20


 時を遡るのはまるで泳いでいるみたいだった。でも自分で手を掻いたりしなくても、まるでエンジンがついているかのようにすいすいと前に進んでいく。とても心地よくて、面白かった。テンションが上がったわたしはカノンの少し後ろでナマエの地獄車とか言ってその場で前転したりしていた。カノンはそんなわたしに呆れながら、あまり下手に動くと違う時間軸に落ちるからやめてと忠告してきた。わたしははいはいと生返事を返して、相変わらず大回転していた。それがいけなかった。時というのは川の流れのようだった。つまり、その流れから外れると簡単に落ちていく。回転していたらカノンと一緒に辿っている時の流れから外れてしまい、あっ!と声を出す暇もなく、違う時間軸へと吸い込まれていってしまった。カノンが目をかっぴらいてこちらを見つめるその表情を最後にわたしの視界は変なものに切り替わった。赤とか青とか黄色かいろんな色とビルとか山とかいろんな景色がごちゃごちゃに入り混じって、洗濯機の中にいるかのようにぐるぐると回り、目まぐるしく移り変わる。あまりにも早く、激しく、強烈に切り替わっていく視界に三半規管が強いわたしもかなり参った。あーあーあー!とうめき声を上げながら手で目を覆う。もう何も見たくない。これ以上見たら目が潰れてしまう。目の残像がやがて脳にまでいきわたり、目を閉じていても、脳でその様子が再生される。苦しい。死ぬかもしれない。頭がおかしくなりそうな映像の合間合間、コンマ0.15秒ぐらいの感覚で何かが映りこんでくる。銀色の髪に、冷徹な瞳。バダップだ。あいつの姿がしっかりと見えた瞬間、地獄みたいな映像は終わった。ついでに回転も収まる。死ぬかもしれないときに最後に見えた映像が億万長者の自分ではなくバダップだったとは。悔しくてたまらなかった。


 目を開けると燦々と降り注ぐ太陽の光に真っ青な空、常夏を連想させるヤシの木。長閑な空気。左手にはなにやら宿舎がある。右手にはサッカーコートにサッカーをしてる少年たち。ここはどこ、立ち上がってもっと詳しく辺りを見回そうとした瞬間、危ない!と声が響く。声がした方向に意識をむけた。その瞬間、頭に強烈な痛みを感じる。まるで剛速球のボールがぶつかってきたみたいな感覚だ。またわたしの視界がくるくると回った。トントンと音が聞こえる。見てみると、そこにはサッカーボール。カノン、やっぱりサッカーは恐ろしいものだ。いつもなら避けられそうだったけれど、先ほどの壮絶な時間旅行のせいで、わたしのメンタルはぼろぼろだ。そのまま、わたしはゆっくりと瞼を閉じる。今はなんだか眠りたい気分だ。


 目が覚めた。目の前には天井。私はベッドで寝ているようだ。起きてみると、見知らぬ少年少女たちが全員こちらに注目していた。安堵している顔もあれば、驚いている顔もある。わたしは咄嗟に言った。「ここはどこ?」すると近くにいたバンダナをつけた少年がはきはきと説明してくれた。


「ここはイナズマジャパンの宿舎なんだ。怪我のほうは大丈夫か?あの豪炎寺のシュートだ、相当痛かっただろう……」
「すまない」

 豪炎寺と思われる髪の毛を逆立てた少年がわたしに向かって謝った。確かにサッカーボールにしては頭がかち割れたと思うほど痛かったけれど、特に支障はなかった。わたしが人一倍石頭なせいもある。


「いや、全然平気……それより、とても変なことかもしれないけど、今何年?季節は夏っぽいけど……そういえば、この国はなんて国?」


 すんなりと答えてくれると思っていたが、ベッドの周りを囲む少年少女たちの表情はわたしの言葉を機に一変した。まさに表情が凍り付いている。「まさか……」「シュートの衝撃で……」とひそひそ話も聞こえてくる。変なゴーグルをつけたドレッドヘアの少年が言った。


「もしや……記憶喪失というやつか?」
「記憶喪失?そんなことないよー、自分の名前ぐらい覚えてるよ、わたしはナマエ」
「では、今は何年何月何日だ?出身国と、生年月日等は言えるか?」
「楽勝、今は……いや、うーん、出身国……」


 自信満々に楽勝とか答えてしまったけれど、よくよく考えてみたら、私は未来人だ。出身国とか、生年月日なんて言ったら、記憶喪失どころじゃない。ただの頭おかしい奴に思われる。下手に嘘ついて辻褄が合わなくなるのも困るし、まずわたしがそんな巧妙な嘘をつけるはずがない。詐欺師のように甘言が上手かったらもっと楽な生活を送っているに決まってる。わたしはさっきの堂々とした態度を改め、急にしおらしくした。わざとらしく額に手を当てて、頭痛が痛い……なんて眉間に皺を寄せてみる。


「うう……過去のことを思い出そうとすると……急に……頭が……」
「今は無理に思い出さなくていい」
「ごめんなさい……ありがとう」
「現地人……ってわけでもないし、名前を覚えてるんだったら、情報センターにいっていろいろ調べてもらったほうがいいかもな」
「別にそれは平気、たぶん」



 演技をしていたはずなのにもう素が出てしまった。


「でも寝るところとかどうすんだ?家族とかいるだろ?」
「実は一人旅でさ、ホテル探してたけどみんな満杯でとれなくて……だから野宿する予定だったんだ。今思い出した」


 今思い出したなんて、真っ赤な嘘だ。さすがに態度がコロコロ変わる様子に気づいた人から訝しげな視線を感じる。ドアにもたれているハゲ頭の少年が言った。


「なんか怪しいな……お前。本当に記憶喪失なのか?」


 なかなかいい勘をしているなハゲボーイ。わたしはしゅんとした表情を浮かべながら心の中でそう呟いた。


「わたしを……疑うの?そうよね、確かに、記憶喪失疑惑の女がここに居続けるのもよくないことね……」
「うさん臭いやつだな……」
「そう、私は胡散臭い奴……」


 素を出さないようにするためには今にも死にそうな儚い雰囲気を出すしかない。病気で明日死んでしまうかもしれないほど、弱く、儚く。けれどわたしはどうも儚い雰囲気を出すのが苦手らしく、改めて考えてみるとただ頭が可笑しい人だった。もしわたしがこんな女と遭遇したらとりあえず一回気絶させる。わたしを取り囲む少年たちも眉を顰めてこっちを見つめてくる。ボロが出ないうちにさっさとここから逃げ出そうと考えたわたしはベッドから抜け出し、近くにあった窓にもたれかかった。兎に角、普通に静かな少女を演じればいいんだ。頭の中で何度も繰り返しながら私は言った。


「私は……ここにいてはいけないの……」


 自分でいっときながら私は吹き出しそうになった。これじゃ静かな少女なんかじゃない。しかもどうして悪の組織から追われている儚き少女みたいな設定なんだ。笑いを堪えているせいか、唇がぴくぴく動く。咄嗟にでた言い訳にしてはずいぶんぶっ飛びすぎている。ますます怪訝そうに見つめてくる少年たち。このまま質問攻めされたら私はきっととてつもなく変なことを言いそうだ。それもそれでおもしろそうだけど。しかし変に事を荒立ててカノンに迷惑かけたら博士の涙声と怒声の混じった声でガミガミ言われそうだ。私は窓の下を見つめる。幸いここは一階だった。私は窓枠に足をかけて、ぴょいっと外へと飛び降りた。一応看病してくれた御礼を言おうと振り向くと、口をあんぐりと開けている少年達の顔が目に入った。確かに記憶喪失疑惑のかかった少女がする行動とは思えない。あのまま演じ続けるのなら令嬢のようにどうもありがとうございましたとか御礼を述べて小鳥が囀るような綺麗な言葉で賛美して去るのがいいだろう。けれどわたしには絶対無理だ。どうせこのあと一生会うことのない連中たちだ。わたしとの邂逅は夢の出来事だったと思って欲しい。手をさっと上げて私は言った。


「それじゃあ」


 そう一言だけ言うとわたしはその場から走り去った。


 走り去ったのはいいけれど、強烈なシュートのおかげでカノンとの通信機がぶっ壊れて通信できない状態になっていた。観戦が楽しみだの旅行だの賑わう人ごみの中わたしは苦虫を潰したような表情をする。こちらからカノンに連絡を取るには通信機を使うしかなかった。しかし肝心の通信機が壊れてしまった。もしかしたらカノンが迎えに来るまで元の世界に帰れないんじゃないか。普通、映画や本だったら元の世界に帰れないなんてどうしよう!って騒ぎ喚くだろうけど、わたしは違った。拳を握ってガッツポーズをした。よっしゃあ!!わたしは元の世界に未練なんて全くない。今、わたしがいる場所はきっと常夏の国。常夏の国=バカンスという言葉が脳内に広がり、ビキニにアロハシャツを着て、筋肉美のイケメンを横に侍らせながら砂浜のベンチに寝転び、優雅に甘いカクテルを味わうところまで妄想した。お金なんてなんとかなるだろう。食べ物も困らないだろう。生ゴミに手を出して小銭の一つひとつに目を光らせて生活していた傭兵時代のことを思えば、ここは天国。本来の目的はRHプログラムをなくすこととカノンの護衛だけれど、これは事故だ。きっと満足した頃にカノンが来てくれるだろう。わたしは目を爛々にさせて、遠い彼方に広がる海を見つめた。待っていろ、海。私は海へと向かって駆け出した。


 海で楽しむためにはまずは水着を買わなければ。わたしは近くのショップへと立ち入り、水着を選ぶ。

「やっぱりー、セクシー路線でいくなら黒だよねー。でも可愛いかんじも捨て難いよねー。だからパステル系の色でもいいかなー。まっ一番大切なのはやっぱり谷間だよね谷間」


 独り言を呟きながら水着を眺め続ける。水着を買うお金の心配はしていなかった。これは生きるための手段だ。生きるために行う犯罪、それを果たして悪と呼ぶべきなのか。結局のところ自分だけ得すればいいといういかにもクズらしい考えしか持っていなかったのが本音だけれど。


「はあー、やっぱり海っていいよねー。あんな牢獄みたいな学校に閉じ込められて般若とも言える鬼畜野朗の元でずっといったわたしって、本当に偉い」
「般若とはな」
「般若で十分だよ、あんなやつ。般若じゃまだ可愛いよ。般若に地獄めぐりさせて幾千もの人間の血を吸わせたといっても過言ではないよね。うん?聞き覚えのある声だったけど、まさかね。ここまで幻聴が聞こえるなんて思ってもみなかった」
「幻聴ではない」
「えっ?」


 まさかと思っておもむろに振り返ってみるとそこには般若鬼畜野朗と先ほどまで罵倒していたバダップの姿があった。思わず手に持っていた水着を落とす。曖昧に口を開きながらしばらく呆然とする。相変わらずその眼光の鋭さは衰えていなかった。ナイフを眼球に突きつけられている気分だ。
段々とわたしは顔色を青くしていき、最終的に真っ青になった。それに加えてだらだらと汗が大量に垂れてくる。わたしは目を白黒させながら尋ねた。


「なんで、ここにいるの」
「それはこっちの台詞だ。どうして貴様が80年前にいる。誰の許可を得て時空跳躍を行った?」
「黙秘権っていうものがこの世にはあってね、バダップくん」
「この状況で未だに黙秘権という言葉を使うとは。状況を理解していないようだな」


 しばらく無言で対峙する。お互いに睨みあって行動を牽制する。バダップは本気でわたしがこの時代にいることを不思議に思っているし、不快とも思っている。王牙学園の中ではこのままバダップに捕まって、帝王学の真髄みたいな宇宙人が著者とも言える難解な本を突きつけて知的拷問してくるだろう。しかし、ここは王牙学園じゃない。指導官でもない堅物鬼に大人しく捕まっている理由などどこにもない。わたしは逃げると意を決したとき、バダップのそのことに感づいたのか、一層眼光を強めた。「待て」のまが発音された瞬間、わたしはそれをかき消す程の劈く悲鳴を上げた。


「この人、痴漢です!助けてください!」


 その言葉に店員がこちらへと向かってきた。バダップは店員の動きに気を取られ、一瞬足を止めた。このときを待っていた。私は身を低くして、全速力でバダップの脇をすり抜けた。腕をつかまれそうになったけれど、食い逃げ常習犯の称号を過去に獲得したわたしをそう簡単に捕まえられるはずがない。バダップを振り切って、店の外へと転がるように駆ける。決して後ろを振り向かない。振り返ったとしたらきっとまた地獄へと送還されてしまうだろう。輝く太陽にマリンブルーの海、その横に広がる白い砂浜を死に物狂いで駆け抜ける。わたしが望んでいたバカンスはこんなものじゃなかった!!心の中でそう怒鳴りながら、口元を手で覆うビキニの女の目を気にせずに逃げた。その後、わたしのいる時空を探り当てたカノンに救われ、無事に到着予定だった時空へとたどり着けた。








   
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