09


「おはよう、ナマエ。朝から会えるなんて思いもしなかった」
「ぺっ!」

 朝っぱらから顎をミストレの白い指で持ち上げられて、ニヤリと微笑まれながら挨拶された。わたしは眠かったし気に喰わなかったから、挨拶代わりにミストレの顔面に唾を吐いた。ミストレはわたしに唾をかけられた瞬間、眉間に皺を寄せて、凍りついたかのようにかちりと固まった。このクソアマって顔に書いてある。自分の容姿に絶対的な自信を持っているミストレにとっては耐え難い屈辱だろう。だけどそんなこと知ったこっちゃない。わたしはその場から全速力で逃げ出した。昨日は陥落とかわけわからないこと話してたけど、わたしはあいつの取り巻きの一人になるつもりはかけらもない。これだけははっきりいえる!

 

「ってなわけでわたしも大変なのよねーあっエスカバには関係なかった話だったね」
「最後の一言が余計なんだよ。お前のつまらねえ話を聞いているこっちの身にもなれよ」
「つまらないなんてひどい。こっちだってちゃんと飽きないようにおもしろおかしく話していたはずなんだけど」
「本当につまらない話だったね、話を婉曲しすぎだ」


 休み時間にエスカバにミストレとの間にあった話をしていたら、まさかの本人光臨だ。わたしはぎくりと肩を跳ね上がらせた。噂をすれば影がさすというのをまじまじと感じた。後ろを振り向かなくても腕を組んで仁王立ちしている姿が瞼の裏に浮かぶ。わたしはゆっくりと振り向いた。やっぱりミストレは腕を組んでいた。でも仁王立ちのように力強く構えていない。壁に手をかけて非常に力を抜いていた。わたしはふんと鼻で笑い、平然を装った。


「かの有名なミストレくんがわたしに魅了されたのは間違いなかったってことでしょ?」
「魅了?オレはただ興味を持っただけだ。それに気づいたんだ。オレは君を屈服させたい。その高慢な鼻をへし折って一泡吹かせたいんだ。独占欲と似ている。もしこれが恋というものだったらそうかもしれない。でも、ただそれだけだ」



 己の理論を誇らしげに語る姿は歴代の雄弁者のようだった。なんてやつだ。おそらくミストレは小さいころからちやほやされて生きてきたんだな。とくに女の子に。だからきっとわたしみたいな自分の言うことをしおらしく聞かない女の子が気に喰わないから、己の思い通りにしたいだけだ。これは戦争だ。うふふ、大好きよ。ああ、オレも。なんて甘ったるい恋なんてもんじゃない。降伏したほうが相手の思い通りになる。勝ち負けのある、恋とは呼びがたいもの。わたしとミストレは激しく睨みあい、その間には火花が散った。たった今、戦争が勃発した。言っとくがわたしは負けるわけにはいかない。こんな超絶ナルシスト野郎の思い通りになってたまるか!わたしは肩を震わせ、不敵な笑みを零した。


「わたしはアンタなんかに落ちない。それにわたしには仲間がいるんだから!」


 そういってわたしはエスカバのことを指差した。エスカバはぎょっとし、険しい形相でわたしを睨みつけた。しかしわたしはエスカバの表情や気持ちなんてどうでもいい。とりあえず、今すぐこの場から逃げ出さなければいけなかったのだ。まあ、その理由は後々話すことにする。わたしは三半眼を鋭くさせるエスカバの背後に回り、肩を軽く叩いた。


「じゃあ、エスカバくん、後は貴方に頼みます」


 そうしてわたしは全速力でその場から逃げ出した。背後から待て、と慌てたエスカバの声が聞こえるが、大人しくその言葉を聞いている暇はない。わたしは軽く振り向き、呆気にとられている二人、主にミストレに言葉を吐き捨てた。


「じゃあね!せいぜい頑張るんだね、バーカ!」


 あっミストレの眉間に皺が寄った。わたしはミストレの様子を見て、たいそうほくそ笑んだ。ミストレのことをからかうのを楽しんでいる。わたしこそあいつが騒然とする姿を見たい。まあ、この戦争、負ける気はしないけれど。


 さっきいったようにどうしてわたしがあの場から逃げたのかを説明しよう。今、わたしは王牙学園の廊下を走ってどこか隠れるにぴったりの場所を探しているのだけれど、どうしてここまで逃げいるのかというと次の時間に入っている教科が基礎教練だったからだ。基礎教練とは整列、気をつけ、休め、執銃時の動作など基礎動作を学ぶ授業なのだけど、こんな授業、わたしはかったるくてやってられない。それに基礎教練などの授業は傭兵事業が盛んな小国にいるときに取得済みだ。いまさらやる必要なんてさらさらない。どこか気軽に休めるところないかなーっと王牙学園の中を徘徊しているといつの間にか門へとたどり着いていた。調合金でできた金庫のように堅固な守りを見せ、相変わらずの威圧感をその身から溢れ出さしている門だけれど、装飾された箇所に足をかければ登ることもできそうだった。この学校内にいても暇だし、徘徊している間に強敵バダップなんかに見つかったら、大目玉を食らいそうだ。意を決したわたしは門の装飾へと足をかけて、よじ登った。

 久々の外の空気は美味しかった。まるでじめじめとした陰湿な獄中から朝日の当たる気持ちよい森林へと出たような気分だ。シャバの空気はうまいとはまさにこのことだ。わたしは胸いっぱいにこの空気を吸い込み、背伸びをしながら吐き出した。全身全霊をつかった呼吸だ。肩をまわしてみるとポキっと枝が折れるような音がなった。そういえば街の人からやたらと視線を感じるような気がする。未知のものを見るような好奇心と恐怖感が混ざった瞳がわたしの体に突き刺さる。でも、それもそうかもしれない。王牙学園という大国一の士官学校の兵士が軍服に模した制服のまま街に繰り出せば、こうなることぐらいわかっていた。あんまりいい気分ではない。だからわたしはあえて強気な態度にでることにした。少しぐらい息抜きしたって何が悪いって、お高く止まって、街を歩き、公園を目指した。

 公園につき、近くにあったベンチへと腰を下ろした。空に溶け込みそうな澄んだ浄水が街全体を包むような、本当にきれいな空気だった。鉄臭くないし、ガス臭くないし、火薬臭くもない。死臭もしない。宙に舞う埃の粉塵さえない。今までわたしがいた環境からは考えつかないほど、心地が良かった。肩の力を抜き、陽だまりの明るさを堪能しながら、ゆっくり目を閉じた。しかし、足元に何かが転がってきた。やんわりと目を開けて確認してみると、サッカーボールだった。わたしはサッカーボールの存在に驚き、目を丸くした。サッカーのことはいろいろと聞いていたけれど、実際にはやったことはなかった。王牙学園の生徒たちはみんなサッカーを害虫みたく毛嫌いしているけれど、わたしは全然そう思わなかった。むしろサッカーに興味があった。世界中を魅了するサッカーがどんなものなのか、そのおもしろさを味わってみたかった。足元に転がってきたサッカーボールを手に取り、目を輝かせてまじまじと見つめていると、人影がわたしの足元まで伸びてきた。視線をずらしてみると、わたしより小さな少年とわたしと同じ年、それかそれより下ぐらいの少年の姿があった。怯えている小さな少年に対し、もう片方の少年は緊張しながらも堂々と立ち、勇気を振り絞っていた。赤いバンダナが特徴的で、わたしは目立つなあとバンダナばっかり見つめていた。すると、バンダナの少年が声を震わせた。


「それ、返してください」


 わたしは呆気にとられた表情をした。しかし、わたしのボケも許さず、じっと見てくるので、慌ててボールを返した。


「これ、君たちのだったんだね、ごめんごめん」


 すると、二人の少年は目を丸々とさせ、吃驚した。わたしはまた何かしたのかと焦り、人差し指で頬をかいた。


「わたし……また何かした?」
「いや、その、王牙学園の人なのに優しいなって」


 少年は明るく笑った。そうだった。今のわたしは王牙学園の制服を着ていた。王牙学園はサッカーを嫌っているから、そんな人たちの前にサッカーボールを転がしてしまったら。だからこんなにも緊張していたのか、とわたしは感心した。この少年たちを恐がらせないよう、わたしは出来るだけ優しく微笑んだ。


「わたしは王牙学園であって、王牙学園じゃないからね」


 少年たちはわたしの台詞にきょとんとした表情をした。しかし、わたしも自分が言った台詞が気にかかった。わたしはどこに所属するんだろう。母国の傭兵部隊?あそこは傭兵を産業としているぐらいだ。わたしは人間じゃなくて品物だ。人としての価値なんて与えられない。所属なんてもんじゃないし、したくもない。じゃあ、王牙学園?それも違う。わたしは王牙学園の兵士たちみたいに母国への忠誠心もないし、強い国にしようとも考えていない。むしろどうにでもなれ、なんて思っている。そんな考えを持つわたしがあそこに溶け込めるわけがない。なら、わたしはどこに所属する?答えはすぐわかった。わたしがいる場所なんて、どこにもないんだ。しいていうなら、傭兵として紛争に介入しているときぐらいしか、必要とされていない。

 なんだか物寂しくなり、ぼーっと宙を見ていると、少年がどうしたんですか、と声をかけてきた。わたしは平然を装い、何でもない、と答えた。この子達はこれからサッカーをやるらしく、混ぜてもらおうかと思ったけれど、生憎今のわたしは王牙学園の生徒である。混ざっても迷惑だろう。少年たちの背中を笑顔で見送り、わたしは再びベンチに腰を下ろした。そして再び考え込む。バダップから疎まれているように、わたしは王牙学園という存在から疎まれている。傭兵としても真面目にやらないから、教官たちからも軽蔑されている。暗闇が続く深海に一人ぼっちに残された気がした。暗闇の中にいるわたしはそこで一人丸まっていることしかできなかった。目を瞑り、その孤独をしんしんと身に感じていたときだった。ふと足音が聞こえた。わたしの目に日の光が差し込んでくる。足音をしたほうを見てみると、そこにはバダップの姿があった。バダップはわたしの元まで歩んでくると、腕を組んで見下してきた。


「勝手に外へ出るとは、よほど処罰されたいようだな」
「見つかっちゃった……見逃して、もらえないかな」
「無理だ」
「えー……」


 わたしは文句垂れた。しかしバダップはわたしの反応などちっとも興味がないらしく、すぐさま踵を返した。そして軽く振り向き、言った。


「行くぞ」
「どこへ?」
「王牙学園に戻るんだ」
「もしかして迎えに来てくれたの?」
「指導官として注意しにきたまでだ」


 バダップは淡々と言葉を吐き捨て、勝手に歩いていった。いつもならこいつめ、とジト目で背中を睨みつけていたけれど、このときだけは違かった。指導官だからでも、バダップが来てくれたことが嬉しかった。わたしは急いで腰を上げ、バダップの背中を追いかけた。







   
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