お前に似た花を抱く | ナノ

「あらあら随分お元気になりましたねえ」

胸の前で手のひらを合わせて明るく笑う胡蝶様の顔をまじまじと見つめる。
元気……元気……? この状態って元気って言うんですか……?

全身ズタボロの傷まみれにされた状態で逃げるようにやってきた蝶屋敷にて、屋敷主に会うやいなや開口一番に言われた言葉が俄かに信じがたい。
私がこんなに傷を負っているのは言わずもがな、己の師である不死川さんによる宣言通りの「容赦ない訓練」によるものであった。

「苗字さん、ここに居た時よりもいい表情されてますよ。少しくらい血の気の多い人の近くに居た方が元気になれるんですね!」
「ええー……」

ぎゅっと二つの拳を作ってニコニコしている蟲柱・胡蝶しのぶ様に気を当てられたような眩暈を覚える。
否全然、あの人のは血の気が多いとかいう度合いの話ではない。鬼を斬る為の刀で私を斬ろうとしているだけの話であって。たまに刀を抜かない日があると思ったら恐ろしい切れ味の"手足"で襲い掛かってくるし。

「前はもう少し相手になれたかと思うのですが、あの人私が此処に居た間におかしいくらい強くなってるんですよ。何に魂売ったんでしょうか」

はあと深く息を吐くと胡蝶様はくすくすと笑った。

「さて苗字さん。診察ですが、最近の調子はいかがですか?」

目を伏せながら万年筆を走らせる胡蝶様にゆっくり首を振る。薬は言われた通りに飲み続けているけれど、月経が再開する様子はない。だけど、"あの日"から既に四ヵ月が経った今、不死川さんの補佐として任務に復帰した私の体は、孕んだ時に起こる匂いへの嫌悪や吐き気を感じる事もなかった。お腹も別段膨らんだ様子はない。

「全然、変わりないです。ただ月経がない分煩わしさはなくなりましたが」
「嗚呼、成程。そんな風に言えるのは心が回復している証拠です。いい傾向ですよ。お薬も希望があれば止めて大丈夫でしょう」

さらさらと文字を書く胡蝶様の横顔は優しく美しい。
そうか、別にやめてもいいならやめようか。
薬を飲んでいると不死川さんはあまりいい顔をしない。

「では今日薬を貰ったらこれで最後にします」
「わかりました」

胡蝶様はピッ、と線を引くと微笑んでこちらを見た。





「後藤さん今夜も居るんですね」
「好きで居るんじゃねえよ……」

夜になり、不死川さんの指示で任務を言い渡された山の中へと後ろをついて分け入る。
最近の任務は全て隠を何人か携えて、仮に不死川さんが突然場を離れても私が一人にならないようにという配慮がなされていた。隠は戦闘に向かないけれど、情報処理や鴉の飛ばし合いに関してはその腕に敵わない。
この後藤さんは一月の間で私達の任務に三回も合同してくれている人だ。

耳に口元を寄せて小さな言葉で語りかける。

「隠の人選ってどうなってるんですか?」
「俺が聞きてえよ。何故かあんたの師匠から文が飛んでくるっていう不思議な絡繰りだ……」

ゾッと顔色を失う後藤さんの表情を見れば不死川さんに対してどういった印象をもっているのかは容易く読み取れた。

「後藤さん面白いし、私は嬉しいですよ」
「いややめてくれよ! あんたのお気に入りになったら常に呼ばるかもしんねえのよ!?」

隠の隊服は姿がバレないようにと目元しか晒されない。それなのにこんなにも色んな情緒を目だけで表現して見せる後藤さんが私はやはり好きだった。

突然前を歩く不死川さんが私たちの前に腕をかざした。瞬時に日輪刀の柄を握り呼吸を深く吸う。後藤さんは音を立てずに息を呑んだ。

「ここ動くなよ」

ザっと草を飛び越えて暗闇に消えた不死川さん。
じっと目を凝らしてその動きを追うが闇が深すぎて見えない。

風の揺れる動きがした。ああ、不死川さんが鬼を斬った。
断末魔さえ聞こえてこない技の精度に心の中で感嘆する。私が"こうなる"前でもきっと今みたいな鬼殺は出来ない。
風の呼吸は水の呼吸のように流れるような動作は出来ず、真っすぐに風の斬撃を打ち込みその鋭さを磨くような呼吸法だ。勿論型によっては旋風のように激しいうねりを巻く物もあるが、基本的には真っすぐ鋭く、一番切れ味の良い呼吸法。つまり結構、繊細な技術がいる。

それ故、容姿はあんな風貌だが不死川さんの剣の技術は物凄く高い。
横暴で乱暴で血の気が多いと思われているし、そうではないと言い切れはしないけれど、不死川さんは凄く技術のある人だし、頭もキレる。

風柱としてその名を馳せるに能う人物。
私は師範の継子で幸せだ。





「――あれえ??」

耳元で聞こえた、声。


「っ」
「わ!」

ドンと後藤さんを押しのけて日輪刀を抜いた。
抜きながら振った刃は空を斬り手ごたえがない。
……あいつ、速い。

「私の後ろに」

深く息を吸い、集中する。
あれは鬼だ、気配がそうだった。なんであんな真後ろに来るまで気づかなかったのか? 気配が全くなかった。
辺りは闇に呑まれて視覚は当てにならない。静かに目を瞑り風の動き、温度、流れを読む。


――また後ろ!


「わあああ! 待て斬るな斬るな!」

振り返り呼吸の構えをすると、確かに感じた後方の鬼の気配は後藤さんの居る場所から出ていた。狼狽し体を軋ませる後藤さん。

何かがおかしい。

「くっそ! なんだこれ、勝手に…!」

ぎりぎりと両手が開き、後藤さんは真っすぐ大きくこちらへ飛んだ。

「うわああああ!」

こんな跳躍を、人間が出来る筈がない。
およそ人間業とは思えない高さの跳躍をし、後藤さんは私を飛び越えた。
そして着地の時に聞こえたぎゃあ!という叫びと、わずかな骨の折れる音。

「後藤さん!」
「た、助けて! これおかしい! 誰かが、俺の体勝手に……!」

後藤さんは涙を零しながら叫んだ。右足があらぬ方向に向いてしまっている。
不死川さんはまだ戻らない。私の手でなんとかしなければいけない。

これは何、鬼の仕業か?
人を操る血鬼術。
必然的に、"あの時"の事を思い出す。


「――ああ、やっぱりそうだよねえ」

「ひい!」

後藤さんの後ろから姿を現す鬼がわずかな月光に照らされる。
全身から汗が吹き出し心臓の鼓動が激しくなった。

「お前、覚えてるよ。前に稀血の子を孕ませたやつだ」

ニィと笑って鋭い歯を見せて、尖った爪が私を指し示す。
こいつは――……!

この鬼は"あの時"対峙した鬼だ。以前とは少し文様が変わっているところを見ると、また何人もの人間を喰ったんだろう。それで力をつけてる。
やせ細っていた体にも威圧感がついて、以前は腕力では勝てない故に己の血鬼術を使い人の血肉を食らっていただろうに、今ではその大きな体躯でなら人間を手で掴んで食べるなど造作もなさそうに見えた。

「でも、お腹出てないねえ。失敗しちゃったの?」

鬼の癖に悲しげに眉を下げて、私を見る。
血鬼術によって動きを封じられた後藤さんは、すぐ後ろに鬼が居る恐怖で言葉を失っていた。

「じゃあ仕方ないから、今夜はお前を食べる事にするよ」

鬼の指が後藤さんの目の下をギリギリと爪で切り裂いていく。

「風の呼吸――、」
「いいの?こいつを盾にするけど。そしたらこいつ死んじゃうよ」

まるで磔にされたように襟首を掴まれて宙に浮く後藤さん。鬼は宣言通り己の前に彼を突き出して盾にし、楽しそうに私を見ている。

「この前もそれで負けちゃったよね」

至極愉快そうな声で笑う鬼。

しかし私は構えを崩さない。
鋭い視線を向けながらも同じように笑ってやった。

「同じ手は喰わないよ」

――――風の呼吸、

一瞬で空気を下半身に送り込む。無理やり両足に血を巡らせドンと地面を蹴った。
この前とは違う。ずっと考えていた。なにが一番最善だったか。
出来なかっただけで、答はあったんだ。

「あんたが盾にするより速く、私があんたを斬ればいい!」

刃が鬼の頸を捉える。
疾風の速さでそれを刎ねる。


筈だった。


「――残念でした」



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