お前に似た花を抱く | ナノ

木刀を弾いた途轍もない力が手首に伝わり、手の平はいつまでも痺れを感じていた。

「俺は伊黒小芭内。蛇柱だ」

顎を上げて偉そうな素振りでそう言う蛇柱。口元の包帯で表情はほとんど隠れてしまっているが、色の違った双眸は丸きり私の事を見下していた。

「その程度の剣技で風柱の継子を名乗っていたのか? 甚だ図々しいな。俺は不死川に同情するよ」

首元の蛇がまた舌をチロチロと出しながらくにゃりと体を揺らす。
蛇柱の目は私の人格を否定し、拒絶し、私が刀を持つ事すら論外であると語っていた。
その棘のある言葉全てが胸の内に突き刺さる。口の奥が苦くなって、歯を食いしばるしかない。
しかし蛇柱の言っている事は正しい。己の手の内から武器を奪われた人間が戦場に於いてどうして生き残れるというのか。
本来ならば、さっきの一撃で私は一度死んでいる。蛇柱が本気を出していたら私は殺されていた。不甲斐なさと恐ろしさで拳を握る。

「哀れだな不死川は。手塩にかけた継子がこれだとは。あいつはお前に何と言って破門を言い渡した。お前など継子に値しないと明確に伝えたろうな。こんな不出来な剣士を甘露寺の元に預ける愚行をお許ししたお館様は一体何をお考えか」

真正面から直接浴びせられる言葉の刃が心をズタズタにしていく。重苦しい空気に今すぐ逃げ出したかった。
しかし目の前の蛇柱がそれを許す筈もなく、私の体は大蛇にぐるりと巻かれて喉笛に噛みつかれたかのように動けなかった。

「何故努力しない。何故研鑚しない。何故諦める。お前は自分に対して甘すぎる。継子を破門になった時何故それを甘んじて受け入れた。不死川が命令したからか。お前にとって"継子"という立場はその程度だったのか。不死川がお前に使ってきた時間は全くの無駄だったようだな」

目を細め、私に対する嫌悪を隠そうともせず、人の事を指さして淡々と語る蛇柱に目を合わせられない。じわじわと胸のなかに広がるドス黒い感情に歯止めが利かない。
体の真ん中から四方に広がって体中を這い回るそれに、背中がゾワゾワする。
指先まで私の中をすっかり飲み込んでしまいそうなそれに、先程まで行っていた"愛情精神"の瞑想を思い出す。
落ち着け、落ち着け。人を憎むな、愛せ。すべからく全ての生き物には、愛を……。


『俺は、自分の継子に刀の握り方から教えるつもりはねェ』

『お前など継子に値しないと明確に伝えたろうな』


「お前には鬼殺隊の剣士を名乗る資格などない」


この瞬間私の中に、胡麻粒みたいな目の小さな私がひょっこりと現れた。真っ暗闇の遠くから、私に向かって不服な顔で訴えかける。

『この人何も知らないのに何でこんなに言ってくるんだろう? むかつくー』

うん、わかるよ。

心の中でぶちっと何かが潰れたような、千切れたような音がした。

私は黙ったまま踵を返す。
それを逃げと思ったのか、蛇柱は「おい待て」「話はまだ終わってないぞ」などと説教を垂れているが、面白いくらいに頭の中に入ってこない。
そのまま道場の隅へと弾かれた木刀の元へ向かいそれを拾うと、一呼吸置いてから蛇柱に振り返ってぶん投げた。

立場とか階級とか、それって結局ただの肩書でしかない。

血反吐を吐く努力をして手に入れた柱という立場にどれだけの価値があるかなんて知らないけれど、必死に食らいついて振り落とされないように足掻いている人間を卑しめる様な人間を、私は敬う事はできない。

「感情の制御も出来ないのか愚か者」

投げた木刀は容易く叩き落されたが、そもそもこんなものが当たるとは思っていない。
私が間合いの外に居る事で蛇柱は大振りの動作でそれを打ち払った。
その瞬間目いっぱい床を踏み込んで間合いに入り込む。

私の刀の色は変わらなかった。
だけど、私の体は、その手足は不死川さんに叩きこまれたその動きを覚えている。

木刀を持っている内手首を捻り上げて顔面に拳を叩き込む。が、やはり単純な一撃では蛇柱に掠る事すらない。叩き込んだ私の手首を蛇柱が掴む。
しかし一度距離を取ろうとした彼の腕を私は放さなかった。
目を見開いて私を見る蛇柱と視線を交わしながら、私の表情はピクリともしなかった。
あの曲がる太刀筋に同じ剣を以て対抗する術を私は持っていないけれど、不死川さんと手合わせをして身に着けた私の体術は、彼しか捻じ伏せる事は出来ない。

「落ちこぼれが今さら何やったって驚きませんよね」

ギリギリと音を立てて膠着したまま睨み合うと、突然彼の首元に隠れていた蛇が顔を出し牙を向いて飛び掛かって来たので反射的に距離を取る。
蛇柱は掴まれてた手首をぐるりと回すともう一度構えた。

「調子に乗るなよ小娘」

ピキ、と額に青筋を浮かべた彼の空気が変わった。圧されないようにと全集中の呼吸を深く行う。
瞬きにも満たない速さで目の前に現れた蛇柱の木刀に素手のまま対抗する。
呼吸の型同士で単純に張り合っても柱に勝てる訳がない。だから私は自分の戦える土俵に相手を引きずり下ろす。

蛇柱の太刀筋はやたらに曲がるので目では追わない。その手元、僅かに出来る隙にもならない一瞬に、何とか拳や手刀を打ち込んでいく。
当然木刀で手足が斬り落とされる事はないが、体で直接受け止めるその一つ一つの攻撃が骨に響いてむちゃくちゃに痛い。
だけど私は、不死川さんが私に教え込んだ事を無駄だと言わせたくは無かった。彼に教え込まれた技を以て彼を説き伏せたかった。
足払いを避けられ、体勢を立て直すのにできた僅かな間に蛇柱の一振りは打ち込まれる。
体を捻りながらそれを避け、流れるように足蹴りを出すと蛇柱の羽織を掠めた。その一撃が彼の肌に触れる事はなかったが、羽織は触れた部分が一直線に切り口となり裂けた。

ふわりと膨らんだ羽織の向こうに彼の血走った目を見たのを皮切りにぐらっと視界が眩む。

あ、れ? 何こ、れ。

私は状況のわからないまま床に倒された。頭の中がぐるぐる回って立ち上がれない。

「仮にも剣士を名乗っていたなら刀で戦えマヌケ」

ガランと音を立てて目の前に木刀が落とされる。道場の中に木霊する音が首の後ろに低く響いた。やられたの、ここか。
いつの間に攻撃されたのかわからないが、この人を自分の土俵で説き伏せるどころか、返り討ちにあってしまったのがとてつもなく悔しい。
倒されて床に耳をつけていると、遠くから軽い足音が伝って聞こえてきた。

「あら? 伊黒さんいつの間にいらして…え!? 何この状況大丈夫!?」

入口の方から甘露寺様の声がする。それが驚いてる声音なのも無理はないだろう。
本来なら私は今ここで瞑想の真っ最中である筈だったのに、何故か突然現れた蛇柱の前でズタボロになって倒されているのだから。
蛇柱は甘露寺様が狼狽えているのに対して「ちょっとした稽古だ」と言って私を見下ろす。

「やだちょっと伊黒さんやり過ぎですよ! 名前ちゃんまだ病み上がりなのに!」

道場の中を滑るようにして私の元までやってきた甘露寺様は私の体をぺっとひっくり返すと頭を持ち上げてその太ももに置いた。
所謂膝枕の状態でぐるぐると回る視界の真ん中に、大きくたわわな二つの塊を捉えてそれを眺めていると、また生ぬるい殺気を放って蛇柱が私を指さした。

「甘露寺も不死川も甘やかし過ぎだ。そんな事だからそいつは己の立場も弁えずに鍛錬を無精して蹉跌する羽目になる。このままではいつまで経っても強くなどなれん」
「伊黒さんは厳し過ぎます! 今は体を鍛えるより心を鍛える時期なんですよぉ……」

甘露寺さんが語尾を弱めてしゅんとすると、蛇柱の空気がざわついた。
さっきまでの殺伐としたそれとは違う、揺れ動くような気配……動揺してる?

ああこれは、そうか。
"愛情精神"の瞑想をした私にはわかる、彼の心が。

「痛いよー蛇柱様が本気で殴ったから痛いよー」

うええんとそれらしい泣き声もつけて喚くと、蛇柱はぎょっとした。勿論全部、嘘である。だけど、愛を以て人を説くこの人には面白いほど通用した。

「伊黒さんほらぁ!」
「貴様……!」

仕返しと言わんばかりに、私を撫でる甘露寺様を見せつけてやれば蛇柱はビキビキ青筋を浮かべて睨みつけてきた。だけど甘露寺様が居る手前、彼が手を出せないのを私はよくわかっている。拳を握り締めてワナワナしている蛇柱を見て少しだけ清清した。

いやでもこれは、恋の呼吸の基礎"人を憎まず"がある手前とんでもなくまずい悪業なんですけれども。



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