お前に似た花を抱く | ナノ

蛇柱は私に稽古をつけなくなった。
目がいけないのだと彼は言う。

『そんな目で刀を握っている内は俺の前に姿を見せるな』

彼はそんな事を言って恋柱邸に来なくなった。
甘露寺様は相変わらず私の無鉄砲に付き合ってくれたけれど、いつも悲しい顔をしていた。
私が刃を振って倒れそうになる度に飛んできた。隠れていても飛んできた。申し訳ないと思う。

私は間違っているんだろうか。
自分の信念を突き通そうとする度誰かが怒っている。誰かが悲しんでいる。

じゃあどうすればいいの?
信念を捨てて、刀を捨てて、何もかも捨てて、私は何処へ行けばいい?

もう私の居場所なんてないのに、答えを持たない私はいつまでも彼に執着してしまう。滑稽だ。彼はとっくの昔に私の事を見限っているのに、どうしてまだ隣に居たがってしまうのか。

私は救いたかった。
鬼に苛まれた心を、いつまでもその胸の内に巣食う憎しみで振われる刃が、己を傷つけてしまわないように。

私は守りたかった。
いつか貴方が己の信念を貫き通しても帰ろうと思える場所を、心の拠り所で居られたらと。


『だったらもっと強くなれ』


馬鹿だって笑ってくれればいい。
私に出来る事なんてもうこれしかないんだ。

強くなるから。ちゃんとするから。

だから置いていかないでよ。


――――…


恋柱邸にもすっかり夏が来た。
どこへ行ってもついて回る煩わしい蝉の声。刺すような日の熱さに縁側の影はよりくっきりと形を成していた。

刀を振っている間に桜の木々は余すところ無く青葉を茂らせた。その下に出来た虫食いの様な影の中をいつもと同じように刀を携えて行く。
今日が何か特別だったのかと後から聞かれれば別段そうでもなかった。ただ私の胸の内には、寝床で目を覚ました瞬間から一つの鮮烈な思いが芽生えていた。

今日だ。

不思議なほどそう思えた。
何故かと聞かれても答える事は出来ないが、張り詰めていた心がふと、ぷつんと音を立てて切れたような感覚と、その後に訪れた沈着がそう思わせたのかも知れない。

手足が千切れるような思いで一途に刀を振った。
肺がおかしくなるくらい呼吸の使い方を変えた。
文字通りに血反吐を吐く努力を重ねて、とうとう「今日」が来たらしい。

辿り着いた此処も多分もう、今日限り来ないだろう。

「――……壱ノ型」

大きく風が舞う。
落ち葉が舞い上がって渦になる。

刹那の事だった。
全てが塵のようになって風に攫われる。
はらはらと落ちてくるその様はまるで桜の花弁のようだった。

風はない。
切っ先を振るようにして納刀する。静かで重い鍔鳴りが小さく響いた。

「おいで」

近くの岩で羽を広げていた鎹鴉は、指を振ればすぐに肩に乗って来た。何度か頭を摺り寄せるようにすると一つ啼いてみせる。
私は隊服の衣嚢から一枚文を取り出して彼の足に括りつけた。この文はもう随分前にしたためてずっと持っていた物だ。心が変わってしまわないようにという念を込めて。

「お館様に」

指で頭を撫でてやると彼は満足そうにして肩から飛び立った。日輪に飛び込むように飛んで行った彼の姿を手で影を作って仰ぐ。

そこには散らばった葉の屑と、私と、円になって広がる薙ぎ倒された木々たちの無惨な光景だけが在った。私はその丁度中心に居て、もう見えなくなった彼の姿をいつまでも追うように空を仰いでいた。

風はやはり吹かなかった。
まるで私の心を映しているかのように。





夏の生ぬるい風。
べたついた体の汗を余計不快にさせるような温度の風が開けた隊服の内に入り込む。
もう少し日が傾けば幾分か過ごしやすい温度になるだろうが、日輪は容赦なく頭上から俺の背中を炙る。鬼なら当然焼け死ぬ温度だが、これじゃ人間もどうだかな。

一つ呼吸を置いてから構え直す。
無駄な事を考えるな。

――風の呼吸、


「精励していますね」

後ろからかけられた声に勢いよく振り返る。
一羽の鎹鴉が縁側に止まっていた。

首元に飾り房をつけて俺を射ぬく小さな体躯。
あれは、お館様の鎹鴉だ。納刀しすぐ膝をつく。

「お褒めに与かり光栄です。態々のご足労を頂き恐縮に存じます」
「ああ、実弥。産屋敷の遣いといえど吾輩はただの鴉です。貴方の産屋敷に対する欽慕は素晴らしいものですが、吾輩にまでそのように頭を下げていてはいけませんよ」

彼の言葉に顔を上げれば小さな双眸は真っすぐに俺を見つめていた。

「吾輩が此処にきた理由がわかりますかな?」
「申し訳ありません。俺には分かりかねます」
「貴方を迎えに来たのですよ、実弥」

迎えに来た…?
彼の言葉に困惑する。相変わらずその目は俺を真っすぐ見ているがその感情は伺い知れない。お館様は一体何をお考えなのか。

「ついて来てください。今に解ります」

そう言うと彼は俺の肩に飛び乗った。状況が飲み込めず困惑するが、迎えに来たというのだから行かなければならない。立ち上がり門に向かって歩き出す。と、彼は「ああ」と思い出したように俺に少しだけ視線を寄越した。

「日輪刀は必ず、持って来て下さい」

――……何故わざわざ念を押すのか。
鬼殺隊、延いては柱ともなれば常に日輪刀は腰に携えている。俺の顔は益々怪訝になった。一抹の不安が胸に過る。喉元まで詰まるような不快感が溢れて苛々した。

「千年竹林はご存じですかな?」
「はい」

そこに向かえと、彼は言った。
あんな辺鄙な所へ日輪刀を携えて何をしに行くのか。任務であれば俺の鴉が伝えに来る筈なのに、わざわざお館様の鴉が来たのもわからない。
まるで主語のない命令に疑念が生まれたが、すぐに考えるのは止めた。
彼の意思はお館様の意思だ。鬼殺隊に於いてお館様の命令は絶対。考えること自体が無駄なのだ。





竹林へ向かう道中彼は何も語らなかった。
全部自分で見て確かめろという意思の現れだろう。

山道を進み竹林に続く階段まで辿り着いたが、頂上までの道程は嫌になる程長かった。
何か目的でもあればいいが、俺は今何に向かって歩いているのかも、この石のきざはしの先に何があるのかもわからないまま歩いている為に、心の内は徐々に苛立ちを抑えられなくなっていた。

一体この先に何がある?
日輪刀を持って来いというのだから鬼に違いはないだろうが、どうしてわざわざ此処を選んだのか。考えても無駄だと言うのに心はいつの間にか答えを欲している。ああ、クソ、蝉が五月蠅い。

突然、彼は俺の肩から飛び立った。気付けば階段は終わり、竹林道の真っすぐ伸びた道の先に開けた場所があるのが目に入った。彼は真っすぐにそこへ飛んで行き、一人の隊士の肩に止まった。

――……誰だ。

背を向けたままの隊士の背丈、髪の房、日輪刀の鞘の色を見て呆然と、心を手放したように立ち尽くした。
振り返ったその顔に、足が張り付いたように動かなくなる。

ああ、最悪だ。
何だよそれ。

俺に何を斬らせるつもりだ。

地面に足を張り付けたまま動かないでいたら、あいつは少し待つ素振りをしてから此方に近付いてきた。

くそ、くそ、くそ。
俺はそんな目をさせる為にお前を遠ざけたんじゃないのに。

死にに行く奴らと同じ目をしやがって。

「不死川さん」

正面まで来て名前は俺を射抜いた。

「お久しぶりです」

張り付けたような笑顔で俺の前に立つお前は、別人だ。お前の皮を被った別の何かが、上手く貼り合わせた笑顔で俺の名を呼ぶ。

「――……刀、抜いてください」

さっきまであんなに鳴いていた蝉の声が一瞬にして、止んだ。
反射的に柄に手を伸ばし抜刀する。鉄のぶつかる音が鳴り響いた。



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