お前に似た花を抱く | ナノ

お前が眠り続けてどれぐらい経ったろうか。

気を失った後直ぐに蝶屋敷へと運ばれたお前はなんとか命を繋ぎとめたが、今日まで一度も目を覚ましていない。出来うる限りの手は尽くした以上、目覚めるかどうかはお前の気力次第だと胡蝶は言った。
そんな状態が二月続いた頃に、お前を俺の屋敷へと移した。もうどこで治療をしようとも大差はないだろう。……無駄だと悟っていた。
毎晩言い渡された任務を夜が明けない内に終わらせて屋敷へ飛んで帰る日々。あの日一緒に居た隠の男は度々お前の顔を見に来ていた。夜が明けるまでお前の手を握り、懸命に話しかけているようだが、お前は目を覚まさない。

お前の隣で横になる。

起伏は浅いが、繰り返されている呼吸を見て、生きている事を何度も確かめた。
鬼殺隊は常に死と寄り添い生きている。
今まで何人もの仲間を救えず、この手から取りこぼして来た。
俺はまた救えないのか。一番近くに居て、俺が育てた人間を。

半年以上前、お館様に頼んでお前の階級を下げた。
本当は"癸"にしてくれと頼んだが、継子を継続するには"庚"以上の階級が無ければならない。
結局、お前に対して俺がやった事なんて全部無駄だった。補佐にしようが、隠をつけようが、全部。

いっそ継子になんてしなければ良かったんじゃないか。風柱として一人今まで通りに鬼殺をしていればこんな風に思う事も後悔する事も無かったんじゃないのか。

俺には継子が居なかった。
斃れて後已む覚悟で柱となったまだ若い俺の後ろを往こうなんて酔狂な奴が現れなかったのもそうだが、柱になりたがっている奴ほど志半ばで早くに死んでいった。
中途半端に力を持つと必ずどこかで越えられない死線がやってくる。
でもお前なら、それを切り抜けると確信してた。
俺をその腕で説き伏せて、真っすぐに俺の後ろをついてくるお前なら必ず柱の控えになれると。

俺はまた、判断を誤ったらしいな。
初めて鬼を殺したときもそうだ。

俺はあの鬼を母親だと信じて疑わなかった。何度も声を上げてお袋、お袋と呼びかけたが結局六人いた兄弟を五人も死なせちまった。
あの時直ぐに鬼だと解っていたら、誰も死なせずに守れたんじゃねえのか。
お袋が家に飛び込んですぐに聞こえた弟たちの声。やっとの思いで動いた体。無我夢中で、厨から一番でかい包丁を持って何度も何度も斬ろうとした。

斬れなかった。自分のお袋だぞ。

昨日まで一緒に笑ってた。親父が死んでから家族を守っていこうと玄弥と約束したばかりなのに、なんでこんな事になるんだよ。

あの時から俺の中には鬼に対する純然な憎悪以外なくなった。
己の背に「殺」という言葉を背負い、唯一生き残った弟に対する兄という姿すら殺し、ただ一途に鬼を殲滅する「風柱」として生きる事を決めて。


「……」

横になったままいつの間にか眠っていた。
少し冷たくなった風が頬を撫でて外を見遣る。日はすっかり沈みかけで、半刻もしない内に夜になるだろう。
お前はまだ目を覚まさない。嫌でももう、慣れた。
額にかかった髪を指で掬って撫でる。少しだけ伸びた様子のそれに、本当に生きてるんだよなと安堵の息を漏らすが、同時に何故目を覚まさないのかと咎めるような気持が生まれて嫌になる。

帯革に日輪刀を差し、部屋を出る前にもう一度お前を振り返った。
何が正しかったのかなんて、わからないが。
起きる様子のないお前に目を伏せて、襖を閉めると屋敷を出た。





「不死川さーん。訪問診療ですよー」

縁側の柱に背を預けたまま空を見て呆けていたら、門の向こうから胡蝶の声がした。庭に脱ぎ捨てた草履を適当に履いて門まで迎えに行くと、胡蝶は俺の顔を見て表情を歪めた。

「まあまあ! 不死川さんどうしたんですそんなに窶れて。そんな風では苗字さんとどちらが病人かわかりませんね。きちんとご飯摂られているんですか?」

そんなに酷いのか自分の顔は。
鏡など見ないから気付かなかった。確かに胡蝶の言う通り、最近は飯も碌に摂っていない。
今までは任務が終われば藤の家に厄介になるか、ここに戻れば名前が朝餉を用意していたから。
だが今は任務が終わればここに戻り、夜になればまた任務へ出るの繰り返し。

「…腹は減ってねェ」
「そういう問題じゃないんです。ああもう、持ってきた栄養注射不死川さんの分なんてないんですよ」
「……」

とにかく上がらせてもらいます、と不機嫌な胡蝶を屋敷へ上げる。名前がこの屋敷に移ってから胡蝶は定期的にこうしてやってきた。
いつまでも目を覚まさない名前にもう尽くす手はないのだが、「誰かが会いに来て変わる事もありますから」と柔らかく笑う。そういうもんなのか、俺にはわからないが。

「綺麗にされていますね」

名前の枕元に座して、その顔を覗き込んで切なく微笑む胡蝶。
体は毎日拭いている。そのまま放っておいたら本当に死人になるじゃないかと思っていたから。
胡蝶は名前の耳もとに口を寄せると手を添えて語り掛ける。

「苗字さん。不死川さんにご飯を作って差し上げないと、この方本当に死んでしまいますよ。自分の事全然顧みてないですし」
「おい何だそりゃァ」

腑に落ちない顔で言えば胡蝶はくすくす笑った。

「理由なんて何でもいいんですよ。苗字さんが此処に戻りたいと思う事が大事なんです」

至極真面目な顔で言う胡蝶に面食らった。
やはり俺にはわからない。そういうもんなのか。じゃあこいつがずっと目を覚まさないのは、戻りたくないと思っているからなんだろうか。

「不死川さん、毎日お話してあげてくださいね。苗字さんは今一人ぼっちで泣いているかもしれません。路に迷わないように、導いてあげないと」

名前の手を握りながら胡蝶は笑った。

胡蝶は診察を終えると何故か俺に一本針を打って帰っていった。地味に痛ぇ……これじゃ宇髄だろうがァ……。
日は既に傾き、また任務の時間に近づいている。

名前の顔を見ながら胡蝶の言葉を考えていた。
話しかけろったって、何を?
俺に飯を作れって? 嫁でもあるまいし。

ふわ、と風が吹いて知った香りが鼻を掠めた。
これは…桜の匂い。

振り向いても桜などどこにも咲いていない。当然だ、今は時期じゃない。
だが俺の目には確かに風に舞った桜の花弁が部屋の中に入り込むのが映っていた。
これは何だ?あの薬のせいか?

強烈な桜の香りに、ある筈のない光景が目の前に広がる。

あれは春先の事だ。
川べりを、桜の咲く中お前と歩いてる。

「もし私が鬼になったらどうしますか?」

困ったような声で、お前が問いかける。
俺はそれに答えなかった。答えられなかった。

斬れるだろうかと、考えてしまった。
お袋を目の前にしていた時とは違う。
今の俺には鬼を斬る力も術もある。

――でも相手がお前だったら?


「不死川さん」

いつもとは違う呼び方。
対等に、柱と継子の垣根を越えて俺を呼んでいる。

「貴方は私が斬りますから」

その目の奥に揺るぎない信念を燃やしながら、お前の視線が俺を貫く。あの日、お前が継子になりたいと言って現れた日と同じ意思を持って。

「――俺は、」

答えようとしたら大きな風が吹いて、桜の花弁に包まれたお前は見えなくなった。
こんな結末だったろうか?

否、違う。



「……」

目の前で舞い上がった桜の花弁は全て消え失せた。匂いもしない。残ったのは、先ほどと変わらない部屋に俺とお前だけ。

衣擦れの音がした。

慌てて振り返って枕元に手をつき顔を覗き込む。

「名前」

僅かに震えるお前の瞼。
嘘だろ。
少しだけ顔を此方に向けて、目じりから涙がこぼれていた。はあと息をついて薄っすら開かれる瞼を、懸命に覗き込むが視線はまだ合わない。

「……泣くな」

俺の言葉に少しだけ反応を示す。唇を少し開いて何かを言おうとしたが、力が入らずに諦めたようだった。
目じりからこぼれる涙を指で掬いとる。
お前の視線は俺から外れて、天井を見ると瞼を閉じた。


苗字名前が目覚めたのは、あの任務の日から実に半年後の事だった。



×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -