お前に似た花を抱く | ナノ

「お前よォ……」

木刀を肩に担ぎ、開けた合わせ目に腕を吊るす師範は、もの凄く汚いものを見る目で私を見下ろしていた。

不死川さん曰くまずは今の実力の程を見るという事で、彼に風の呼吸で斬りかかる次第になった。
刀は日輪刀でなくとも呼吸は使えるので木刀で代用。
不死川さんは構えもせずに真っすぐに立ち、私の一挙手一投足を穴が空きそうな程見つめている。
私は腰を低く構え全集中の呼吸を使い、一番得意な技で斬りかかった。

の、だが。

技は不死川さんに届くどころか、途中で勢力を失い捻じれた風は渦を広げて散った。
大口を開けてお互いに言葉を失う。そうして冒頭に至る。

不甲斐ない、不甲斐ない。なんという体たらくだ!
蝶屋敷で全集中・常中を止めてしまった事に全く気付かなかった。基礎体力の大幅な低下に加え、呼吸の精度が格段に落ちている。
蝶を眺めるだけなら呼吸くらい続けられた筈だろうに、何をやっているんだ私は。

「何でこれが"癸"じゃないのかねェ……」

盛大な溜息と共に不快極まりないといった顔をする不死川さん。
情けない。こんな事じゃあ折角繋いでくれた継子の関係を早々に断ち切られてしまう。

「申し訳ありません! 私走ります! お屋敷の周り百周します!」
「足りねェわ! 三百周しろォ!」
「はい! 三百周します!」

思い立ったが吉日。善は急げ。猪突猛進!

羽織を脱いで日輪刀を帯革から抜き取り、畳んで縁側に置くと不死川さんに一礼する。そのまま背中を向けて屋敷の門を飛び出した。
本当に、こんな事じゃいけない。
いくら心が鈍っても、体は常に万全でいなければ、不死川さんの補佐に回った所で足手まといになってしまう。
集中し呼吸を正す。軟弱になった物は総じて叩き直す以外に方法はない。

何も考えるな、過去の事は。
全て終わった事だから、もうこれ以上拘っていてはいけない。



「……」

奴の姿が見えなくなってからまた、盛大な溜息が出た。
三ヵ月という時間が果たしてあいつにとって十分だったのかは定かではないが。

門をくぐる前のお前の気配、あれはもう駄目だと思った。
俺に対する畏怖、己への諦念。
あのまま門をくぐってこなければそこまでだった。引き返していればもう二度とお前を此処へは入れなかった。
その方が良かったんじゃねえのか。
お前が自分を傷つけてまで守った人間は裁かれねぇし、鬼は取り逃がしちまうし、散々だろう。

それでも門をくぐって俺の前に立ったお前の目は、あの日と同じ色をしてた。

『風柱・不死川実弥様ですか?』

あの日のお前が重なった瞬間言葉が出なかった。
さっきまで腑抜けた空気を纏っていたお前が、この期に及んで己を確信した目をして戻って来た。
あの目は煉獄と同じだ。
何も諦めない、己を信じて止まない自信過剰な目つき。だからそれが今を招いてんだろ馬鹿が。
灸を据えてやらなければ、また同じ事を繰り返すのが目に見えている。

あの調子じゃ本当に三百周してくるだろう。
見上げると日の位置はまだ高い。今晩の任務は俺一人だな。
どうせ倒れるのはわかってるのだからと、桶に水を張りに邸内へ戻った。





「気持ち悪い……」
「本っ当にお前は期待を裏切らねぇな」

固く絞られた手ぬぐいが顔面に飛んでくる。パンっと張った音で頬を打つそれに「イタッ」と声が漏れた。
朦朧とした意識の中、天井の梁が歪んで見えるのが気持ち悪くて目を閉じる。
三桁だ。三桁いったところまでは覚えてる。その後は全く記憶にない。
不死川さんに水をぶっかけられて路で倒れているのを助けられなかったら、今頃日に焼かれて死んでいた。鬼でもあるまいし、本当に何をしているのか。

「今晩は来るな」
「はい……」

何時間経ったかはわからないが、日は既に傾き黄昏が迫っていた。
鬼が動き始める。鬼殺隊はその頸を斬る為に夜を往く。
徐に不死川さんは私が目の上に置いていた手ぬぐいを掴んで奪うとまた勢いをつけて顔面に叩きつけた。

「痛っ! さっきから何なんですか?」
「灸」
「いや手ぬぐいですけどねえ!」

何を言ってるんだこの人は! と文句を飛ばそうと思ったがあまりにも真面目な顔で見下ろされているので何も言えなくなった。

屋敷に戻ってわかった事がある。
一つはこの人が恐ろしく強くなっている事、それから同じ度合いで丸くなっている事だ。
以前はこんな風に桶に水を張り私の横に座す事など絶対になかった。
倒れたなら立て、立てないならそのまま死ねという方針の人であったから、実は今、物凄く、奇妙な感じがあった。
優しさという言葉が欠落している筈の不死川さんが、甲斐甲斐しく私の看病をしている事が。

「……師範」
「あ?」
「あんまり優しくしないでください」

弱くなりそうで怖いです、なんて言って。
ヘラっと笑うと何が気に喰わなかったのか、不死川さんの額には幾本もの青筋が走り、ビキビキという骨を握る音までもが明瞭に聞こえてきた。
え、あれ? なんで?
明らかに重くなった空気に吹き出す冷や汗。恐る恐る見上げると不死川さんは目を血走らせながら私をぐわっと見下ろしていた。顔にかかった影のせいで目だけがやけにくっきりと私を見ていて、その姿に彼が厭悪している筈の鬼を見てしまう。

「テメェ…俺の厚意を無下にするたァいいご身分だなァ…? お望み通り明日からは容赦しねえからなァ」

ぐっと近づけられた顔にサアと血の気が引く。
額に筋を走らせている癖に口だけは笑っているのが恐ろしくて仕方ない。

不死川さんは最後にもう一度だけ私の手ぬぐいを力いっぱい叩きつけると、怒りの反動でもって立ち上がり襖をスパンと勢いよく開いた。そうしてそのまま行くのかと思いきや、半身振り返って「待機」と私に言いつけると後ろ手で襖を閉め行ってしまった。

「……はあ」

不死川さんが居なくなった事で静かになった部屋の中に私のため息は広がり消える。
『待機』なんてわざわざ言われなくても、文字通り棒になった足は使い物にならない。足手まといになる事くらい解っているのに、そんなにも信用が薄れているならちょっとだけショックだ。

「明日……」

明日から、容赦しないんだ。
『今日から』じゃないんだ。

「…」

やっぱり不死川さんは優しくなった。
多分彼なりの精いっぱいの気遣いなんだと思う。
療養中に蝶屋敷に来なかった事も、先日の事を何も咎めないのも。
自分が"男"だから、変に気遣って。
本当はそんな風にされると余計に意識してしまうから、今まで通りに考える暇も与えないくらい扱いてくれた方が私は良かった。

考えたくはない。だけどやっぱり、考えてしまう。
己の腹を指先で撫でる。
丁度子宮の上あたりを押すみたいに。
私が蝶屋敷から出られなかったのは、心の傷を癒す以外にもう一つ理由がある。

月経が来ない。だから今も薬を飲み続けている。

あの夜の事は、薄ぼんやりと記憶しているだけ。
泥だらけの隊服の上に転がされて私は突き抜ける痛みに耐え続けた。
鬼が私と青年を、嘲笑って見下ろしている。

『彼の子供を産んでよ。稀血のやや子を』

ぞくっと背筋が凍る。なんて卑しい奴……!

稀血の男と人を殺せない鬼殺隊の女。
きっと私があそこに行かなければ、こんな事にはならなかった。
私が女だったばっかりに、あの鬼、血鬼術を使ってあの青年を操って私を襲わせた。
でも私が行かなければあの稀血の青年は死んでいた。そのまま食われて。

結局どうすればよかったかなんて今でもわからない。
血鬼術で操られた青年の力は、私の力では到底敵わないものだった。
不死川さんの鎌鼬を思わせるあの体術が私にも出来ればあるいは――。

長い夜は鬼を斬れない剣士に重く圧し掛かる。
どうか早く、日輪が昇りますように。



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