雑記・SS | ナノ



「パンツくれない?」

目の前でコーヒーを啜る女は、恥じらいもなくそう言った。

日曜の昼下がり。三年半消しそびれていた女の名前が携帯の画面に表示された。

『今日会える?』

洗濯機から取り出した衣服を干しながら「会えない」と画面に向かって吐き捨てる。今日は忙しい。明日も忙しい。その次もその次も忙しい。だからお前には会えない。永遠に会えない。そういう意味をこめて。しかしそれを理解できるほど、女の頭は出来が良くない。

『駅前の喫茶店で』

追い打ちをかけるメッセージに舌を鳴らし、右スワイプでなかったことにする。

『14時』

すぐに表示されたメッセージも同じ様にスワイプする。何故女という生き物は用件を一つに纏められないのか。その後何だかんだと続くメッセージを全て無かった事にして俺は家を出る。駅前に向かうのではない、買い出しの為にスーパーに向かうのだ。俺は忙しい。永久に忙しい。だからお前には会えない。三年半ぶりに連絡が来たことを嬉しくも思わないし、俺を信じて喫茶店で待ち続ける事にも心を痛めたりもしない。だからお前はさっさと帰ればいい。

『待ってる』

17時、最後のメッセージは店に着いた瞬間だった。

「馬鹿なのか」
「でも来たね」

永遠は呆気なく過ぎ去って、俺は笑う彼女の前に座った。適当に注文を済ませて何の用だと尋ねれば、彼女は平然と下着を寄越せと言い切った。

「一回死んでみたらどうだ」

嫌悪の視線で睨みつけるが彼女に効果はない。

「今度ね、引っ越しするの。洗濯物に男のパンツ入ってたら防犯になるでしょ、だから頂戴」
「アホか、買えよ」
「絶妙な使用感とおっかないデザインがいいんだよね。だから不死川のが欲しい」
「お前にはもっと適役が居るだろうが」
「引っ越しするの。ねえこの意味わかんない?」

彼女の含んだ言葉に言い返そうとした瞬間、頼んでいたコーヒーが運ばれてきた。彼女は空になったカップを店員に返し、何杯目かもわからないおかわりを頼む。おいふざけるなよ、こっちは長居する気なんかないんだぞ。

「あんたと私の仲じゃん」

カップに口をつけた瞬間彼女はそう言った。俺はその言葉に、三年半心の中に在った何かが唐突に崩れていくのを感じていた。

「……俺とお前の間に、どんな仲があるってんだよ」
低い声で返せば、彼女はへらりと笑った。
「元恋人」
「死ね」

立ち上がり伝票を掴んでレジへ向かう。彼女は追ってこない。そういうのも全部わかっていた。縋るのはいつも自分で、近づいてくるのも離れていくのも全て彼女の方だという事。5年間付き合って、最後は「好きな人ができちゃった」と言われ別れた。新しい男とはすぐに同棲して、結婚まで考えてるとか何とか聞かされた気がする。そうかいよかったな。おめでとう。そう言えるまでに随分時間がかかった。なのに、おい。あの時の言葉は何だったんだクソが。さっさと別れてんじゃねえよ。

『ごめん』

画面に表示されたメッセージをすぐ削除する。ついでに消し損ねていた彼女の名前を消してやった。のに、腹の底で煮えている感情に収集がつかない。ああ、クソ、どうしろってんだちくしょう。

「ごめん!」

振り返ると、走って追いかけてきた女が、息を切らせてこちらを見ていた。そんなことは全く、初めての事だったから、途端に怒りの激情は消沈していく。お前、もしかして。

「パンツ欲しいって言ってごめん!」
「ふざけんな!」

そっちじゃねえわ! と大声で叫びながら、少しでも期待した自分の心を呪った。





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