目の前には上はパーカーで下はパンイチで寛ぐ松野一松、私の彼氏様である。この人とは高校の時から付き合っているから、もう8年くらい経つのか。そろそろ私も結婚したいなぁなんて、2年くらい前から思っていたけど。一向にそんな類いの話は出ない。さり気なく「友達が結婚してさぁ」とか言ってみたりもしたけど彼からは「ふーん」と興味無さげな返事しか返ってこない。まあ、普通に考えたらニートだし?頑張って私が働けば何とかなるかなって思ってはいたけど。まずそもそもの話、相手に結婚願望が無さそうだし。この人とは結婚は無理なのかなー、って心の何処かで思っていて。でも8年って長過ぎて、だって私の20代の半分くらいはコイツに捧げてるんだよ。そんなの何だか勿体ないっていうか……ていうか私、何で一松と一緒にいるんだろう。この先明るい未来が待ってる訳でもないし、私、一松のどこを好きになったんだっけ。

『私、一松のどこを好きになったんだっけ』

思っていたことが言葉になって、心臓がどくんっと大きく飛び跳ねた。背中に変な汗が滲み出る。私の気持ちを代弁したのは、いつの間にか目の前にきていた猫だった。私の思考は完全に停止して頭の中は真っ白、一松を見るとベッドで漫画を読んでいて何の反応もない。けれどもページは全く進んでいなかった。どうしよう、どうしよう、なんて言えばいいか分からなくて必死に言葉を探してる。

「別れる?」
「へっ」

何の動揺もなく、まるで「ジュース飲む?」みたいな感覚で別れ話を切り出された。読みかけのマンガをぱたん、と閉じて気だるげにベッドから起き上がった。

「…そう、だね…」

自分の声が酷く掠れていて、こんな状況なのに変に笑えた。こんなこと言いたかったんだっけ。頭の中はぐるぐるぐるぐる、ああじゃないこうじゃないと浮かんでは消えの繰り返し。何て言えばいいんだろう。

「わかった」

あれ、8年って長いんだよね。長い月日だよね。それがこんな風に冷めた珈琲みたいな、転がった空き缶みたいな。呆気ない終わりを迎えるんだ。別れ話ってもっとヒステリックなもんじゃないのかなぁ。この長い間喧嘩も沢山したけど号泣したりとか別れ話が出たことって無かったから、よく分かんない。
でもきっと、こういうことなんだと思う。「別れる?」ってすんなり言えるのも、その返答に「わかった」って顔色変えずに言えるのも。一松は私のこと、好きだったのかなあなんて疑問が浮かんできて急に切なくなった。

一松が放りながっていたジャージを怠そうに履いて「じゃ、」とオレンジ色の猫を抱き上げた。だから、そんな「また明日」みたいな態度やめて欲しい。もう、会うことないんだよ私たちは。感傷的になっているのは自分だけなのかと思ったら、何だか虚しい。あとイライラもしてきた。

「別れたくない」

一松に抱かれていたオレンジ色の猫がまた不意に呟いた。

「俺、明日から死ぬかも。」

「生きてる意味もうないし。」

このしんとした部屋で言葉を続けていく、猫の声。一松は何も言わない。後ろ姿じゃどんな顔してるのかも分からない。でも何となく分かる。

「一松」

「…………」

「一松はさ、いっつもそう。言いたい事あるくせに、言えない弱虫。どうせ俺が悪いとか、そういうのばっかりだし」

「………」

一松を責める声が震えてくる、目の奥がじわっと熱くなって視界がぼやける。自分の膝に顔を埋めると、ふわっと何かに包まれた。一松の匂い。ぼさぼさとした髪が首筋に当たって擽ったい。一松は何も言わないまま私を抱きしめて、私はというと涙が止まらなくなってしまった。

「いちまつの、ばか…」

「うん、」

「わたしの、ばかぁ…っ」

「…ん、」

一松の抱きしめる力がぎゅっと強くなった。私と一松の触れている肌の部分が熱く感じて、それが何だか繋がりのように思えた。そうだ、私は、一松の不器用な優しさがとても好きだったんだ。口下手だけど、ぶっきらぼうだけど、素直じゃないけど。
長く一緒にいると当たり前に思えて忘れてしまっていた。

「一松が私無しでは生きていけなくて、死なれたら困るから仕方ないからこれからも一緒にいてあげる」

「…あっそ」

言葉にすると皮肉な台詞だけど、さっきまで泣いていた私も彼も今では笑っている。ああやっぱり…。

「やっぱり、私には一松しかいないや。」
「やっぱ俺にはるりしかいねえ。」

オレンジ色の猫がまた余計なことを呟いた。ほら、紫色のパーカーを着た彼氏様は予想通りにやにやしている。顔赤くしてる癖に。これだからこの猫がいると面倒なことになるのだ。
でも今の一言は、私もいい事を聴けたので許してあげよう。
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