鬼滅の刃短編小説 | ナノ



 鬼殺隊風柱、不死川実弥。
 彼の物珍しい風貌はその人を見るより早く人伝に広まる。体を這う幾つもの傷跡に、背中に掲げられた「殺」の一文字。大きな体躯とこちらを見下ろす視線はまるで一つの暴力だ。
 しかしその目が時に慈愛に満ち、酷い後悔に苛まれている事は万人の知るところではない。不死川が努めて人を寄せ付けず鬼殺の道を歩む根底に、肉親のそれとは別に一つの影が色濃く作用している事も当然与り知られる事ではなかった。

 見渡す限りの鈍色の中に白い髪はよく映える。鬼殺隊士達の眠る墓の間を迷わずに突き進む不死川の姿はまるで亡霊のようであった。墓守をしている隠でもなければ一度見た名の元へは二度と辿り着けぬ骸の終着地。その中を慣れた様子で歩を進めていた不死川は、一つの墓の前で足を止めた。そうして石面刻まれたその名をじっと見下ろし、砂を被った墓石の縁を指先で静かになぞった。
 その墓穴には誰も眠ってはいなかった。ただ一つ、鬼に喰われて骨の一欠片すら遺す事が出来なかった憐れな女の名が、取り繕って建てられた墓石に刻み込まれているだけである。
 だがそんな事に意味がないことを不死川はよくわかっていた。こんな事でしか生きた証を遺せなかった女の顔を少しずつ忘れていっている己の薄情さにも気が付いていた。恐ろしかった。何か一つでいい、女と自分を繋ぎ止める物を残しておかなければと、追われるような想いに駆られては無意味な命の象りからいつまでも離れる事が出来ないでいた。

「不死川さん」

 突然響いた声がざらついて乾ききった空気を裂く。縁に添えた指を女の名に沿ってつうと滑らせると、指先はすぐ砂塵で白く汚れた。それほどまでに時間が経っていた。

「鴉を置いて行かないでください。連絡が……」

 二三歩、歩み寄った気配は冷えた視線を寄越すと途端に立ち止まった。白檀の香りに混じる彼女の匂いは、余りにもこの場所に不釣り合いだ。墓石に刻まれた女と不死川を繋ぎ止める記憶など容易く塗り替えてしまう、噎せ返る程強烈な"生"の匂い。
 不死川は忘却を恐れていた。己が忘れてしまえば、女の存在すらなかった事になるのではないかと思っていた。忘れたくなかった。女の無念を晴らしてやりたかった。余りにも早すぎると思っていた。それなのに、己の記憶は日に日に彼女の影を薄めてしまう。

「……鴉だけは、傍に置いてください」

 彼女はそれだけ告げて傍を離れていった。不死川はそれに酷く安堵する。彼女の目は嘗ての己と同じだった。石面に刻まれた名の女を見ていた己と同じ目。彼女の目は酷く忘却を助長した。
 頭上高く、日輪の内を飛んだ鴉の影が己にかかる。ふと見上げ陽光に目を細めると声高に鳴いた声が鈍色の中に反芻した。骸すら遺さず呆気なく散った彼女の報せを受けた時と同じ様に。途端に呼び起こされる過日の記憶。

 白檀の香りが漂っては纏わりついて離れなかった。いつの間にか染み込んだ匂いに不死川は気付かない。鈍色の景色の中、一つの影が陰鬱に佇んでいた。
 "生"の香りはもう霞んで消えていた。


Title:誰も死なない様





×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -