが。




忘れられないから……忘れたくないから、だから住む所だって変えられずにいるんだわ。
あの人はもう、居ないのに。


暗証番号を押して扉を開ける。エレベーターを待ちながら、私は思い出していた。初めてあなたと逢った場所がここだった。


凄く背が高くて、洗練されたその身のこなしに見とれてしまったこと。



静かに……けれど、戻れないくらいにまで深く、私は恋に落ちた。
それがたとえ叶わない恋だったとしても、私には止められなかった。

しかも…手に負えないことに、まだ、諦めきれないみたい……。


彼が闇の世界の住人だったとしても、私はまだ………。


玄関の鍵を開ける。バカなことを考えてないで、夕食の献立でも考えよう。今日は久しぶりにパスタなんか作ろうかな、なんて考えながらリビングの照明を付けた。

『ただいまぁ〜……』

誰も居ないのに、こう言ってしまう癖はなかなか直りそうもなかった。私は溜息を付きながら、バッグとキーをテーブルに置こうとした。とその時――、

「おかえり……ヨウコ」



………今の声は?

私は驚いて振り返る。とそこには、いるはずのないあの人がいたのだった。

全身黒ずくめで、口元には危険な微笑みを浮かべて……。


「あ、あなたは………!」

「久しぶりだね……1年ぶり、か…」


あまりの衝撃に身動きすらとれない私の元へ、彼がやって来る。物音ひとつ立てず、その歩き方は野性の黒豹を思わせた。

マーケットの紙袋を見た彼が笑う。

「まだ、そこのマーケットを利用してるのか…」

「な、なにしに来たの……?」

胸の動悸が止まらない。ああ、どうしよう………。


「私がいなくなったと思っていたんだろう…?それは、大きな間違いだよ、ヨウコ……」


彼はそう言うと、私にさらに近づいてくる。慌てて逃げる私を、部屋の隅に追い詰めると、彼は囁くように言ってきた。

「昨日は夜遅くまで本を読んでいたね……あの本はなかなか興味深い。そしてその前の日は、ラフマニノフを聴きながら、ゆっくりとお風呂に入っていただろう?あのバスソルトは、凄く良い香りだった……」

そう言いながら、彼の手が、私の髪の毛に触れる。軽く微笑みながら言うその目は、笑ってはいなかった。

「けど…あれは駄目だ」

「駄目…って……」

彼の手が、今度は私の首筋に降りてくる。動脈のラインに沿って動く、その指先の動きに意識が逸れそうになってしまうけれど…駄目、ってなんのこと?

「ライアンになど…駄目だ…」


!!どうしてそれを……?


「彼は駄目だ。ヤツはかなりの浮気性でね。しかもバツイチ…君になど、とても釣り合わない」


ライアンがバツイチ!知らなかったわ…人は見かけによらないのね…。

「どうして…そんなことまで……」

震えるほど感じていることがばれてしまいそう。やっとのことでそう言った私に、彼は言ってきた。


「見てたから。君を……ずっと見ていたんだ。だって君は……私のものだろう?」

「わ、私はあなたのものじゃない―――」

「そんなことない……今はそうでも、これから先は………」

そう囁くと彼は、私を抱き寄せた。


「私のものになる」



「あ…ッ!」


首筋に鋭い痛みが走る。この感覚…そうしてこの浮遊感は………。



「ヨウコ…愛している。今度は永遠に、君を捉えてしまおう……きっと、私を愛させてみせる……」




待って…待ってよ……もう、私は……あなたのものなのに……。

そう言いたいのに、言葉にならない。意識がどんどん薄れてきてしまって、私が憶えている最後の記憶は、彼の唇の感触と、囁き声。



「今度こそ捕まえた………」




*****



放たれた籠の中の鳥。

飼い主は知らないのだ。鳥が、籠から放たれることを望むとは限らないことを。
そして、永遠に囚われることを望んでいることなど………。







end.

(H24,2,20)

→Next、あとがき

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