最近音無は、喧嘩をする度に必ず「もう死んでやる」と言うようになった。
初めてこれを言われた時は俺が死ぬかと思った。
土砂降りの雨の中、外へ飛び出して行った音無を本気で追い掛けた記憶がある。
確かあの時は靴も履かずに追い掛けたな。
それから音無は喧嘩をする度に「死んでやる」と連発するようになり、俺は「また始まったか」程度に聞き流すようになった。
*
今日もまた音無と喧嘩をした。
理由は些細な事すぎて覚えていない。 しかし、これを言ったら音無は更に怒るであろう。 俺は火に油を注ぐような真似はしない。
音無の怒りが静まるまで、ただ黙って待っている。
黙っているというのは、男として一番卑怯な逃げ道だ。
「も、う、知らな、い。死ん、でやるか、ら!」
音無はひくひくと泣きながらそう叫び出ていった。
どうせすぐ帰ってくるだろうと思い、俺は溜め息をつく。
何か美味しいものでも作っといてやろうか。
*
しかし、何時間たっても音無は帰ってこなかった。
真っ青だった空は、オレンジと紫のグラデーションに支配されている。
炊飯器の中には1時間程前に炊き上がった米が、今か今かと待っているというのに。
さすがに心配になり携帯を鳴らしてみた。
頼む、早く出てくれ。
俺の願いが通じたのは、12回目の発信音が鳴り終わったあとだった。
「もしもし、音無!? 今どこにいるんだ」
「…」
「変な冗談はよしてくれ。 今どこにいるんだ」
何も言わない。
しかし、耳をすませてみると静寂の中には涼しげな音が混ざっていた。
波だ。
波の音がする。
「海だな。 そこから絶対動くなよ」
一方的に切り、ここから一番近くの海へ急いだ。
潮風が眼にしみる。
浅瀬に見えたのは、ぽつんと立っている小柄な影。
俺はゆっくりと近づき、後ろから音無を思い切り抱き締めた。
ズボンが濡れても構わない。
「捕まえたぞ。 お前は本当に人を心配させて」
「死のうと思ってたんです。こんな女、源田さんには合いませんよ。源田さんはもっと可愛くて性格のいい子と付き合うべきなんです。
だから、私は死ぬんです」
「…音無が死にたいのなら死ねばいい。
だけど、お前が死ぬなら俺も死ぬ。 今、本当にお前が死ぬつもりなら、俺も一緒に逝く」
次の瞬間、音無はえんえんと泣き出した。
彼女の中で何が弾けたのか、よくわからないけれど。
ごめんなさいごめんなさいと言いながら、綺麗な涙をたくさん流して泣いていた。
そんな音無を俺は抱き締めてやる事しかできない。
こんな気が利かない男こそ、音無には合わないだろう。
「源田さん、ごめんなさい。好きです。好き、大好き、」
「俺もだよ。 俺も音無の事大好きだから。
頼むからもう死ぬなんて言わないでくれな」
海に浸かっているせいか、唇を合わせれば、控えめな塩の味がした。
それでも構わずに、二度目のキスをする。
それから音無は、もう死んでやると言わなくなった。
愛されてるのね