お前に似た花を抱く | ナノ

刃は確実に頸に食い込んでいる。

だが後もう一歩のところで完全に体の自由を失った。
思考はある。ただ体だけが、神経を全て抜き取られてしまったかのように動かない。視線すら。
これは、何だ。

「僕の血鬼術はさあ、僕の血を吸った人間を好きに操れるんだよねえ」

私の耳元にあるであろう鬼の口からくつくつと喉の奥で笑う声が鼓膜に響く。
自分が今刀を握っているかどうかさえわからないような感覚。
鬼が隊服の襟を掴み、私の体を引きはがした。
力強く握っていた日輪刀はまだ私の手の中にあったが、鬼が私の指を一つ一つ解くと刀は呆気なく地に突き刺さった。
鬼はよほど日輪刀を警戒しているのか、地面に突き刺さったそれを蹴飛ばし、茂みの向こうへと飛ばしてしまった。

「わからないでしょ? この辺りに僕の血が撒いてあるの」

――しまった。
睨みつけてやりたいのにそれすらも叶わない。
血を撒いていたというのは恐らく、霧の様に細かい粒子の血をこの一帯に散布しているという事。
問題はそれがいつ撒かれたのか。
この山に入った時点で撒かれていたのなら、頼みの綱である不死川さんもそれを吸っている筈。
こちらも危ないが、不死川さんも心配だ。
だがこの鬼の目の届かないところに居るなら、或いは……。

「せっかく稀血の子供を産ませようと思ったのにさあ。子供は産まないし、僕の頸斬れないし、君って本当に役に立たないみたいだね」

グイと手首を捻られると骨に負荷がかかり痛む。
鬼は反対の手で掴んでいた後藤さんを放って地面へ落とした。折れた足から落とされた後藤さんは痛みで呻き声を上げている。

「でもね、女はやや子を孕むでしょ。だから僕にとっては女ってだけで万々歳。栄養価が高いから」

私の腕を取り隊服の袖を捲り上げると、べろっと下膊を舐め上げ目を弓なりに細める。これもまたあの時と全く同じ動作で同じ所を、再現するかのように。
生ぬるく滑る感触は人間のそれだった。

「この腕刀握られると厄介だから食べちゃうね」

瞬間、焼けつくような痛みが右腕に走った。
鋭い歯が肉を裂き、ぶしゅりと血が弾けて腕を伝っていく。
骨をも砕こうと顎を噛んで、ミシミシと音を立てて軋む感触に全身が粟立った。
やられる。

バキッ

関節ではないとこで腕が折れた。



――――風の呼吸、

瞬きにも満たない一瞬の出来事だった。
鬼の腕は丁度私が噛みつかれたのと同じような位置で切り落とされ、どちらともわからない血が舞った。
地面に叩き付けられる寸前で私は抱き抱えられる。呼吸を取り戻した体が息を大きく吸った時に風柱邸の香りがいっぱいに広がった。

「鬼に喰われてんのに叫び声一つ上げやしねぇ。大したタマだぜお前はァ」
「柱か……」

ぶしゅっ!

瞬間、鬼の頸から血が噴き出す。
鬼は呆気にとられて、何が起こったのかわからない表情のまま頸に手をやった。
不死川さんはまるで鬼など見えていないかの様に私を地面へ下すと立ち上がる。
師範は、腕を切り落とした時に頸も一緒に斬ってたんだ……。
不死川さんの目で捉えられなかった動きに恐れながらも安堵する。これで、もう。

「集中しろ。出血止めねぇと死ぬぞ」

血を吹き出しながらぐらりと倒れる鬼を背に、納刀しながら私を見下ろす不死川さん。
乱れた呼吸を絶え絶えに整えながら意識して腕からの出血を抑える。
ああ、終わった。まさかこんな所で遭遇するとは思っていなかったあの鬼。
結局最後は不死川さんに助けられてしまったけれど、もう憎しみを抱える必要はなくなった。

「お前は一体何してたんだァ?」

ガシッと大きな手で後藤さんの後頭部を掴む不死川さん。後藤さんは折れた足の痛みと、怒りで威圧する不死川さんの気にやられて顔色を失ったまま白目を向いていた。

ある程度出血が収まると、自分の足に添え木をした後藤さんが私の腕に布を巻いてくれた。彼曰く、「折れてるって度合いじゃないから添え木してもいいもんかわからん」らしい。

腕の痛みを呼吸で緩和しながら立ち上がり日輪刀を回収しに行く。
結局あの血鬼術にかかったせいで前と何も変わらなかった。
私が構えてから呼吸を使うまでの僅かな時間さえも、柱のそれと比べれば果てしなく長い悠久に等しい。

悔しいなあ。私はまだまだ階級が戻りそうもないし、期待に応えられる風柱の控えにも成れていない。
地面に突き刺さった日輪刀を引き抜き、戻りがてら見つけた足元に転がる鬼の体を見下ろす。
四肢を投げ出してピクリとも動かないその体に僅かな違和感を感じた。

こいつ、頸を斬ったのになんで体が消えてない?

「しっ、!」

師範、と紡ごうとした言葉は突然起き上がった鬼の手に顔を掴まれて消える。
そのまま地面に頭を叩きつけられると視界が眩んだ。

「あああむかつくよねええ柱ああああ」

ぎゅるりと音を立てて、鬼のぶら下がっていた頸は血を繋ぎにして元の位置に戻っていく。
頸が斬れてなかったんだ。でもどうして。

「あの野郎おおお全然僕の術効かないじゃんかあああもう少しで頸斬られるとこだったあああ」

ぐちゃぐちゃと音を立てながら頸と腕が再生していく。
この鬼は、不死川さんにもやはり血を吸わせていた。しかし量が少なかったのか不死川さんの体が強靭だったのか、切っ先の動きを僅かに逸らす程の力しか働かなかった。
文字通り頸の皮一枚繋がった状態で、己の体の回復を待っていたんだ。しかし鬼であれば、皮一枚でも頸が残っていれば即座に再生できる。

「あいつううう殺じでやるうう殺じでやるううう」

ミシミシと音を立てて顔が締まっていく。鼻と口どちらも抑えられていて呼吸が使えない。否、使えてたとしても出血を抑えている腕に血が巡ってしまうと動けなくなる。

どうしようどうしよう。
二人とはそんなに距離はとってない筈だから気付いてくれる、絶対に。

「お前えええ役に立てよおおお」

鬼の顔は先程の人に寄せていたそれとは違い、化け物じみた目に角が大きく生えた額と、だらだら涎を垂らした大きな口に変わっていた。
顔を掴んでいた手の親指が口の中に入り舌を押さえつける。顎ごと掴まれて大きく開いた口からは、鬼と同じようにだらしなく唾液がこぼれた。

鬼は自分の手を爪で引っ掻くと、溢れた血を口の中へ流し込んで来た。
口を閉じたくても顎を掴まれているので動かない。
そのうちじわじわと舌に染み込む鉄の味。

「僕の血鬼術はさあ、僕の血を吸った人間を好きに操れるんだよねえ」

こいつ、まさか。

「あはははは!」

声高に響いた鬼の声が大地を揺らす。びりびりと木々が揺れ青葉が舞い落ちた。

体が全く動かない。
先程とは違い、思考すら制御するのが難しい。
恐らく散布された僅かな血よりも、舌から直接吸収した血は濃度が高く体を巡る速度も先程の比ではない。

「ほらああ行けよおお」

びくりと体が反応し、日輪刀を力強く握る。
痛みは感じない。恐らく私の体がどうなろうとも構わないという意思の表れ。

とん、と地面を蹴ると茂みを飛び越えて風を切る体。視界に後藤さんと不死川さんを捉えた。
不死川さんは先程の鬼の笑い声に反応してか既に日輪刀を抜いていて、茂みから現れた私を捉えて目を剥いていた。

「逃げてっ!」

――――風の呼吸 壱の型 塵旋風

ぐわりと渦巻いた旋風が地面を抉り真っすぐに二人に向かっていく。
風が到達する瞬間、不死川さんが後藤さんの服を掴んで大きく避けたのが見えた。
呼吸を使った事により再び出血する右腕の傷。
ぼたぼたと滴る血が足元に広がっていくが、痛みを感じない体は直ぐに次の型の構えに入る。

不死川さんが後藤さんを投げ飛ばした。
私の呼吸が彼に向かうが、それよりも早く同じ技を出した不死川さんは技を相殺する。
風と風がぶつかり合う事で山の草木は吹き飛ぶものもあった。

向き合い対峙する不死川さんの表情は月光のせいで半分陰りになっている。
その両目が私を捉えて、体の芯が竦んだ。
見たことも無い感情の死んだ顔で、いつもその口元に浮かべている笑みすらも消え失せ、真っすぐな視線が私を貫く。


「殺す」


低く紡がれた声だけが耳に届いた。



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