鬼滅の刃短編小説 | ナノ



黎明が訪れる。
悪鬼らは陰りに潜み、鬼殺の剣士は納刀し踵を返す。
山の端から上る太陽が、明け方の透き通った空気を差し、町は次第に白み始めた。

鬼殺隊は夜を往く。鬼は太陽の出る時間には現れないからだ。
男も女も関係なく、昼夜を転じて鬼を斬る。階級が上がれば昼間も絶えず己の技に磨きをかける。眠りにつけるのは入相に近くなった頃にわずか数刻だけの生活だった。
そんな日々が続いていると、いざこうして療養で床に縛られても簡単には寝付けない。
蝶屋敷で割り当てられた寝台の上で状態を起こしたまま、また一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。
寝台は部屋の端に置かれ、窓から燦燦と差し込む朝陽が布団を白く照らす。
そろそろかと耳をすませば遠くから床を伝って足音が聞こえてくる。ついに部屋の前で音が止まると、横引きの戸が威勢よく開かれた。

「また起きていたのか!横になれと言っただろう!」

金色の髪に炎を象った羽織が見えて思わず顔が綻んだ。
鬼殺隊の炎柱・煉獄杏寿郎がこうして毎日明け方に見舞いに来てくれるのは、私が彼の継子であるからだ。
先日異能の鬼の血鬼術により足を負傷した私は、蝶屋敷で一月の間療養する事となった。
担当地区が近い訳でもないのに煉獄さんはこうして毎日鬼狩りを終えると蝶屋敷に顔を出してくれる。
私は幾らかの申し訳なさを感じつつも堪らなく嬉しかった。戦えない剣士など捨て置かれると覚悟していたのに、煉獄さんはこうして私を見捨てずに置いてくれる。

「おはようございます煉獄さん。昨日も言いましたけどこの方が楽なんです」
「俺はいいが、胡蝶が横になれと言っている。傷の治りが遅くなるぞ!」
「はい。ごめんなさい」

真っすぐ見つめられて正論を言われると困ってしまう。眉を下げてヘラと笑うと煉獄さんは入って来たのとは対照的に後ろ手で静かに戸を閉めた。そうして寝台に近づきながら帯革から日輪刀を抜くと、壁際に揃えてある椅子を一脚引いて腰掛け、ふうと息を吐きだした。

「変わりないか?」
「ええ。そろそろ柔軟程度なら始めたいんですけど、まだ許可が下りなくて」
「焦らずとも今は休めばいい。人間は万能ではないからな」
「千寿郎君も同じことを」
「来たのか?」
「いいえ、文をくれました」

枕元に置いてあった文を見せると、煉獄さんは柔らかく笑った。
きっと私のところへ毎日来ているせいで煉獄さんは千寿郎君の所へは行けていない筈だ。千寿郎君に送った文にその旨申し訳ないとは伝えていたけれど、彼はどうか気にせず療養に専念してくださいと優しい字で返してくれた。

「鬼狩りの方はいかがですか?」
「うむ、問題ない。近頃は十二鬼月との接触も聞かんしな!常に後手に回るのが切歯扼腕だが、目の前の鬼の頸は必ず斬る」

腕を組み快活に話す煉獄さんの目はどこまでも真っすぐだ。微笑み返せば煉獄さんはいつもの笑顔を私に向けた。
廊下の奥からパタパタと人の歩く音がし始めると、私たちは同じように閉められた扉に目をやった。蝶屋敷の朝は早く、女の子たちが忙しなく走る音が聞こえてくる。

「今晩はどちらに?」
「まだ指令が来ていないのでな。何事もなければ地区内の東に向かおうと思っている」
「東なら割に近くですね。この近くの藤の家は――…」
「いや、ここに居る」
「え?」
「また寝ていないんだろう。君が眠るのを見るまで俺は行かない」

真っすぐに見つめられて言葉に詰まった。
本当なら少しでも千寿朗君の顔を見に行って欲しいし、鍛錬の出来ない継子について眠るのを見届けるなんて柱のする事じゃない。そうでなくともここには胡蝶様がいらっしゃるから煉獄さんが残らなければならない理由なんてないのに。

「…お気持ちは嬉しいですが、動けない継子に割く時間なんてない筈です。いけません。」
「聞き分けのない継子に横になる方法を教えねばならん。動けずともそれくらいは出来るだろう」
「う、」

語尾に含まれた諭すような声色に口ごもる。先程から言い返す言葉もなく視線すら合わせられない。
仕方がないので肘をついて布団の中に潜り込んだ。枕に頭をのせると煉獄さんは満足そうにうんうんと頷いて笑った。

「いい子だ」

腕を組んだまま見下ろされると、堪らなく恥ずかしかった。視線の逃げ道を探せど、どうしても端に彼を捉えてしまう。降参の証しに目を閉じて布団で鼻を隠した。
チュンチュンと鳥の声が響き、町も蝶屋敷も少しずつ覚醒していく。
壁一枚隔てたこの部屋の中は、朝に包まれながらも静かに一日を終えようとしていた。
さて、いつもならもう少しですみちゃん達が朝食を運んで来る時間だが、煉獄さんは眠れと言うしどうしたものか。全く眠くない上に、そもそも師匠の前で自分だけぬくぬくと寝ていられない。それでも眠らなければ、煉獄さんはここから動かないと言う。煉獄さんは何も言わない。
しばらくじっとしていると密かに衣擦れの音がした。耳を澄ますが、立ち上がったり日輪刀を帯革に差す音はしない。…起きているのがバレている。仕方がないのでもう少し粘る。

どれくらい経っただろうか。パタパタとこちらに向かう足音が聞こえた。あ、と思い耳を澄ませると部屋の引き戸が静かに開く音がした。
ここで目を開けると煉獄さんに怒られそうなので、あくまでも眠ったフリをする。
見えないけれど、扉を開けたすみちゃんがひょっこり顔を出しているのがわかった。いつもなら起き上がっている私がおはようと声をかけると、可愛らしい顔で笑って朝食の盆を運んできてくれるのだが、今日の私は寝台に横になって師匠に見つめられている。すみちゃんが静かにぎょっとして戸を閉める気配がした。

くす。

そんな音を残して。…くす、とは一体どういう事なのか。
煉獄さんが動く気配はない。いつまで寝たふりをすれば満足して出ていくのかもわからない。
仕方がないので寝がえりを打つフリをして横を向く。両手を顔の前に持ってきて薄く目を開いてみた。

…………寝てる?

思わずぱっちり目を開く。なんと私が眠るのを見張ると言っていた師匠は椅子に座ったまま日輪刀を抱いて腕を組み、こっくりこっくり首を揺らしているのである。嘘でしょ。
私が寝台の上で起き上がっても煉獄さんが起きる気配はない。それどころか、少しだけ開いた口からくうくうと呼吸の常中の音が漏れている。

「…煉獄さん」

呼びかけても反応がない。いやこれは、相当疲れているに違いない。
普段射貫くような瞳で私を貫く双眸は伏せられて、勇壮な眉は柔らかい曲線を描き完全に脱力している。
そっと手を伸ばして、指先に触れてみた。
指先の皮までもが厚く、固く鍛え上げられていた。一体どれだけの時間刀を握っていればこんな風になるのか。
そのままするっと手の甲をなぞる。ゴツゴツと骨の張った男の人の手だ。何度もこの手に助けられてきた。親指の腹で肌をなぞって、心のなかで謝辞を述べる。未熟で、弱くて、足手まといですみません。
もう少しだけとは思ったが、いつまでも触っているといつ目を覚まして咎められるかわからないので、指を放して寝台へ戻る。煉獄さんの方を向いたまま、じっとその胸の起伏を見つめた。
一定のリズムで繰り返される呼吸。穏やかな表情を見ていると、不思議な事に眠くなってきた。呼吸の音が子守歌の代わりにでもなったんだろうか。
そうしていつの間にか私は深い眠りについていた。



* * *




「お世話になりました」

すっかり快癒した私は蝶屋敷から出る許可を頂いた。
しのぶさんが不在だったのですみちゃん達にお礼を言い、洗濯をしていたアオイさんに会釈をするとキリリとお見送りをしてくれた。奥に居たカナヲさんに手を振ると何かをピンと弾いてから柔らかく手を振り返してくれた。
一月も一緒にいると、なんだか別れるのが寂しくなってしまう。すみちゃん泣いてたなあ。毎日朝ごはんを持ってきてくれてありがとうねえ。
少しだけ熱くなる目頭を指で押さえて目的地へ向かう。彼と鬼殺をしてきた担当地区へ。

「調子はどうだ!」
「わ、吃驚した!」

蝶屋敷を出発してすぐ煉獄さんと待ち合わせをしていた茶屋に足を運んだ。
店先に師匠の姿が見えなかったので、縁台に腰を下ろしお茶を頂こうとした時、背後から威勢の良い声が聞こえて肩を揺らした。

「煉獄さん驚かさないでください…」
「すまん!いや、息災で何よりだ!」

ニコニコと笑う煉獄さんに微笑みを返す。
あの日、煉獄さんの寝顔を初めて見た日以来、彼は蝶屋敷にはたと来なくなった。
代わりに文を寄越してきて、遠方での指令が来たので蝶屋敷に往けない旨が綴られていた。だから彼とこうして顔を合わせるのは約半月ぶりになるので、少し懐かしいような気持になる。

「煉獄さんもお変わりありませんか?」
「見てのとおりだ!」
「…お団子食べましたね?」
「なぜわかる!?」
「ふんわりと香りが」
「いや小腹が空いたのでな!君もどうだ?」
「では一本頂きます」

二人で縁台に腰を下ろしてお団子を頼む。頭上には晴天が広がり、柔らかい風が吹いていた。
風に揺れる煉獄さんの髪につられてその横顔を見やる。威風堂々たる佇まいで腰を下ろしお茶を啜る煉獄さんと、記憶の中でうたた寝している煉獄さんを比べて少しだけ悪戯心が芽生える。

「意外と可愛いんですね」
「かわいい?」
「煉獄さんの寝顔」
「うん?」
「最後に来てくださった日に、煉獄さん寝ていたでしょう」

キョトンとした顔で私を見てからうん?と笑い、しばらく思案したような素振りを見せると煉獄さんはポンと掌を打った。

「ああ、あの日だな!寝てないぞ」
「……え?」
「人が寝ているのを見ると眠くなるだろう。あれは芝居だ」
「……えっ」
「俺が寝ていれば君も眠れるかと思ってな。いやあれは面白いくらいに上手くいった!」
「えっ、ま、待ってください。じゃあずっと起きてたんですか!?」
「ああ」

じわじわと首から熱があがってくる。
ちょっと待ってよ、やだ私煉獄さんの手凄い触ってたよね、凄い撫でてたよね!?あれ全部ばれてるの!?っていうか寝顔見られてたのは私の方…!
ちょっとした悪戯心がとんでもない打撃で返ってきた。だらだらと冷や汗が止まらず、煉獄さんの顔が恥ずかしくて見られない。


「かわいらしいな」

耳まで真っ赤になりながら、やっとの思いで煉獄さんを見る。その笑顔はいつもの快活なそれではなくて、少しだけ意地悪そうな、大人の気を含んだ笑いだった。

ああやっぱり、この人には敵わない。






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