お前に似た花を抱く | ナノ

私達の糸は縺れていて、もう、解くには手遅れだ。

いっそ一息に切ってしまえばそれで済むのに、いつまでも手放せないでいるのは、二度と結び直す事が出来ないとわかっているから。

もう、遅いのにね。何もかも。



「……放してください」

もう泣いたって、悲しんだって無駄なのだ。
捻った足よりも、心の方がもっとずっと、痛い。
何で、どうして。考えたって仕方がないのに答えを求めてしまうのは、絡まった糸を断ち切りたくないから。
まだ縋っていたいから。

手首を掴んでいた手が少しずつ緩んで、するりと解放される。
ぽたりと滴る雫が頬に落ちて伝った。

「何のつもりですか……勝手に継子を破門にして、私の事、放ったくせに」

吐き出すように言って、ぎゅうと拳を握る。

「私の事どうしたいんですか……っ、甘露寺様の元へ行かせたのも、何の説明もしないで……。日輪刀の色が戻らなくったって、私の信念は変わらないのに、なんで不死川さんが私の事全部、決めるの……?」

紡いだ声が震えていたのは、どうしようもない悲しみが喉元に詰まっているせいだ。
涙が溢れて仕方ないのは、目の前に突き付けられた事実を見たくないからだ。

また生ぬるい雫がひとつ、落ちる。
私達の視線が交わる事は無い。

「私もう……不死川さんの継子じゃない」

本当はもうとっくに終わっていた。
解っていたのに、切り離した筈の貴方が糸を掴んだまま放そうとしないのは何故?
あの日の私達は何かを繋ぎとめる事が出来ていたの?

不死川さんは俯いたまま何も言わなかった。どれくらいの沈黙だったかわからないが、彼は壁についていた手をゆっくり滑らせると、静かに立ち上がって踵を返して離れていく。

砂利の音が小さくなるのを聞きながら、私の頭の中は不思議なくらい冷静で、血を洗わなきゃとか部屋に戻らなきゃとか色々筋立てをするのだが、どうにも体が動かない。ずきずきと痛む足を脚絆の上から撫でる。熱を持った足首は、布の上からでもわかるくらいに腫れ上がっていた。
自分の後ろに手をついて何とか立ち上がろうと踏ん張るが。だけどやはり、どうしても体に力が入らない。今更になって不死川さんの言葉が心に突き刺さって鋭く痛んだ。

風が動く、誰かがこっちに来る。
大股で砂利を踏み鳴らして厠の向こうから顔を出したのは玄弥くんだった。
足元に広がる血だまりと私の有様を見て声を上げそうになるのをぐっと飲み込み、足早に私に近づくと腰を落とす。

「何すかこの状況、大丈夫ですか」
「……平気」
「いや絶対嘘でしょ」

血だらけの私のどこを触れてもいいのかわからず狼狽え、困った表情で顔を覗き込む。

「私の血じゃない……」

はあ、と深く息を吐いて目を瞑る。いつまでもこうして尻餅をついている訳にはいかない。
痛む足に手を添えたまま玄弥くんを見上げた。

「ごめん……肩、貸して」

玄弥くんは返事の代わりに私の血まみれの手を躊躇う事無くその大きな手で握り、私を軽々と引き上げる。私がそのまま目で井戸を示すと、何も言わずに井桁まで連れて座らせてくれた。
彼は何も言わずとも釣瓶で水を上げて私の腕に付いた血を流してくれる。
初めての顔合わせからまだ少しも経っていないのに、私の心の内を察してか何も聞いてこない玄弥くんの優しさが有り難かった。
玄弥くんは自分の懐から手ぬぐいを出すとそれを濡らして私の頬に付いた血を拭いてくれた。
そのあまりにも優しくて骨ばった手が皮肉にも彼の兄にそっくりで、私の目からまた涙がこぼれ落ちた。

「ごめん……」

声も上げずに静かに泣く私を彼は決して責めなかった。ただ隣で同じように黙ったまま座っていてくれた。





「血を洗って来てくださいと言ったのに、どうして広げて戻ってくるんですか」

胡蝶は顔を顰めて、結局乾いて固まった腕周りの血を濡らした手ぬぐいで乱暴に拭いた。
俺はただ腕を差し出してされるがままの状況をぼんやり見つめる。
腕を斬り、己の血で鬼が人を食らう生き物であると、人間とは決して相入れない存在であることを証明する筈が、まさか自分の行動であの鬼が人を食らわない事を裏付けてしまう結果になるとは。
だが心の内は怒りや苛立ちよりも、自分の母親が鬼になって、人の肉を食らう醜い生き物になってしまった事を思い起こして阻喪していた。

鬼に善悪など存在しない。その総てが醜くく卑しい、愚かな人間の末路だ。

善良な鬼だと?

そんな物は存在しない。してはいけない。俺たちの振う刃が鈍くなるような存在を認めてはいけない。

「何て顔してるんです」

胡蝶の言葉に視線だけを上げる。別に治療は邪魔していない。黙ってされるがままになっているというのに顔にまで文句をつけられる筋合いはない。

「苗字さんの事ですか?」

包帯の端を切る鋏の音が、俺の心の内にあった細い何かを一緒に切ったような気がした。は、と吐くようにして笑う。

「誰だそれ……」

胡蝶は顔を曇らせたが、どうでも良かった。

俺が何かを思って動く度に、お前は泣く。
お前が泣く度に俺はまた間違えた事に気付く。
自分のやっている事が独り善がりなんて事はとっくの昔に解っていたのに、何故俺は何度も間違えてお前を傷つけるのか。一度も正しかった事なんてないのに、そんな事わかる筈がない。

俺はただお前が俺の手から零れていく事を恐れていた。また救えない事を、自分の無力さを突き付けられる事を何よりも恐れていた。

俺の刃は、鬼を斬る為に在る。

それがいつの間に"人を守る"なんて信念が混ざったのか。どう考えてもお前が傍に居たからだ。
大切な物はいつも当たり前にそこにあると思ってしまう。明日も明後日も当然そこにあると信じて疑わない。
それを突然失った傷の痛みをもう二度と味わいたくはない。

母のように、お前が醜い鬼になってしまったら、
俺はお前を斬る事が出来ない。





「……何だその有様は」

柱合会議を終え、顔合わせの部屋へと私を迎えに来た甘露寺様と蛇柱は私の足に包帯が巻かれているのを見てぎょっとした。

あの後私と玄弥くんは血溜まりに水を撒いて誤魔化してから顔合わせの部屋へと戻り、私の腕に巻いていた別の包帯を解いて、足に巻き直した。捻挫した足首の内には、青黒い血が広がって丸く腫れ上がっている。それを隠すように強く包帯を巻いてくれたのは玄弥くんだ。本当に何から何まで面倒見て貰って頭が上がらない。

「すみませんちょっと……転びました」
「歩き方まで忘れたか。そんな事まで教えてやる程俺は暇じゃない。歩けないなら這って帰れ」
「……怖」

私と蛇柱とのやり取りを隣で聞いていた玄弥くんがボソっと呟くと、蛇柱は青筋を浮かべながら彼を睨んだ。途端に閉口する。

「大丈夫? どうして転んだの?」
「いや本当に不注意で……」

甘露寺様が心配そうに覗き込んでくるが目を合わせられない。…何に対する罪悪感だ、これは。

「玄弥……我々も帰るぞ……」
「あ、はい」

岩柱様がのっそりと後ろから現れると玄弥くんが慌てて荷物を纏める。甘露寺様と蛇柱にぺこりと頭を下げてから、黙って私を見遣ってやや眉を下げていた。

「大丈夫。色々ありがとう」

またね、と笑うと彼はこくりと頷いて岩柱様と共に部屋を出た。

結局立ち上がるのもやっとな私は甘露寺様に背負われて帰る事になったが、勿論道中は蛇柱の小言が後ろから飛んでくるので「すみません」という言葉以外は発せないのである。

「稽古はどうするつもりだ。日輪刀は色を失い、鬼は斬れず、あしなえになった木偶の坊の面倒を見ろというのか」
「申し訳ありません……」

私だって好きで足捻った訳じゃないのに。
はあ、と思わずため息を吐くと、蛇柱は己に向けられたものと勘違いして更に淡々と激昂する。はい、はい、すみません、ごめんなさい。

「あのね、ずっと考えてたんだけど……」

突然会話を割くように甘露寺様が口を開いたので、私も蛇柱も閉口する。
甘露寺様が珍しく真剣な面持ちで、たっぷりの間を持たせるせいで私は内心びくびくしていた。
ずっと考えていた、という言葉には嫌な思い出しかない。私はまた見限られてしまうのだろうかと。思わず甘露寺様の肩をぎゅうと握って俯く。

「刀匠さん達の里に行って、名前ちゃんの刀を打った刀鍛冶さんにお話しを聞いてみたらどうかしら?」

予想外の言葉と共にふわりと髪を揺らして振り返る甘露寺様は、翡翠色の目で私を見た。

「刀匠さんの里なら、隠の人が運んでくれるから怪我をしてても大丈夫だし、何よりあそこの温泉は今の名前ちゃんにはぴったりだと思うの!」

だんだんと足取りが跳ねるように軽くなる甘露寺様の上でぐらぐら揺れながら「なるほど」となんとか相槌を打つ。

だけど、私の日輪刀を打ち直してくれた鉄池さんは話をしてくれるだろうか。
私には力がないと言い放って帰ってしまった彼が、まだ色の戻らない日輪刀を携えた私を迎えてくれるとは思えないが……。

「行ってこい」

蛇柱が後ろから言って、私は振り返る。
彼は不服そうではあったが、肩をすくめてやれやれといった表情でため息を吐いた。



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