お前に似た花を抱く | ナノ

お館様へ向けて刀鍛冶の里へ向かう許可を申請すると、数日してすぐに案内役の隠がやって来た。
甘露寺様には必ず温泉に浸かるようにと何度も念を押され、余裕があったら饅頭も買ってきてくれとお遣いを頼まれた。お小遣いまで渡そうとする彼女をなんとか宥めると、隠を散々待たせての出発となった。

隠に背負われて里に向かう道中、私は己の日輪刀について考えていた。
剣士としての技倆を失ってから、甘露寺様の元で訓練を続けて、少しずつではあるが確実に力を取り戻している感覚はあった。けれども未だ日輪刀に常盤の色が甦る事はない。
ただの力不足か、それとも私の体はもう刀を振るう事が出来なくなってしまったのか。

自分の中にその答えを持たぬまま、鉄池さんの元へ行ってもいいのかと何度も不安になった。しかし同時に、私に力がないと言った彼なら何か、違う答えを持っているのではないかという期待もあった。
結果がどうであっても、私は彼に聞かなければならなかった。
私の日輪刀"だけ"を打ち続けた、彼にしか見えない私の姿が、日輪刀が、今どのようにその瞳に映っているのかを。





里に到着し、案内役の隠と別れると真っすぐ長の家へと向かった。
家人に案内された部屋に鎮座して居られた長は、以前私が風柱の継子として訪れた時の事を覚えていて下さった。会話の口ぶりからして、私が継子を破門になった事は恐らく伝わっていない。私は自分からその件について言及する事はしなかった。
怪我をしてから日輪刀が色を失い、もう一度色を成す気配が窺えないので刀を打った鉄池さんに会いに来た旨だけを伝えると、長は「……ほうか」と零し、「ま、頑張りや」と続けて私に退室を促した。

挨拶を済ませると、記憶を頼りに鉄池さんの工房のある方へと向かった。工房は里の中でも奥まったところの、その更に山の中に隠れるように建っている。
道中すれ違う刀鍛冶の人たちは、里に常駐している以外の鬼殺隊士が珍しいのか、私の事を振り返ってじろじろと見ている。時々日輪刀を舐めるように見る者までいるので、その刀を一度抜いてくれないかと言われては堪らないと思い、日輪刀を隠す様にして歩いた。

私は己の携えるこの日輪刀を、決して飾りだけの鈍などとは思っていない。
この刀は刀匠・鉄池乙心が鬼を斬るという純然たる一念を以て打った無上の一口であるとわかっていた。彼の刀がいつもそうであるように。

『刀は信念を映す』

彼ら刀鍛冶は鬼の斬れぬその腕で、己の信念を"刀"という形にする為に何度も鉄を叩いてはその一念を込めていく。そして鬼の斬れぬ刀匠の一念を携えて剣士は戦場へと赴くのだと。
これは私が最終選別で藤襲山に行く前に、私の育手が嘗て己の携えていた日輪刀を私に渡す時語った言葉だ。

鉄池さんの椿堂は、育手の刀"だけ"を打った人だった。
育手は彼の息子を私の日輪刀"だけ"を打つ刀鍛冶として私につけるよう椿堂に頼んだ。そして今はその通りになっている。

私達の師はお互いを己の一部として認識し合っていた。
互いの信念を以て鬼を斬るのだと。

私と鉄池さんはまだ二人のような関係にはなれていないと思う。
鉄池さんは私の事を見透かしているように思えるが、私にはまだ彼の心の内が見えずにいた。
だからこそこうして刀鍛冶の里に赴き、鉄池さんの元へと向かう足取りは決して軽くないのだ。
彼が何を思い、どんな言葉を投げかけてくるのか、私には全く予想できない。

工房までの道程は申し訳程度の階段が作られているだけで、ほとんど勾配の急な獣道に近い。
平時であれば一段飛ばしで駆け上がれるこの道も、足首がまだ万全ではない今は、一歩ずつ踏みしめて登らなければならない為に、とてつもなく長く感じた。
息を切らせて四半刻強、やっとその頂上が見えてきた。そしてそこに立つ火男の面が私を見下ろしているのも。

鉄池さんはただじっと私がそこへ辿り着くのを待っていた。
汗を拭い、やっとの思いで彼の前まで行くと、彼はじっと私を見てから空気を柔く解いた。

「来る頃だと思っていました」

彼の言葉に、私は息を乱しながらも深く礼をする。すると彼も同じようにした。

不思議な人だなと、思ってはいたが。
私が鉄池さんの元へ、ないしは刀鍛冶の里へ向かう事についてはお館様にしか文を出していない。だから彼が何故私の来訪を予知したのか、来る頃だと思ったのかはよくわからなかった。

私を促す様にして体を翻す彼の後ろをついて歩く。そのまま建屋に入り客間に通されると、何故か既に用意されていたお茶とその茶請けを挟むように座布団が敷かれていた。彼との付き合いの中で、もうこれくらいでは驚かなくなった自分に気付き、慣れという奴は時に常識すら変えてしまうのだなと苦笑が漏れた。

下座に座ると、鉄池さんは正面に座して私たちはしばらく見つめ合う。
こうして言葉を交わさずに互いの心情を見合うのは、我々の師がやっていた事を見よう見まねで始めた遊戯に過ぎない。私には面越しに顔を晒さない彼の心の内は読めずにいた。
しかし鉄池さんはその面の向こうにある双眸で確実に私の心を見透かしてくる。
私が何かを語るよりも心を見た方が嘘がなくて良いと、昔彼は言っていた。
私にはよくわからなかったが。

「良い顔になられた」

鉄池さんは拳を膝の上に置いて頷いた。

「日輪刀はまだ色を成しませんか」

単刀直入、というのは正にこういう事を言うのだろう。
彼が私の顔を見て何を読み取ったのかはわからないが、何故此処へ赴いたのかという事は間違いなく伝わったようだ。
私は黙ったまま日輪刀を帯革から抜き、彼の前へと差し出す。

「ご明察です。私の日輪刀はまだ色を成しません」

鉄池さんは私の手から静かに刀を取り、刀身を鞘から引き抜くと明かりの下でじっくりとその艶を覗く。

「……」

面の下の表情は伺えないが、その纏っている空気が神妙であることは肌に伝わって来た。刀区から切先までをその形に添って味わうように見た鉄池さんはすっと面を上げて真っすぐに私を見た。

「泣いてますよ」

……誰が、とは口に出来ない静寂だった。
私が面食らった顔で黙っているのを正面から垂れ眉の火男が見ている。
私にはどうも彼の面が泣いているように見えたのだが、その手の中にある日輪刀がすうっと光ったのを見てはっとした。

「日輪刀が……ですか」
「はい」

至極当然といった様子の彼に眉を寄せる。

「泣くものですか」
「ええ、泣くものです」

では何故泣いているのか、という事を尋ねるのは流石に憚られた。
自分の腰に携えていた日輪刀が泣いていた事に気付かず、あまつさえその理由すらわからずに答えを求める事など、その刀を打った刀鍛冶からすれば愚行でしかないだろう。

しかし私には何故日輪刀が泣くのかわからなかった。
私が未熟であるばかりに色を成せない事を嘆いてだろうか。あの常盤に戻れない事を悲しんで、泣いているのか。

「日輪刀は持ち主に応えると申し上げましたね」

鉄池さんは日輪刀を鞘へと戻し手許へと据えた。

「この刀は今、貴方の信念に応えようとしている。けれども貴方は"彼"にそれを伝え切れていない」

鉄池さんの言葉に、あの雪の降る霜月の情景が鮮やかに甦ってくる。

「貴方には今、そのお力がない」

彼、とはきっと日輪刀を指しているのだろう。

「信念……ですか」
「ええ」
「色変わりしない事を嘆いているのではなく?」

鉄池さんは左右に一度ずつ首を振る。

「いい顔になったと言ったでしょう」
「はい」
「貴方にはもう十分、鬼を斬る力がある」

紡がれた彼の言葉に困惑した。
力があるというのなら、何故私の日輪刀は色を失ったまま泣いているのか。

「貴方は何故鬼を斬りますか」

差し出された日輪刀。脈絡のない質問に多少戸惑いながら、彼の手からこれを受け取るのに私はその答えを間違えてはいけないと悟る。

何故鬼を斬るのか。

私の信念の根底にあるのは、幼き日の私が見た光景。友人が鬼に喰われ、その鬼の頸を月光に照らされた日輪刀が斬り落とした、あの欣悦。

「人を、守るために――」
「"人"とは、誰か」

言い終わらぬ内に鉄池さんが問う。
私はぐっと言葉を飲み込み、間違えないように慎重になった。けれども、すぐに応えられずに狼狽えてしまった事の方が間違える事よりも不味かった。

「ああ、それではいけない。以前の貴方ならすぐに応えられたでしょう」

溜息のような言葉に息が詰まる。決して威圧されている訳でも罵倒されている訳でもないのに、その言葉の一つ一つが圧し掛かるように重い。

「人を守ると言えば聞こえは宜しい。ですが全ての人を守るというのは浅はかな信念です。仮にこの里が鬼に襲われても、貴方は此処に辿り着く事さえ出来ない」

すっと下ろされた日輪刀を追うように、私の視線も落ちていく。鉄池さんの言っている事は尤もだ。私は結局"人を守る"と嘯いても、己の目の前に居る人間しか守る事は出来ない。

「貴方は誰のために刃を振いますか。その心は誰のために在りますか」

鉄池さんの言葉が体の底の方へ落ちていく。

私は何故鬼を斬る。
誰のために刃を振う。

ただ一つ、思い浮かんでくるのは。

「日輪刀の色は、ただ呼吸の適性を見るものではありません」

鉄池さんの諭すような声音に顔を上げる。

「貴方の心を、信念を映し、剣士足りえる者であるか。それを決めるのは鋼の方です。
今の貴方の信念は、私がこの刀に込めた私の信念よりも弱い」

鉄池さんの言葉にまた視線が落ちそうになる。
私の信念は両親を守る事だった。
あの古い家に二人残してきてしまった両親を、近くに居なくとも鬼を斬る事で守りたかった。
だけど、鬼殺隊に席を置いて階級を上げていく中で、鬼に成ってしまった人達の痛ましい程の連鎖を、その心を、鬼に成ってまで永らえようとした思いを沢山見てきた。
そして残された人たちの悲しい張り詰めた心を、己を顧みようともせずその刃を振うあの背中をずっと、見てきた。

私の信念は変わっていた。
守りたいものが変わっていた。

「鬼殺隊が何の為に存在するのか、何故刃を振うのか。今一度考えられよ」

鉄池さんはもう一度私に日輪刀を差し出した。
私が真っすぐに鉄池さんの瞳を射貫くように見つめれば彼は一つ頷いて返した。
彼の手から日輪刀を受けとると、何故か少しだけ温かいような気がした。

「……鉄池さんの信念を、伺ってもいいですか」

鞘をぎゅうと握り締めて言えば彼は深く息を吸った。

「貴方を、お守りするようにと」


――ああ、同じだ。

私の信念が弱いと言われた理由がわかった。
彼の信念と私の信念は同じなのだ。
ただそれが誰であるかが違うだけであって。

「ありがとう……」



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