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 ミストレがバダップに論破されるという形で紛争の戦略についての討論は終わりを告げた。しかしだいぶ長かった。終わったころには空はとっくの疾うに真っ暗になっていて、街に光るネオンから夜の香りを感じた。エスカバとミストレを見送り(ミストレのほうには殺意の視線を送っておいた)、わたしとバダップは帰路を辿っていた。バダップにミストレとの間にあったことを話すとバダップは額に手をあて、非常に疲れた表情をしていたが、バレてしまったことはしょうがないとこってり絞られることはなかった。ラッキー!不幸中の幸いとはこのことだろうか。わたしはバダップに怒られなかったことに胸を躍らせたが、ミストレのあの胸糞悪い顔を思い出すとテンションは急降下した。ああ!今すぐあいつの顔を殴りたい!


 バダップの家はとても広かった。親はきっと偉い人たちだろうと踏んでいたが、ここまで豪華だとは思わなかった。庭は広いし、公園に生えてそうな木までもが生えていた。いたるところに意匠をこらした門を開くと執事やメイドの人たちが出迎えてきた。こいつは王族か、と目を見張った。バダップは慣れた様子で「今日、オレには構うな」と一言行って部屋へと歩いていった。今まで立ち入ったことないほど豪華な家にわたしは驚き、口をあんぐりあけたままバダップについていった。バダップの部屋へと入る。部屋は必要最低限のものしかなく、豪華な家に反してとてもシンプルだった。わたしは感嘆の声を零した。


「すごいねー、こんなすごいとは思わなかった。それより、お父さんとお母さんは?」
「仕事でどちらも家を空けている」
「ああ、なら、大丈夫か。でも家に女の子を連れてきて、構うな、なんていったら執事さんとかメイドさんたちに噂とかされそうだねー。まさかわたしバダップの彼女って思われているのかな」
「オレの家に働いているものたちはそんなくだらないことは口にしない」
「へえー」


 わたしは近くにあったソファーへと歩いていこうとしたが、それよりも先にバダップが歩き出した。わたしはバダップに引っ張られ、思わずこけそうになった。バダップは先ほどのミーティングルームにあったような机の前に座ると、電子パネルをタッチし始めた。わたしはうんざりとした顔をする。


「まだ勉強するの?」
「そうだ」
「はいはい、わかったよ」


 わたしは近くにあった椅子を引っ張ってきて、バダップの隣に座った。手首を繋がれているため、こうしてバダップの隣で勉強を眺めているしかやることがなかった。バダップはわたしに構うことなく、勉強し始める。タッチパネルのキーボードを叩くたびにわたしの右手がバダップの左手につられ、せかせかと動く。わたしはそれをぼおーっと見つめていた。しばらくその時間が続く。おなか減ったなーと思ったら、腹の音が鳴った。


「ねえ、バダップ。おなか減った」
「今は待て」


 バダップはせかせかと手を動かし、画面を一心に見ながらそう答えた。そのときバダップが軽く咳きをした。わたしは目を丸くする。


「風邪引いてるの?……鉄が風邪を引くとは……」
「引いていない」


 バダップは淡々と言った。それからずっと問題を解いたり、何やら複雑な文章を書いていたりしていたバダップだけれど、明らかに咳きこむようになり、頭が痛いのか、額をしばしば押さえた。顔が若干赤いし、熱があるように見えた。気になったわたしは自分の手をバダップの額へ当てる。熱かった。


「バダップ、風邪引いてるじゃん」
「大丈夫だ。これくらい」
「とかいって、これからもっと熱でたらどうするの」
「このぐらいでへこたれてどうする」
「もっとへこたれたら話にならないでしょ」


 口酸っぱくいってもバダップは問題を解き続ける。しかし本人もきついのか、しばしば目元を手で押さえ、風邪に耐えていた。しょうがないなあ、とわたしは席を立つ。


「ほら、病人は寝る」
「まだだ」
「まだだ、じゃないでしょ。駄々をこねる子供かあんたは。ほら、いくよ」


 そういってわたしはベッドへと歩んでいった。無理やり歩いていけば、拘束具で繋がれているバダップはいやでも歩くことになる。もちろんバダップは抵抗した。


「このぐらいで音を上げてどうする」
「起きててわたしにうつされたらヤダ」
「馬鹿は風邪を引かない。問題ない」
「問題ない、じゃない。こうなったらあんたを絶対ベッドに叩きつける」


 遠慮なしにお互い引っ張り合い、歯を食いしばっていがみ合う。目に見えない鎖がギチギチと音を立てていた。お互い足で相手を牽制したり、椅子や机などの家具を使って戦っていたが、バダップが体調が悪いおかげもあってか、わたしが勝った。わたしは馬鹿力を振り絞り、なんとかバダップをベッドに叩きつけるかのように寝かせた。バダップもつらかったのか、意外と素直に降参し、寝転んだ。


「お前に構ったせいで余計に体力を使った」
「うっさいなー、さっさと寝ろ。大人しく寝ないと刺すよ」


 冗談のつもりでわたしはポケットからコンパクトナイフを取り出して、刃を見せるとバダップは目の色を変え、真剣な面持ちで睨んできた。


「いつ襲われても対応できるようオレの部屋には数々の武器を仕込んでいる。枕元にも民間でよく使用される自動式拳銃を……」
「ちょっと何本気で闘おうとしてんの」


 目を平らにしてコンパクトナイフを再び仕舞った。バダップは勉強のことは頭から離れなかったのか「三時間たったら起こせ」とわたしに言ってきた。わたしははいはい承知しました、と適当に流す。それからバダップが寝付くまでは早かった。あの鉄火面で鬼野朗なバダップの寝顔を見れるなんて、滅多にないことだった。いつも無表情なのに寝顔は可愛く見えた。頬をつついてやろうか、と思ったけれど起こしたら悪いのでさすがにやめておいた。拘束具で繋がれている以上、どうすることもできなかったわたしはその場でぼーっとしていることしかできなかった。バダップの寝るベッドの縁に座り、時折バダップの様子を見る。だんだん汗をかいてきたので何か拭くものはないかと、きょろきょろと見渡すとティッシュが目に入った。バダップを起こさぬよう、頑張って手を伸ばし、箱をとる。タオルとかじゃないけど、まあいいだろうとわたしはティッシュでバダップの汗をふき取る。そして額に自分の手を当てる。わたしの手は普通の人よりも冷たいから、多少楽にはなるだろう。体をだいぶ捻る形になるけれどしょうがない。温まったら手をはずして冷やし、また当てる。そんなことを繰り返していたら、三時間が経った。バダップを起こそうかと思ったけれど、思った以上に爆睡していたので、そっとしておくことにした。そして先ほどのことを繰り返し行い、気がつけばわたしもうとうとし始め、いつの間にか眠っていた。



 早朝、まだ日が昇ってまもないころ、バダップの声によって目が覚めた。



「ナマエ、何している」
「………ごめん」


 わたしはバダップの腹の上で寝落ちしてしまった。ずいぶん固い枕だと思ったらそういうことだったのか。すぐさま身を起こしたけれど、背中がだいぶ痛かった。まあ、変な体制で眠ったからしょうがないか。



「そういえば、風邪はもう大丈夫?」
「昨日よりは楽になった」
「それはよかった。でっもしかして今から勉強し始めるの?」
「昨日の続きが終わっていない」
「……………」
「……………」
「……はいはい!付き合いますよー!」



 わたしは不満に唇を尖らせ、ぶーぶーとブーイングしながら、バダップが机へ向かうのについていった。また昨日のようにバダップの隣に椅子を引っ張ってきて座る。眠気がまだ残っているので、大きな欠伸をして、むにゃむにゃと口を動かしたときだった。バダップが突如、肩、と呟いた。寝ぼけていたわたしはもう一度バダップの言葉を聞こうと耳を傾けた。



「今なんていった?」
「肩を使え」



 バダップは画面から目を離さず、手をせかせかと動かした。肩ってそういうことか。わたしはそっけないバダップの優しさに思わず微笑んでしまった。珍しいこともあるんだなーっと思いながら、わたしはバダップの肩に自分の頭を傾ける。



「じゃあ、遠慮なく貸してもらいまーす」



 そうしてわたしはバダップの肩に頭を預け、もう一度眠りについた。次の日、見事に拘束具ははずれ、何とかほっとした。けれど体中の激しい痛みに一日悩まされることになった。でも、バダップの意外な一面が見れたし、いいか。朝はわたしのことを気遣って車で登校してくれたし。案外優しいやつなのか、あいつ。わたしは改めてバダップについて考えた。そういえば、夜中バダップの隣にいたのに風邪が全くうつらないわたしって、正真正銘の馬鹿なのか。なんだか哀愁を感じた。







   
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