お前に似た花を抱く | ナノ

刀鍛冶の里から帰ってきた奴の目の色が変わっていたのは刀を交えずとも容易にわかった。
何が奴をそうさせたのかはわからないが、稽古の太刀筋も今までの動きとはまるで違い、繊細さを欠いた粗削りな力業で俺の攻撃を封じて攻めてくる。呼吸の型も何も、それ以前に握り方も動きもまるでなってない。刀を初めて握った人間が見よう見まねで刀を振るうような様に怒りが沸き上がった。
お前が刀鍛冶の里で一体何を得て帰ってきたのかは知らないが、今まで苦労して矯正した動きも生かせていた動きもすべてが無駄になっている。つまり、俺が稽古をつけた時間が全て無駄になっている。

「愚か者が!」

つい頭に血が上り同じような力業で返そうと腕を捻った瞬間、フッと力を抜いた柔らかい太刀筋が俺の切先を掬い、手の内の木刀を弾き飛ばそうとする。瞬きにも満たない間にすぐ太刀筋を変えてその切先をかわすと、今度はまた力業の太刀筋が飛んできて、緩急をつけたせいで出来た一瞬の隙に俺の手の中から木刀が弾き飛ばされた。
それが落ちたガランという大きな音ではっとする。目の前のヤツは表情を変えないままで次の構えをした。
……こいつ。

「手練手管で、鬼は斬れんぞ」
「はい」

目の色が今までと違う。
これまでも何度か手合わせをする中で何かを見つけた時、身につけた時、その目の色は変わっていたが今回のは違う。
まるで己の命さえ投げ出して、ただ一つの事を成し遂げようと覚悟を決めた時の顔つき。
何も恐れていない。例えその志半ばで斃れようとも、それを全うしようとした己の意思を汲むような目だ。

――……愚か。

鬼殺隊は鬼を斬ってこそ存在意義があるというのにこの娘は今、鬼を斬らずして己が息絶えようとも構わないという覚悟を体現しているのだ。
だがその覚悟を如何にかするなんて事は俺が出来る事じゃない。
何かを成し遂げる為に命をかけた人間が、他人の言葉でそれを揺るがせる事などない。そんな事はとうに知っている。

次の一手はまた違っていた。わざわざ矯正した不死川の太刀筋をまるきり同じに出してきて、結局俺に木刀を弾き飛ばされて構え直した。
何度も何度も木刀を弾かれては時々頭を使って俺の木刀を掬おうとするやり方は、何かを探っているようにも感じた。流し方か、繋ぎ方か、あるいは全てか。
とうとう俺の握っていた木刀が折れたところで今日の訓練は終わりにした。今までと明らかに違う動きの連続に体力を削がれた奴は、床に両手をついて酷使した足を震わせていた。
決して手を抜いていた訳ではないが、俺も何度か木刀を奪われた。これを素直に教え子の成長として喜ぶ事が出来ればよかったが、どうしてもあの目の中にチラつく自己犠牲の覚悟が引っ掛かって仕方ない。

お前は今、何の為に刀を振るっている?
それを問いかけようとも奴が答えないのは明白だった。





「呼吸の型を?」
「はい」

丁度夕餉の煮物に箸を伸ばした時に話しかけられ手が止まる。名前ちゃんは向かいに座り、よそったご飯とお味噌汁を前にしたままお箸も持たず真っすぐ私の視線を捉えた。
…どうしてだろう、胸がざわつく。

「恋の呼吸の型を全て、教えて頂けませんか」
「勿論いいわよ。でも急にどうして?」

持っていたお椀とお箸を置いて同じように向かい合う。名前ちゃんの目は以前と違って鋭い。刺すような視線は、黙って向かい合っていると威圧されているようで少し竦んだ。彼女がこんな風になってしまったのは、刀鍛冶の里から戻って来た日からだった。

里から戻って来た名前ちゃんはお土産の饅頭を放るようにして机に置くと真っすぐ道場の裏の方へ行ってしまった。以前ならば私に戻りましたと言って直接饅頭を渡してくれていた筈の彼女が、まるで何かに追われているかのような様子で行ってしまうのをただポカンと見ているしかなかった。

道場の裏にある林の中で一体何をしているのかと物陰から覗き込んでみれば、彼女は木刀ではなく日輪刀を抜いてじっと立っていた。
切先を地面に向けたままで、私にはその背中しか伺う事が出来なかったけれど、彼女は何かを思い描くようにしてゆっくり構えた。

風が舞う。

風の呼吸は恋の呼吸とは違って真っすぐで鋭い。でもそれが、あんなに曲がった太刀筋で成り立っているのは何故?
あんな型は見たことが無い。不死川さんの風の型を全て見たわけではないから、もしかするとそういう型があるのかも知れないけれど。
でもあの粗削りな動きはどう見ても既存する型には思えなかった。あれではいつ己を傷つけるともわからない太刀筋だ。
彼女はまた違う構えで、今度は風の呼吸を使った。

『壱ノ型 塵旋風』

林は奥に向かって大きく抉れた。その威力は彼女よりも上の階級の剣士に引けを取らないように思える。だけど何故それだけの力があるのなら彼女の日輪刀は色が変わらないの?

多分名前ちゃんは刀鍛冶の里でその答えを得て帰って来た。だから今までとは纏う空気も目つきも、変わってしまったのだろうと思う。
少し寂しい気もするけれど、きっとこれでいいのよね。

名前ちゃんは相変わらず鋭い目で私の事を見つめていた。

「…私が恋の呼吸を極められない事はわかっています。その上でこんなお願いをする無礼をお許しください」

目を伏せながら名前ちゃんは言った。

「私はもう風の呼吸を使っていてはいけない」
「どういう事……?」
「……今の私では風の呼吸を極める事も出来ません。以前私の日輪刀は常盤に成りましたが、今はその色が戻る事も無い。恐らく風の呼吸から新しく呼吸を派生させなければ、私の日輪刀の色が変わる事はないでしょう」


――それが、彼女の得た答え何だろうか。

不死川さんの継子を破門になってもう彼の元へ戻れなくなった名前ちゃんは、風の呼吸まで手放してしまうの?

二人が戻る事は、本当にもう出来ないの…?


「甘露寺様」

名を呼ばれてはっと顔を上げる。その時の名前ちゃんの瞳は、以前のように優しく、憂いを帯びた切ないものだった。

「私は必ず鬼殺隊に戻ります」

……ああ、そうか。私は間違っていた。
彼女が成し遂げようとしているのは、鬼殺隊の剣士としてのあるべき姿を取り戻す事だ。

不死川さんへの想いがあることはわかっていた。
だけど名前ちゃんは女として不死川さんの元へ行くのではなく、鬼殺隊の剣士として彼の傍に在ろうとしている。
それは決して風の呼吸が無くなったからからといって叶えられない事ではない。
彼女ならきっと、出来る。

「……わかった。全身全霊で名前ちゃんに恋の呼吸を教えてあげる」

すっと手を差し出すと、名前ちゃんは少し驚いた顔をして「お願いします」と言って手を握った。





私はどうやら恋柱・甘露寺蜜璃という女性を見誤っていたらしい。

「参ノ型 恋猫しぐれ!」

道場の中で見せる彼女の型はおよそ常人に成せる技の動きではない。
まずその柔軟性が類を見なかった。蝶屋屋敷でのほぐしが可愛く見えるほど彼女の体は柔く動いた。
そしてその太刀筋の速さ。蛇柱から聞いた彼女の特異体質が生きるそれは、正直不死川さんの一刀よりも早い。後から聞いた話だと、あの体躯の大きな音柱様よりもその太刀は早いらしい。
……音柱様って元忍だった筈じゃ。

だけど自分の扱う呼吸よりもかけ離れた形の呼吸を学べる事は、今の私にとって好都合だった。新しい呼吸の派生には"風"に合う要素の掛け合わせを続けていくしかない。

新しい呼吸を完成させて、私はやらなければならない。己の信念を以て日輪刀の色を取り戻す為に。そして守る為に。
これが正解かどうかはわからないけれど、今まで散々間違ってきたのだから。
もう進むしかない。

「もっと早く!」
「はい!」



動け、動け、動け。
私は出来る、鬼を斬れる。

私は鬼殺隊・苗字名前だ。


――風の呼吸、
――恋の呼吸、

『壱ノ型』


「貴方は私が斬りますから」


他の誰にも貴方を斬らせたりしないから。



ぶわりと風が舞う。腕が千切れそうな程の旋風が舞い上がりたまらず木刀を手放した。
天井にぶち当たったそれは弧を描いて落下し転がっていく。

「っ……」

足に力が入らない。
たまらず膝をつくと甘露寺様が駆け寄ってくるのがわかった。
耳の中に鼓動だけが響いている。籠った音で甘露寺様の声がよく聞こえない。

ぐわり、視界が歪んだ。

両手をついて呼吸をするが上手く出来ない。
今のは何……? 呼吸が重なった…?

意識が飛びそうになるが、歯を食いしばって耐える。こんな事で、持っていかれるな。鬼だ、鬼が居ると思え。立たなければ殺される。こんな軟弱な体で何が出来るというのか。立て、立て、立て!

「名前ちゃん!」

呼ばれた声にはっとすれば、両ひざをついたまま甘露寺様に肩をゆすられていた。今、どれだけの時間気を失っていた…? 数秒、数分?
どろっと何かが滴る感触。視線を下ろすと血がぽたぽた落ちていた。

「すみませ、……」

慌てて拭うと鼻血が出ていた。手で押さえながら立ち上がろうとするが足に力が入らない。指の間から流れ出る鮮血の勢いは治まる様子がない。

「大変……!」

甘露寺様は急いで私を背負って屋敷へと走った。ああ、血が。廊下にも、甘露寺様の御髪にもついてしまう。
くらくらしながら甘露寺様の手当てを受けて、しばらくすると出血は止まった。甘露寺様の髪についた血も同じように固まってしまった。

「すみません」
「気にしないで。それより……」

甘露寺様は私の正面へ座した。文字通り膝を突き合わせる距離に自然と視線が下がってしまう。

「さっきの呼吸はどうやったの?」

じっと私の顔を見つめているのがわかる。咎めるような声音に思わず口を噤むが、甘露寺様が何も言わないので私は答えるしかない。

「自分でもよく、わかりません。ただ、風と恋の呼吸が重なったように感じました。型はめちゃくちゃでしたが……」

目を伏せたまま言えば、甘露寺様は私の両手をとった。そのままぐいとひっぱられて視線がぶつかる。

「新しい呼吸を成す事は素晴らしい事よ。私達鬼殺隊の剣士はそうやって呼吸を枝分かれさせていったわ。だけど、あの呼吸を使うにはまだ危険すぎる。血だってこんなに出るのは負荷が大きすぎる証拠よ……」

悲しげに瞳を揺らす甘露寺様を見て眉が下がる。この人は本当に、誰でもを平等に愛してくれる。こんな私でさえも見限らずに。

「ご心配をおかけして申し訳ありません。でも私は、やらなきゃいけない」

私の目は甘露寺様にどう映っていたのだろう。
とうとう泣き出してしまった甘露寺様にかける言葉が見つからない。
この人は私なんかの為に泣いてくれるんだ。
なんて優しい人だろう。
なんて愛情の深い人なんだろう。

「死んでしまうわ……」

ぼろぼろと落ちる涙が心を締め付けた。

ごめんなさい、ごめんなさい甘露寺様。
だけど私はもう決めたんです。
あの人の傍に行くためにはこうするしかない。
たとえ間違っていてもいいんです。

私が生きているのは、この刃を振うのは、全部あの人が居るからなんです。

今の私はもう既に死んでいるようなものだ。
死ぬ事よりも、生きて嫌われる事の方が、傍に居られない事の方がずっと苦しい。


私は不死川さんの為に、いきたい。



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