08


 世田谷のビルの地下、ここにはクラブがあり、たくさんの若者が集まるが、シビュラに全て公認されているわけではなく、反社会的コミニュティが形成されている可能性があった。
先日の街頭スキャナーが数個破壊されていた。
その際、犯人たちが使用したモロトフカクテルが密かに流通しているということで、一係は潜入捜査することになった。
最初に選ばれたのは佐々山とナマエであった。
スーツ姿の男が二人でカウンターに座っているとなると怪しまれる確率が高くなるし、生真面目な狡噛と宜野座では有頂天に騒いているクラブの雰囲気に馴染まず、ますます公安局の人間かもしれないと不審に思われるかもしれなかった。
佐々山とナマエであれば、最悪カップルとしてでも装える。
そして潜入した彼等はクラブのドリンクカウンターのスツールチェアに座り、仲良さげに雑談をしている。
会話の途中、佐々山がバーテンダーにカクテルを頼む。ナマエはにやりとし、こそっと小声で言った。


「就業中に飲んでいいのー?」
「カウンターに座ってて一杯も呑まないのはどう考えてもおかしいだろ。お前は何にする?ミルクはないぞ?」
「私だってお酒飲むもん」
「お前、飲んだことあるのか?」
「ない」
「ないのかよ!なら最初は軽いのにしておけ、あまり度数が高いのだと酔っ払うぞ」
「なるほど」


 ナマエはカクテルメニューのホログラムを眺める。
しかし酒の銘柄を全く知らないナマエにとってはカタカナが羅列しているだけに見え、何が軽くて、何か高いのかよくわからなかった。
それを見かねた佐々山は「なら俺がお前にオススメを勧めてやるよ」といって、バーテンダーにカクテルを頼んだ。
それからすぐに二人の元へとカクテルがやってくる。佐々山はウイスキーのロック、ナマエはカンパリオレンジでオレンジの割合を特別大目にしてもらった。
乾杯とグラスを合わせて、一口飲む。
ナマエは目を輝かせながら言った。


「不思議な味がする!」
「あんまり一気に飲むなよ」

 佐々山はそういって、グラスに口を付けた。
ナマエは密かにいろいろなところへ目配せする。


「そうキョロキョロするな」
「いつ現れるのかなって」
「現れたときはすぐわかるさ。相手はおそらく素人だろうしな」

 佐々山は煙草に火をつけた。ナマエは顔を顰める。

「げっ煙草!」
「しょーがないだろ、呑むと吸いたくなるんだよ」


 佐々山は煙を吐いて言った。
ナマエは煙草の匂いはそこまで嫌いではないが、紫煙が体に染み付き、取れなくなるのが嫌だった。
きっと宜野座は「煙草臭いぞ」といって、しかめっ面をするだろう。
佐々山は灰皿に灰を落とす。


「で、最近ギノ先生とはどうなんだ?」
「どうって?」
「一緒に暮らしてるんだろ?そりゃ男女が一緒に暮らしてて何もないわけがないだろう?」


 佐々山の目が一層厭らしくなる。
彼は下衆な話が好きなようだ。


「ギノ先生どう考えても童貞っぽいからなー」
「童貞?」
「おっと、お子様なナマエちゃんには刺激が強すぎたのかもしれないな」
「調べればわかる!」
「調べてもわからないってこともあるんだよ」


 佐々山は肘をついてそういった。
佐々山の言う大人の知識まで備えられなかったナマエはきょとんとした表情をする。


「佐々山は何でも知ってるの?」
「おお、こう見えても狡噛や宜野座よりは絶対知ってるぜ。とっつぁんには負けるけどな」
「へえー」
「まあ、お前に下な話をしても意味がなさそうだな……何かギノ先生のネタで面白い話とかないのか?」
「面白い話……はあるよ!あっでもこれは言っちゃいけないからダメ!」
「そういうと思った、まあ、ほら、飲めよ」


 佐々山はナマエに酒を勧める。
人は程よく酔っ払ったとき、最も饒舌になる。
ナマエは佐々山に一口、また一口と勧められていくうちにほんのりと頬を朱に染めていった。
どうやら酒に弱いようだ。
頑なに秘密といっていたナマエだったが、次第にでれでれとした様子で語り始めた。


「この前の2月14日なんだけどね、ギノがバレインタインでチョコ配ってたじゃん」
「おー、あれか。あれは本当におもしろかったなー」
「それでギノが本物のチョコレートをくれてね、お返しに宝箱みたいな箱に金貨のデザインのチョコレートたくさん入れてプレゼントしたら、気に入ってくれたのかな?わたしがいないときにこっそりダイムにそのこと話してて面白かったなー」
「なんだ惚気かよ!」
「えへへ」


 ナマエは朗らかに微笑み、グラスに入ってる酒を飲む。
彼女が饒舌になり始めた頃から、グラスにある酒はどんどん減っていっている。
一杯目にしてここまで酔いが回っているとなると、今のペースのまま酒を飲み続けると面倒臭いことになると予想した佐々山はさりげなくグラスを彼女の前から自分のほうへとずらす。


「お前、もう酔ってるのか?これ以上はやめとけ」
「酔ってないよ」
「酔っ払いの言う『酔ってないよ』は信用できねぇよ」
「大丈夫、ちゃんと立てる!」



 ナマエはカウンターのスツールチェアから立ち上がる。
少しだけふらふらしていた。
佐々山は辺りに目を配りながら、顔を顰める。


「馬鹿、歩き回るなって!お前はここに座ってろ」
「えー」


 ナマエは唇を尖らす。佐々山は頭を抱えた。
自分にとっては序の口の域でこんなに酔っ払うなんて。
目を三角にする狡噛と宜野座の顔が脳裏に過ぎった。

 一方ナマエの視線は佐々山から客席へとずれる。
客席で踊っている人たちの楽しそうな顔を見て、火照る体が反応する。
行ってはいけないと自制心が警告を鳴らすが、アルコールにより箍が外れ、マゼンタとシアンのレーザービームが咲き乱れ、熱気と人混みを包んだ客席へと足を向ける。
佐々山は慌ててナマエに声をかけたが、全く耳に届いていない様子だった。
恍惚の表情を浮かべ、眩い光をまるで蝶のようにフラフラと追いかけ、やがてナマエの背中は人の波に消えた。
佐々山はナマエを追いかけるため、人海へと突っ込んだが、音楽と光彩に惑わされ、無秩序に暴れまわる海を渡るのはなかなか困難だった。

 ナマエは目を瞑り、腹の底を突き上げ、心臓まで響く低音に身を任せる。
瞼を閉じても感じる極彩色、息が詰まりそうになる熱気、汗が滲んだ人の肌。
アルコールが全身に回り、足元が覚束ない、まるで雲の上を歩いているような感覚。
ナマエは懐かしいと思った。
クラブに来たのは初めてのはずなのに、この快感は何度も味わったことがある。
脳内で記憶の扉が開く。ナマエの周りに篭もった声が響く。


「こっちだ」

 左から声がして、左へと向くと、次は右から声がした。


「今日は上機嫌だな」
「今度は何をやらかそうとしている」


 後ろから声が聞こえてくる。佐々山ではない、誰かの声、しかも複数。
それは音楽をかき消し、やがてざわめきへと変わっていく。
ナマエは声がするほうへと向くたびに髪の毛がふわりと揺れる。
ナマエの顔には笑みが浮かんでいた。
脳髄に染み込んでくるような声と音楽、シビュラなんてどうでもいい、何もかもぶち壊してやりたくなる衝動、酒もドラッグもセックスも何もかも乱れ、混沌とした世界にいる快感。
本当に記憶かどうか疑いたくなる、まるで夢の中の世界だった。
喜びに上ずった声、唾を飛ばすほどの怒声、感嘆の声、それらが入り混じるざわめきで一際輝きを秘める声が聞こえてきた。


「ずいぶんと楽しそうだね」


 じかに体へと響いてくる声にナマエは安らいだ。
声だけ聞こえてきて姿は全く見えない。
けれどまるで背後から抱きしめられているかのように感じる。
酒に酔っているせいか、夢を見ているせいか、どちらかわからないが呂律の回らない舌で言った。



「楽しいよ、貴方は?」
「シビュラに統制された世界では見られない無秩序さは観察に値すると思っているけれど、少々僕には煩いかな。ここでは静かに本を読めそうにない」


 本、その言葉を聞いて、声の主の姿がゆらゆらと脳内に具現化されていく。
白が似合う人だ。本をよく持っていた。
ぼんやりと姿が浮かんでくる。
真紅のソファーに座って、本を読んでいる彼の後姿。


「調子はどうだい、」


 彼は振り向き、そういった。
けれど、ナマエは彼の顔を見ることはなかった。
名前を呼ぶ声が耳に入った瞬間、ナマエの視界はまるでテレビのスイッチを切ったかのように真っ暗になった。
騒々しかった音もプツンと途切れる。彼女は意識を失った。



 ナマエが次に気がついたときはベッドの上にいた。
見慣れた白い天井、公安局にある医務室だ。ナマエは額に手を当てる。
頭が痛かった。まるで頭の中で鐘が鳴っているかのように痛みが響く。
視界をぐるりと動かすと、ベッドサイドにあるパイプ椅子に宜野座が座っていた。
彼はとても険しい顔をしており、まだ意識がぼんやりとしながらもナマエはこれはやばいと彼の怒りを悟った。
目が合って、早々に怒鳴ってくると思ったが、宜野座は黙ってナマエを睨みつけていた。
その瞳は今までにないくらい怒りと失望が篭もっていて、ナマエは思わず生唾を飲み込んだ。
じんわりと冷や汗をかくのを感じる。ナマエはがちがちに固まった口を勇気を振り絞って動かした。


「ごめんなさい……」


 宜野座は軽く溜息をついて、目線をずらす。


「今回の不祥事は体調がよくなり次第、至急始末書を提出しろ」
「はい……」
「それと」


 宜野座はナマエを睨みつける。


「今後、公私混同した行動を取らないよう身の振り方をわきまえろ」


 ナマエは睨みつけられた威圧感と吐き捨てられた冷たい言葉に怯み、思わず声を失った。
宜野座はその後ナマエに目もくれず、医務室から出て行った。
ナマエは宜野座の背中が見えなくなると、ほっとし、肩の力を抜いた。
しかし安堵もつかの間、すぐに罪悪感が襲ってきた。
せっかく仲良くなったと思ったのに、無責任な行動を起こしてしまい、嫌われてしまった。
たがが酒、されど酒。
調子に乗ってしまった自分への罰だ。
ナマエは溜息をついて、天井にある照明をぼーっと見つめる。
酔っ払っていたときの記憶を思いだそうとするが、なかなか思い出せない。
佐々山といろいろと話していたことは記憶にあるが、それ以降自分が何をしたのか全くわからなかった。
大馬鹿者と壁に頭を打ち付けたくなる衝動に身が悶え、ナマエはひたすら後悔していた。








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