お前に似た花を抱く | ナノ

体にだるさを覚えながら目を覚ますと時刻は既に小夜の更ける頃合いだった。
眠りから覚めた時のそれとは違う感覚に、気を失っていたんだなとぼんやり瞼を擡げる。

肘を立てて上体を起こすと体の至るところから残り香のような快感の跡が痺れるように伝わり肩を抱く。
少しだけ湿った髪の房が首に纏わる事すら、先刻の行為を思い起こす口火になった。

一度は全て剥かれた筈の衣服は初めからそうだったように綺麗に戻されていた。
まるで何事もなかったかの様に整頓されたままの部屋。
ひょっとして全部夢だったんじゃないかと疑わせる程変化のない部屋に己の都合の良い解釈を押し付けてしまう。

だけど一つだけ、枕元に置かれたままの日輪刀は全てが現であると言葉もなく語っていた。


「貴方には今、そのお力がない」


静かに重みのあるそれを手に取り、音を立てずに刀身を抜く。
美しい銀鼠色を纏ったまま、刀身はやはり私の事を映すばかりで冷たくそこにあった。
その鏡のような刃の内に見える自分の首筋に、一つ、赤いものが見えた。
不思議に思って手を這わすと鋭い痛みが走り思わず短い声が漏れる。
よくよく目を凝らしてみるとそれは力強く噛まれた様な傷で、溢れた血が傷口を固める程の深く大きく抉れた跡だった。
意識してしまえばじんわり広がる痛みに顔を歪める。いつの間にこんな傷をつけられたのか、てんで記憶になど残っていない。
多分、下腹の痛みを受け止める事に一杯一杯の時にでも噛まれたのだろうと思案する。ヒリヒリとした痛みの残るそこを布団越しに撫で、衣擦れに彼の指が這うような感触を覚えて心臓が跳ねた。



不死川さんの髪から汗が伝って落ちてくる。

怪我をして動けない私を気遣う体勢で大きな手が私を包む。
体の至る所を這って行く熱い柔い舌はまるで蛇の様で、私が高い声を上げると執拗にそこを責め立てた。
私の髪を掬って頭を両手で包むと、彼は何度も何度も口づけをした。首を反らしたままの私は不死川さんの舌を受け入れる事で精いっぱいで、口の端から溢れる唾液は頬を伝い落ちていく。
片手のまま器用に服を脱がせると肌を晒すのは私ばかりで、不死川さんは帯革を引き抜く以外に脱衣する事はなかった。

決して初めてではない筈の行為に、初めての感覚ばかりが体を奔って、期待と快楽と絶望が綯交ぜになった胸の内では頭がおかしくなりそうだった。

私達は、唇を重ねた瞬間に終わった。
もう二度と二人が元に戻る方法なんてない。

あの茹だるような熱の中で私達は、どうしようもない快楽の中で貴方は、私は、一体何を繋ぎとめようとしていたんだろう――。



不死川さんは夜が明けても戻らなかった。
代わりに何人かの隠の人たちがやってきて私を蝶屋敷へと移した。

多分不死川さんは誰にも何も伝えていなくて、胡蝶様は突然隠に連れて来られた私を見てぎょっとしていた。
私を寝台へと横たえた後、胡蝶様に首筋の噛まれた跡は鬼の物かと問われたが、わからないとだけ返した。





ひぃ、ふぅ、みぃ。

これで六十。

雪の上に散らばる四肢の中で一番肉付きのいい女の腕を摂る。
女は乳房が旨い。旨いものは先に喰う。
腕や足の細かいところはいけない。肉がないから、骨の固いのは喰うのに苦労が要る。

こんな吹雪の日は人間にとって辛いだろう。
こうやって、町からの帰りが遅くなった人間達を待ち伏せして、雪の上で足がもつれたのを狙って食べるのは面白いくらいに上手くいく。

もう随分人間を食べて体も大きくなった。
小さな鬼狩りも二人喰った。これであの御方に認めて頂ける。もっと血を分けて頂ける。
くつくつと笑いながら肉を貪る。が、やはり骨の固いのはいけない。

ふんわりと花のような香りがした。
嗚呼、これは。

新しく現れた獲物に眦を細める。
人間の女の匂いだ。女は皆、花のような匂いがする。
持っていた貧相な男の腕を放り投げて匂いのする方へ移動する。獲物だ、獲物だ、とびきり甘い匂いのする、若い女の匂いだ。涎が出てくる。
草木に身を潜めて匂いが近づいてくるのを待つ。さァどこから食べてやろうか、やはり乳房か。あれは極上だ、それに若い女はどこを喰っても外れはない。
今か今かと獲物を待っていたら、強烈な花の匂いに方向がわからなくなった。

浅はかだった。こんな夜更けに一人で歩く女が居る訳がなかったのだ。
甘い花の匂いにつられて、それがウツボカズラだとも知らずに。

「よォ塵野郎」

血飛沫が舞う。
なんだ、これは。斬られたのか。

誰が。

僕が?

ごろごろと転がる頭を足で踏み付けられると、月光が雪景色を照らしているのが見える。
僕の頭を踏みつけた奴は、その月光を背にしていて顔を伺う事が出来ない。

「あの女だと思ったか?」

あの女……あの女?
どれだ、どいつだ、誰の事を言ってる。女なんて三十以上喰ってる。覚えているわけがない。もう全部腹の中だ。喰ってしまえば全部同じ肉の塊。
だが一人だけ、二度も喰い損ねた女が居たな。

あ。

「そりゃあそうだろうなァ。俺は今あの女の匂いが嫌って程染みついてるからなァ」

月にかかった雲が千切れていく。
背中に掲げた「殺」の文字が月光に浮かび上がる。
僅かに見えた目には光がない。声音は至極愉快に紡がれているのに、その顔は。

「鬼如きが人間に勝てると思ってんのか」

最後に聞いた声は、酷く低く冷たい、鬼のような声だった。





「甘露寺蜜璃様?」

蝶屋敷に移り暫くすると、鴉が一通の文をつけてやってきた。
中には風柱・不死川実弥との正式な継子解消の令状と共に、今後の処遇として恋柱・甘露寺蜜璃につき行動するようにと書かれていた。

え? なんで? なんで急に恋柱様?

誰から受け取って来た文かもわからず混乱するが、風柱との継子を正式に解消した旨が綴られているのだから、もしかしたらお館様……とか。
でもその意図が全く読めない。日輪刀の色が変わらないのであれば、そもそも鬼殺隊に於ける私の席など無い筈なのに。

恋柱様は、私に刀の持ち方から教えてくれるのか。
思わず自嘲気味の笑いが漏れてしまう。
結局私は、私の刀はもう不死川実弥という人間から教えられた太刀筋から変える事は出来ない。

鬼殺隊を辞めろと遠回しに言われているだけだ。間に受けちゃいけない。

甘露寺蜜璃様が一体どんな御方かは知らないけれど、一度会って断りの申し入れをしよう。私も此処までだった。もう終わりだ。

文を握り締めて泣かないようにと歯を食いしばる。泣くな、泣くな、泣いても何も変わらない。

「苗字さん回診ですよ」
「うっ」

ガラッと扉が開かれ胡蝶様が入ってくる。結局堪えられなかった涙をなんとか隠そうとしたが無駄だった。

「どうしました?」
「いえ……」

バツの悪い顔で苦笑いを見せれば、胡蝶様は私の手の中にあった文をぱっと取り上げて中を開いた。
風柱の継子解消については恐らく胡蝶様も知らないので、必死に見られてなるものかと腕を伸ばしたがこれもまた無駄だった。

「継子を――……」

眉を寄せて文を見る胡蝶様から視線を逸らす。不甲斐ない。怪我を負い、日輪刀は色を失い、継子でもなくなった私は一体何者なのだろう。蝶屋敷で治療を受けている他の剣士達とは違う。私など、治療するに値する人間ではないのだ。

胡蝶様は私をここから追い出すだろうか。
貴方に使う薬など無駄だと言って。

「甘露寺さんの元へ行くのですね」

胡蝶様は、至極明るい声音でそう言った。恐る恐る視線を上げると、予想以上のニコニコ顔で私を見ている。それはどういう意図の……?

「甘露寺さんなら大丈夫でしょう。きっと苗字さんの心に寄り添ってくれます」



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