06


 わたしは廊下を走っていた。額には脂汗をかき、非常にひやひやしていた。走っている途中、ミストレとその取り巻きの女の子の軍団に出会った。ミストレとはけっこう仲良くなった。すれ違うたびに声をかけられ、会話していくうちに意気投合した。ミストレを囲うように円になる女の子の集団にさりげなく混ざる。ミストレと目が合い、ミストレは耀かな声をかけてきた。


「どうしたんだい、ナマエ」
「ちょっと、ね。しばらくここにいてもいいかなー」
「大歓迎だよ。ねえ、みんな」


 ミストレがにこりと微笑んで取り巻きの女の子に甘く囁くように言うと、取り巻きの女の子はポッと頬を染め、はいと可愛い声を出して頷いた。きっとミストレのこの一言がなければわたしは今頃女の子の冷たい視線に晒されていただろう。わざとらしくうふふ、あははと笑いながら、雰囲気に溶け込もうとする。わたしはミストレの取り巻き、わたしはミストレの取り巻き、と何度も心の中で唱え、自らに刷り込ませる。しかし、背後から足音が近づいてくる。わたしは再び冷や汗を流し、ごくりと生唾を飲んだ。まさか、バレてしまったのか。激しく鼓動を打つ胸を手で押さえ、何とかやり過ごそうとしたが、肩を叩かれた瞬間、命の終わりを感じた。


「隠れても無駄だぞ」


 後頭部に視線がナイフのように突き刺さる。背後に奴の気配を感じた。ミストレは奴の事を見るなり、そういうことだったんだ、と呆れたように笑った。血の気がどんどん失せていくのを感じたわたしだったが、ここでみすみすと捕まるわけにはいかない。わたしは一瞬の隙をつき、再び逃げ出した。全速力で廊下を駆け抜け、階段を飛び降りる。後ろから鬼が追ってきていることをわたしは知っていたが、振り向く暇もないほど、逃げるのに必死だった。一階におり、購買部のあるところに差し掛かったときだった。エスカバの姿を発見した。わたしは踵で踏ん張り、スピードを抑え、エスカバへと飛びついた。


「エスカバ!一生のお願い!助けて!」
「なんだよ、お前の一生のお願いは恐ろしいから助けたくねえよ」
「お願いしますエスカバ先輩!!」
「ったくお前な」


 エスカバはひどく呆れていた。わたしは知っていた。エスカバは男子の中では親分のような存在なので、先輩、などとそういうワードにはきっと弱い(これはあくまでもわたしの考えであり、本当にエスカバがそうなのかは知らない)両膝をついて、エスカバの胸元に手を置いて懇願していたときだった。再びわたしの背中からあの身が凍るような恐ろしい声が響いてきた。


「エスカバ、そいつを引き渡してくれるか」
「バダップか。もちろんだ」


 そういってエスカバはわたしを立たせ、突き放した。三歩後ろに下がったときには、肩に手を置かれた。ジ・エンドだ。鬼もといバダップにより捕まってしまった。バダップはわたしの頭をボールのように掴むと、行くぞ、と無理やり引きずっていった。エスカバは自業自得だと腕を組んでいた。わたしはそんなエスカバに向かってこの裏切りもの!と叫ぶことしか出来なかった。


 そして現在、わたしはとある小さな自習室にて、一つの机を境に対面している。この自習室は自習をするためにいつでも貸しきられており、許可が下りれば24時間使える。といっても24時間も自習をしようとするやつなんていないので、このような申し出があることは稀である。わたしは椅子に座り、両手を膝の上に置く。机の上には参考書の山。思わず頭がくらくらしてしまうような量だ。その山の先に椅子に座ったバダップがわたしのことを見下している。


 さてここでどうしてこのような状況になったのか説明しよう。もうすぐこの王牙学園で期末テストが行われる。もちろんわたしは一ヶ月にして落ち零れの座を勝ち取り、落第の危機にある。バダップは指導官として、わたしが落第したり、成績が不振すぎると自分の名誉に関わるので、このようにわたしに勉強をさせようとしているのだ。わたしはその話を聞いた瞬間、先ほどのように逃げ出したが、あっけなく捕まってしまった。この席に座ってしまった以上、わたしに待っているの徹夜で勉強、という地獄だった。わたしは恐る恐る挙手をした。


「バダップ先生、本当にこんなに勉強するんですか?」
「当たり前だ。お前を上位に食い込ませてやる」
「それはわたしのためではなく私欲でしょうか?」
「当たり前だ。さっさとやれ」


 バダップは参考書とノートを開き、わたしの目の前にたたきつけた。しょうがないのでわたしはシャーペンを握り、問題を解き始めたがさっぱりわからない。問題の答えどころか問題の意味すら理解できなかった。うーんと首をかしげ、唸るが答えがでてくるはずもなく、一問目にしてくじけた。バダップの隙をついて逃げ出そうと企んだが、バダップは全く隙を見せなかった。囚人を見張る看守のように射殺す勢いで睨んできた。しかし隙がなくても、懲りずにわたしは逃げ出そうとした。

 その結果、わたしは椅子の足に自分の足を縛られ、椅子と一体化することになった。まさにこれは監禁だ。身に降りかかる苦難に涙が出そうになった。しかしバダップもただ見張っているだけではなかった。つまずいたりしていると、ぶっきらぼうであるがアドヴァイスをくれた。バダップのおかげもあり、着々と問題を解いていたわたしであったが、如何せん、眠くなってきた。うつらうつらとして、夢の世界に一歩足を踏み出しそうになったときだった。ガクリと項垂れる直前、バダップはわたしの眉間にシャープペンシルをつきたてた。照明の光を浴びて、シャープペンシルは鋭利な光を放った。もう少しでシャープペンシルがわたしの眉間に突き刺さりそうだった。わたしの眠気は一気に覚め、ごくりと生唾を飲んだ。バダップは淡々とした口調で言った。



「痛みを伴ってもいいんだったら、寝てもいいぞ」
「すみません、寝ようとしていたわたしが馬鹿でした」



 わたしはもう一度シャープペンシルを握った。まったくどんな拷問だ。



 それから夜となり、時計の針がだんだんと傾いていく。わたしは目を血眼にして問題を解いていた。生気を失った奴隷のような表情をしていたと思う。ちなみに一回シャープペンシルで眉間を刺された。予想通り痛かった。バダップも徹夜は少々きついのか、眉間に指を当てて、眠気を覚ましていた。シャープペンシルで突き刺したり、椅子の足にわたしの足を縛りつけたりと、非道なことをしているが、バダップはわたしの徹夜に付き合ってくれている。こんな馬鹿を一晩中相手にするのは体力的にも精神的にもきついことだろう。これも一応バダップの優しさなのか。そう思うと、自然と目が覚めた。

 朝日が昇ったころ、やっとノルマとして出された最後の最後の問題も終わり、わたしの徹夜勉強会も終わりの鐘を鳴らした。わたしは心に溢れる達成感に手を万歳とし、おわったーと声を上げた。バダップもやっと終わったことに安堵したのか、息をついていた。足枷をはずしてもらい、自由の身となったわたしは外へと出た。バダップもそれに続く。近くにテラスがあったので、窓を開けてテラスへと出る。朝のひんやりとした空気によってわたしの頭は妙に冴えた。気持ちが良かった。しかしやたらと朝日が目に染みる。朝日を見て、こんなに感動したのは初めてだ。よく頑張った、わたし。そう自分を一生懸命励ました。

 そのとき、後ろからバダップに声をかけられた。振り向いてみると、バダップも同様にテラスに足を踏み入れ、手に持っていた何かをわたしに投げた。わたしはそれを受け取る。缶ジュースだった。バダップは缶コーヒーのプルタブを開け、それを飲みながら、わたしの隣へと来た。


「よく頑張ったな、ナマエ」


 バダップはやけにすましていたが、褒めてくれた。手にある缶ジュースとバダップを交互に見つめる。そしてわたしはとあることに気がついた。


「名前を……呼んでくれた」


 わたしのその言葉に、バダップは缶コーヒーを飲んでいた手を止めた。彼自身も少なからず驚いているようだった。わたしは缶ジュースを握りながら喜びをかみしめた。嬉しかった。今まで罵倒されたり、咎められたりとマイナスなことしかなかったから、余計に嬉しかった。わたしはにやにやとしながら缶ジュースのプルタブを開けた。缶ジュースを仰いで飲む。朝日が眩しかったが、心地よかった。


 そして期末テストが行われ、結果がでた。上位に食い込めなかったことにバダップはひどく落胆していたが、落第をせずにすむ成績だったので、わたしはとても嬉しかった。ちなみにバダップは余裕で一位を取っていた。こいつ、やっぱり鬼だ。





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