お前に似た花を抱く | ナノ

「お許しになるのですか?」

読み上げられた文に耳を傾けていた後ろ姿に声をかける。産屋敷はゆっくりと吾輩を振り返り柔らかく微笑んだ。

「二人なら大丈夫だよ」

目を伏せて彼は文を読み上げたかなた殿に下がるよう命じた。どうやら彼にはいつもの如く”見えている”らしい口ぶり。通常であれば御法度である隊員同士の真剣での立ち合いに許しを出すという事はきっとそうだろう。
二人は元に戻れるのだと。


――……産屋敷は間違えたのか?

彼女の文には、日輪刀が色を成さなければ鬼殺隊を去ると書かれていた。そして今、吾輩の目の前で彼女の日輪刀は色を成さないままでいる。

これが産屋敷の見たものか?
これでは彼女は鬼殺隊を去らなければならないではないか。これが正しかったというのか?





終わった。これで、本当に。
私は私の信念を以て刀を振った。
ただ貴方の傍に居たい一心で、呼吸を成して貴方と刀を交えた。

それでも私の刀は色を成さなかった。
これ以上はどうしたって無駄だ。
刀を握り締めて顔を隠したまま、私を見下ろす不死川さんに告げる。

「……お館様にお約束しました。
私が貴方と刀を交え、それでも日輪刀が色を成さなければ鬼殺隊を去りますと」

涙で声が震える。
信じていた、私なら日輪刀の色を取り戻せると。呼吸が完成して、それでも色が変わらなかった時、やらなければならないと決めた時から確信していたのに。

不死川さんは私の腕をそうっと掴んだ。そして私の泣き腫らした顔を見て苦しそうに眉を寄せた。

あんなにも煩かった蝉たちはもうどこにも居なかった。ただ頭上を流れていく風が、竹林の葉を揺らしさわさわと切なげに音を立てている。

いつの間にか涙は止まり、ただ茫然と空を飛ぶ鳥の姿をじっと見ていた。
……立たなきゃ。
体を起こそうとするとそこら中に痛みが走った。ああ、本当に満身創痍だ。でもこれでよかった。中途半端な呼吸だったらきっと、もっと後悔していたから。

不死川さんは私が起き上がるのに手を添えてくれた。相変わらず何も喋らない彼が何を考えているのかなんてわからないけれど。

向こうの方に折れて地面に刺さったままの刃を見つけた。はっとして不死川さんの手元を見れば、折れた刃が残っている柄をまだ握り締めている。
折っ……て、しまった。
風柱という、鬼殺隊の主戦力の彼の日輪刀を折ってしまった。去り際まで私は皆に迷惑をかけてしまうのか。

私の視線に気づいた不死川さんは黙って折れた刀を納刀し立ち上がると地面に刺さった刃を抜き取り手ぬぐいに包んだ。私はただぼうっとそれを見つめて、不死川さんが振り返ってからやっと自分の日輪刀を納刀した。

鍔鳴りが響き、訪れる静寂。
不死川さんは立ったまま、私は座り込んだままで視線すら合わない。

その時竹林の間から私の鎹鴉が現れて私の前に降り立った。お館様の鴉は見当たらないから、恐らくもう報告に行ったのだろう。

「……お館様の所へ」

私の手元へすり寄って差し出す頭を撫でてやると彼は首を傾げるようにした。

「行って」

少し語尾を強くすると彼はすぐに飛び立った。
これで間違いなく今回の事は伝わるだろう。
間もなく私は、鬼殺隊の人間ではなくなる。

私はのろのろと立ち上がってなんとか足を踏ん張ると不死川さんの所へ行った。彼は私が正面へ行こうとも、俯いたまま一点を見ていた。

「不死川さん」

呼びかければそろそろと上がる視線。……ああ、なんでそんな目をするんですか。

「……少し、歩きませんか」

そう言って笑うと彼は目を伏せた。
私が横に並んで顔を伺うと彼は何も言わずに私の手を取って歩き出した。
大きな手が私を包んでいる。緩く握られる感触に胸の内が熱くなった。

お互いにボロボロの姿で階段を下る。日は少しずつ傾いて、竹林が西日を遮っていた。
このまま暗くなれば不死川さんは任務に行かなければいけないのに、私が日輪刀を折ってしまったからか、私を気遣ってか、不死川さんはとてもゆっくり歩いた。

「……黙っててごめんなさい。
でも正直に言ってたら、不死川さん絶対に日輪刀を抜いてくれないと思ったから」

一段一段確かめるように階段を下っていく。不死川さんは黙って私の話を聞いている。

「不死川さんに継子を解消された時、どうしたらいいかわからなかった。もう二度と貴方の隣には居られないんだって思うと、悲しくて仕方なかった。甘露寺様の元に行かされたのは、遠回しに鬼殺隊を辞めろって言われてるんだとわかってました。でも私はどうしても此処を去る決心がつかなかった」

草むらから蟋蟀の鳴き声が静かに響き始める。
日中あんなに暑かった空気も幾分か涼しい風に変わっていた。空が橙から群青へと変わっていく。

「もう継子に戻れないのなら、私は柱になって貴方の傍に居ようと思ったんです。その為には新しい呼吸法を生んで、貴方に勝たなきゃいけなかった。そうすれば日輪刀の色も戻ると思ってました」

全部失敗だったけれど、と言えば不死川さんの手に少しだけ力が籠った。自嘲気味に笑って私は続ける。

「……日輪刀の色が変わらなくて、鉄池さんに会いに行きました。彼は私に鬼を斬る力はあるけれど、信念が弱いのだと言ました。私の信念は『人を守る』事でしたが…、いつの間にか、不死川さんの背中を見て貴方を守りたいと思っていました。貴方がいつか信念を貫き通してしまったら、帰ってこれなくなったら、私が傍に居たいと」

いつの間にか私達は指を絡めて手を握り直していた。初めて体を重ねた時のような握り方で、少しだけ腕を引かれると肩が触れ合う。懐かしい匂いが鼻を掠めて目頭が熱を持った。

「――……夢を見ていました。いつか鬼が居なくなって私達が刀を手放した時。生きる意味を失ってしまった時に、何の為に生きればいいのか迷ってしまった時に。私は貴方の為に生きたかった。傍に、居たかった」

もう叶わない未来を紡ぐ言葉が痛かった。
もう少し何かが違っていたら叶えられたんじゃないの?もっと素直で居られたら、もっと早く伝えていれば何か変わったんじゃないの?
不死川さんは足を止めて私を抱き寄せた。平衡を失いそのまま傷だらけの胸の内に納まる。上からぎゅうと包まれるようにされて、背中の『殺』の字を握るように腕を回した。体の中から堰き止められていた感情が溢れ出して堪らなかった。胸が痛かった。

「私が斃れても、魂が帰るのは貴方の所です。それは鬼殺隊を去っても変わりません」

震える声で言えば、不死川さんは頭の後ろに手を回して強く強く私を抱きしめた。肩口に顔を押し付けたまま、幸せで、同じくらい悲しくて泣いた。

「お傍に居れて幸せでした」



―――…


その後の事の進みは早かった。

隠の人は私の日輪刀と隊服を回収し、今後鬼殺隊に関わる全ての人・物に近付く事、接触する事を禁じた。

甘露寺様、蛇柱、胡蝶様。

誰にも何も告げずに来てしまった私はもう二度と彼らと言葉を交わす事が出来ない。
突然居なくなった私の事をどう思うだろう。不死川さんがどうか、上手く説明してくれるといいのだけれど。

鉄池さん。

私の日輪刀だけを打ち続けた彼は、刀匠の里でどうやって生きていくというのか。
どうか彼が私の育手の言葉に縛られず、他の誰かの刀を打ってくれるようにと願う。

玄弥くん。

同じ志を持っていたのに、一度きりしか話す事が出来なかった。本当なら半年後の柱合会議でまた会って話したかった。不死川さんと会わせてあげたかったのに。





私は約束を果たせなかった。
鬼殺隊・苗字名前だった私は、とうとう何者でもなくなってしまった。




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