お前に似た花を抱く | ナノ

「何故お前が俺の太刀を躱せないか教えてやろうか? 俺の言葉を何も理解していないからだ。受ける動きも攻める動きもまるで変わっていない。鬼との戦いが長引けばお前の命はないからな。肝に銘じておけ」

……なんか蛇柱が長々喋ってるけど全然聞こえない。
情け容赦なく女の顔面を狙ってくる太刀筋が耳に当たってキンキンしていた。あまりの痛さに耳を押さえてしゃがみこんでいるのに全然休憩くれないし。

……いや別にいらないけど! 休憩とか!

「はい! 肝に銘じます!」
「よし、次だ」

来い、という代わりにすぐ構える蛇柱に呼吸を深く吸う。
基本は風の呼吸を以て、動きにはしなやかな恋の型を混ぜ合わせる。ひねりによって体に掛かる負荷が重くなるので、最近は体幹を鍛える為にゆったりとした動作の運動も取り入れた。

だけど体に叩き込んだ真っすぐ一辺倒な動きはなかなか直らない。
蛇柱曰く、「俺もお前も力のある方ではないのだから、受ける時は流し、攻める時は細かい一手を何度も入れろ」だそうな。

「仮にも風柱の継子を名乗っていたならもっと早く動けないのか!」

正面から来ていた筈の蛇柱の太刀が、意味のわからない所から捻じれて飛んでくる。最早目で追うのは無理だ、逆に視覚に惑わされて上手く動けない。
風だ、風を読め。

『温度と、動きと、流れさえわかれば目を閉じていても鬼の位置がわかる』

この言葉は不死川さんに言われたものじゃない。私の育手の師匠が教えてくれた。風は空気だ。空気は全ての物に触れているから、何かが動けば空気も揺れる。

木刀のぶつかり合う音が響く。蛇柱との稽古を始めて五日で初めて、蛇柱の一振りを受け止めた。

「甘い」

そのまま切っ先を掬われて木刀が弾き飛ばされる。初めて手合わせした日のように弧を描いて飛んで行った木刀は壁にぶち当たって凄い音を立てた。

「すみません」

直ぐに飛ばされた木刀を拾いに行く。もうずっとこれの繰り返しだ。蛇柱のおかしな太刀筋に全く反応出来ないまま生傷ばかりが増えていく。
だけど今日は少しだけ前進した。

「……休憩だ」

すぐに構え直したのに蛇柱は私の顔を見ると少しだけ目を大きくしてバツの悪そうな顔をした。羽織の内から手ぬぐいを黙って渡される。渡されたけれども、私は自分の手ぬぐいを持っているので困惑する。
手ぬぐいと蛇柱を交互に見ていると、彼は自分の右の目の下をちょんと指さして目を逸らした。それが私の右の目の下の事を言っているのだとわかり指を這わすとピリッと痛んだ。
……指先に血がついている。

「……うわぁ」

気の抜けた声で言って、厠へとぼとぼ歩いていく。蛇柱に貰った手ぬぐいで止血しながら鏡を覗き込むと、綺麗にぱっくりと斬られた傷から威勢よく血が流れていた。こういうのって見ると痛くなるから、見たくなかった。
貰った手ぬぐいで傷を押さえながら蛇柱の元へ戻ると彼は正座でちょこんと座っていた。若干、いやかなり、気にしているみたい。

「すみませんちょっと、止まるまで待っていただけますか」
「…………構わん」
「いやあの、お気になさらず……」

笑いながら励ますが、何故かギロリと睨まれてしまう。

「嫁入り前の女が顔に傷などつけるものじゃない」

彼はそう言っていつものように私を指さした。いや、顔面平気で狙ってたの貴方ですけどね、という言葉はぐっと飲み込んだ。
この人ってなんだか父親みたいだ。いや全然見た目は女性的なんだけれども。この間の時も輿入れがどうとか言うし、多分男と女を平等に見ていないんだろうな。
気遣いは有り難いが、もう私には関係のない事だ。そう真っすぐ返しても良かったが、また何か言われるのが目に見えていたので苦笑を返した。





「名前ちゃん、明日は一日私に付き合って欲しいの」

今日の訓練が終わると甘露寺様がニコニコしながら近づいてきた。

「わかりました。何か用事ですか?」
「そう! とっても大事な用事なの!」

私の両手をとって興奮気味に言う甘露寺様はキャー! と言いながら踊り始めそうだったので、なんとか両足をその場で踏ん張る。
こんなに興奮する大事な用事とはいかに?と思いながらも楽しそうな甘露寺様を見て結局頬が緩む。

「朝に出発するわ」

不意に手を放したかと思うと、人差し指を私の唇にちょいとつけてうふふと笑う。同じ女同士なのに、たまにこうやってドキッとさせる仕草をする甘露寺様を、流石に恋柱だなあとやられる度に感心していた。

明日は稽古がお休みになったので、鴉で蛇柱に文を送る。風呂に向かい、体中の傷の痛みと格闘しながら汚れを洗い流す。目の下の傷は案外深かったらしく、お湯に濡れて瘡蓋が取れるとまた出血した。
風呂から上がり、目の下にガーゼを貼ると床に入る。
もう少しで何かが掴めるような気がしていた。
蛇柱にはまだあっちもこっちも打たれっぱなしだけど、呼吸と型を合わせるあの動き。もっと早く、強く動くことが出来れば必ず。

深く呼吸を吸い目を瞑る。目の下はズキズキと痛んだけれど、疲労した体はコトンと眠りに落ちていった。





「……何で居るんです?」

今日は甘露寺さんの大事な用事だった筈では。
わざわざ昨日「明日は訓練お休みでお願いします」という旨の文を出したというのに、何故この人は当たり前の顔でここに居るのだろうか。

「俺も同じ用事だ」
「へえ」

どんだけ甘露寺様の事好きなんだこの人。
呆れながらも、朝から何故かいつもより興奮気味な甘露寺様の後ろをついてぶらぶら歩いていく。頭上には私達三人の鎹鴉と、他にも鴉が飛んでいて、なんだか大掛かりな事でもやるのかな?とぼんやり考える。

しばらく歩いていると景色に違和感を覚えた。
……知ってる、この道。前にも通ったことがある。いつだ、いつ通った?
くん、と鼻を動かせば掠めるのはあの花の匂い。花序の長く枝垂れる、淡い紫の藤の花。


――産屋敷邸だ。


一気に全身が粟立つ。

柱合会議だ。
半年に一度行われるそれが、今日開かれる。

だからこの人も一緒なのか、と蛇柱を見遣った。次に、朝からやたら騒いでいた甘露寺様の後ろ姿。

……やられた。

もしも甘露寺様が「柱合会議についてきてくれ」と正直に言っていたら、私はきっと行かなかった。あの人に合わせる顔がない。まだ会いたくない。
いつかきっと、こういう日が来るというのは漠然と解っていたけれど、私の中でその"いつか"は、自分が柱になった時だと思っていた。それまでは会う筈がないと思っていた。

今更会って、何を話す?
いやそもそも話す機会なんてないだろう。私とあの人はもう何の繋がりも無いんだから。

もうすぐそこまで産屋敷邸は迫っている。
どくどくと跳ねる鼓動をなんとか押さえつけて、甘露寺様について歩きながら、段々と視線が足元に落ちていく。怖い、見たくない。

「あら? お久しぶりです」

馴染みのある声にはっと顔を上げると屋敷の門前には胡蝶様が一人で立っていた。

「胡蝶様! ご無沙汰しています!」
「苗字さんもお元気そうでなによりです。目の下はどうされました?」
「いや全然、不注意ですこれは」

隣に元凶が居るのだが、この人に斬られましたなんて言える筈もなく話を濁す。
見知った顔が先に居てくれた事で緊張がほぐれた。甘露寺様が継子の栗花落カナヲさんについて尋ねると、自分は任務帰りであるし、あの子は顔合わせをさせても会話が出来ないので置いてきましたと笑って返す。



――不意にまた、知った香りがした。


一瞬で跳ねる心臓。
私達の隣を通って、砂利の音を立てながら歩いていく姿を捉える。

背中に『殺』の一文字。

不死川さん、だ。

こちらには見向きもせず、奥へと消えていく背中から目が離せない。羽織から出ている腕の傷がまた、増えているような気がした。
そのあまりにも短い筈の時間は、私にはとても長く感じられた。
見慣れていた筈のあの後ろ姿は何処か殺気立っていて、鋭く纏った空気が近寄るなと警告しているように感じる。

ついに彼が見えなくなると自然に落ちていく視線。

やっぱり、来るんじゃなかった。
こんな気持ちになるなら。

「名前ちゃん」

甘露寺様が優しく声をかけてくれる。顔を上げると、胡蝶様も甘露寺様も同じような顔で私を見ていた。

「行きましょう」

胡蝶様が背中をぽんぽん叩いてくれた。思わず泣きそうになる。深く呼吸をして気持ちを静める。大丈夫、絶対。

歩き始めた胡蝶様に続いて、ゆっくりと邸内へ入った。



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