04


 ナマエの存在は宜野座の悩みの種である。
佐々山と並ぶ始末書の提出率は勿論のこと、整理整頓が苦手なのかナマエのデスクの周りはいつも散らかっている。
三係の執行官の誰かがいらない書類で折ったガラクタ同然の鶴をインテリアになるといって飾ったり、とにかくガラクタ類を含む人から貰ったものをナマエは捨てようとしない。
貰ってこなければいい話だが、彼女はいろんな人から餌付けされており、毎日のように物が溢れる。
貰った缶を洗ってピラミッドのように飾りだしたときにはさすがに見るに堪えなく、宜野座は強制的に空き缶を屑篭へと放り投げた。
また監視官よりも執行官のほうが仲が良い人物が多く、潜在犯を見下している宜野座にとっては考えられないことだった。
もしもナマエが一般市民として登録されていたら自分との相性は最悪だろうと彼は考えた。


 廃工場で一般市民の遺体が発見された案件を一係が調査していた。
殺害現場の廃工場にてついに犯人と思わしき潜在犯を追い詰め、ドミネーターで鎮圧しようとしたが、工業ドローンが邪魔をし、犯人を逃してしまった。
始末書コンビの佐々山とナマエが犯人を追いかけるためその背中を追いかけたが、ナマエのデバイスに通信が入る。



「おい、ナマエ。また始末書を増やすんじゃないだろな」
「大丈夫大丈夫!コウちゃんもそう思うでしょ?」
「お前はギノの言うことを聞いておけ。佐々山の手綱を持つだけでも大変だってのに」
「だとよ。今回はお留守番だな」


 ナマエの斜め前を走る佐々山は首だけを振り返り、にやりと笑った。
佐々山の笑みにふんと少し拗ねた素振りを見せたナマエは踵を返し、宜野座の元へと行く。
潜在犯を追って、廃工場の奥までやってきた一係だったが、肝心の犯人の姿はどこにもなく全員が警戒して辺りを見回していた。
窓には板が打ち付けられており、その間から毀れる光だけが廃工場の廃棄されたドローンやコンテナの輪郭を浮かび上がらせた。
宜野座の後ろをナマエが守るようにして進んでいる中、ナマエはふと奥に広がる暗闇の中から微かな機械音を耳にした。
宜野座には聞こえなかったらしい。
嫌な予感がしたナマエは宜野座の背中に近づき、声をかける。



「その奥から何か音が聞こえた。そっちに進むのはやめて迂回したほうがいいかもしれない」
「迂回すれば狡噛たちとの連携が崩れる」


 宜野座はドミネーターを構えながらそのまま一歩前に踏み出す。
その瞬間奥に鈍い赤い光が現れる。
工業ドローンのランプだった。
暗闇から潜在犯が乗った工業ドローンが突進してきた。
瞬く間に宜野座との距離をつめ、彼は目を見開いて固まる。
ドミネーターを構えている暇などなかった。ぶつかると思い、目を瞑りかけた瞬間、誰かに横へと突き飛ばされた。
宜野座は尻餅をつき、間一髪のところで工業ドローンの突進を免れた。
代わりに宜野座を突き飛ばしたナマエはそのまま身代わりになるように工業ドローンの突進を受け、勢いよく壁へと叩きつけられる。
ナマエは全身を強く打ち、地面に崩れ落ちる。
潜在犯は追い討ちをかけるように工業ドローンの金属切断用のアームを操り、ナマエの身体を斬りつけようとした。
宜野座は我に返り、持っていたドミネーターの標準を潜在犯に合わせ、引き金を引く。
アームがナマエの身体に触れる前に潜在犯が血だるまと化し、何とかナマエを助けられた。
彼女は地面に倒れこんだまま苦しそうに喘いでいた。
宜野座はナマエに駆け寄り、声をかけた。


「大丈夫か」
「平気、わたしは丈夫だから」


 至る所を骨折しているせいか、額には脂汗が浮かんでいた。
痛みに堪えながらナマエは笑ってそう答えた。
ナマエは一旦機械化保健局へと運ばれ、義体の交換をした。
強化素材を編みこんだ骨や筋肉を使っているため普通の人間よりも耐性は強く、折れた骨や傷ついた筋肉、臓器の交換は比較的に早く終わった。
その期間、僅か一日だ。
ナマエは術後経過を見るため、分析室のベッドの上で眠っていた。
痛み止めが効いているためほとんど痛みはなく、ひたすらベッドの上でごろごろしているだけだった。
暇を持て余していたナマエの元に宜野座がやってきた。
彼は自分の不注意でナマエを怪我させたことを申し訳なく思っているらしく、謝罪と様子を見に来た。
宜野座はナマエのベッドの横にある椅子に座って言った。
その表情はどこか重苦しかった。



「俺の不注意で怪我させてしまったことを謝りにきた」
「ギノが無事だったらいいよ、大丈夫大丈夫!もうこんなに元気だしさ!」


 先日大怪我を負ったとは思えない明るい笑顔で元気さに宜野座は拍子抜けする。
負い目を感じ、色相が少し濁るほど思いつめていたのが馬鹿みたいに思えた。
宜野座はずり落ちかけた眼鏡のブリッヂを指で上げる。


「……詫びの品、何か欲しいものはあるか?」
「詫びの品?」
「果物の盛り合わせでも持ってこようかとしたが、もしも嫌いなものがあったらと思ってな」
「嫌いなものないからなー……詫びの品って何でもいいの?」
「俺に出来る範囲なら」


 その瞬間、ナマエの目が爛々と輝いた。宜野座は嫌な予感がした。
とんでもないものを欲しがるんじゃないかと身構える。
ナマエは目を細め、花が咲いてるかのように嬉しそうに言った。


「わたし、水族館に行きたい!」


***


 「ギノー!早く!こっち!」


 嬉しそうな表情でナマエが少し遠くから宜野座のことを呼ぶ。
一方彼はくたびれた表情で歩く。
宜野座とナマエが非番の日、彼女の要望どおり水族館へとやってきた。
詫びの品ということで断れなかったが、せっかくの休日が疲労困憊で終わりそうなことに宜野座は大きな溜息をついた。
ナマエは珍しくスーツではなく、シフォン生地のワンピースに身を包んでいた。
この服は昨日大急ぎで用意したものだ。
ナマエは今までスーツかパジャマのどちらかしか持っていなかった。
彼女はスーツで水族館に行く気満々だったが、男が私服で女がスーツというものも可笑しいということで、ネットショッピングを利用した。
ナマエはとくにどれでも良かったようであり、試しに選ばせて見たら、仮装かと疑うようなとんでもない服を選択したので宜野座が売れ筋ランキングから適当に選んだ。
ナマエは機械化保健局に飼われているため、自分の口座やクレジットを持っていない。
そのため彼女にかかる費用は機械化保健局に申請すれば貰えるのだが、服代を申請するのも気が引けた宜野座は自費で購入することにした。
この服代だけでも十分詫びになるだろうと思ったが、まるで遠足を楽しみにしている子供のように水族館を楽しみにしているナマエを見ると、言っても無駄だと悟った。

 都内にあるこの水族館はホログラムと実物のコンビネーションがコンセプトであり、館内の至る所に生き物のホログラムが投影されていた。
ナマエが先行し、始終にこにこしながらいろいろな魚を指さしてどんな名前かを聞いたり、感想を述べていた。
宜野座は時折提示されている説明を見ながら淡々と返していた。
宜野座自身水族館に来るのは久しぶりであり、いつの間にか楽しんでいた。
学生時代の頃、シビュラシステムに推奨された女性と水族館にデートにきたことがあったが、口下手なためか会話を盛り上げたり楽しませたりすることが得意ではなかったので途中で会話が途切れたり、上手く返答できず気まずい空気が流れたりした。
しかしナマエといると会話が途切れたりすることに心配したり、気まずい空気を感じることはなかった。
とはいっても一方的にナマエが喋り続けているせいもあり、宜野座はよく喋れるなと感心した。
加えて、ナマエから目を離すとすぐにふらふらとどこかへ行ったり、さっきまで隣にいると思ったらホログラムにつられて立ち止まっていたりということが多々あった。
リードを付けたい気分だと心の中で呟いた。
ついさっきもペンギンのホログラムにつられて立ち止まっていたため、呆れた宜野座は背後から声をかけた。


「おい、勝手にうろちょろするな」
「見て、ペンギン!」
「見ればわかる。迷子になっても知らないぞ」
「いい方法を知ってるよ!」


 ナマエが宜野座の手を握る。宜野座は目を平らにして尋ねた。


「何のつもりだ」
「手を繋いでたら迷子にならないよ」
「手を繋がなくても迷子にならないようにすればいいだろう」
「わたしは繋ぎたいな」
「……」

 幸せそうに目を細めるナマエを見て、断るに断れず結局しょうがないということで手を繋ぐことにした。
無意識のうちに握っている手に熱がこもり、これはダイムのリードだと頭の中で念仏のように唱えていても意識がそちらばかりに向かう宜野座とさほど気にしてない様子のナマエ。
館内を出て、外に出たときちょうどジェラードを売ってる露店がナマエの目に入った。
ジェラードを食べようと握っている手を引っ張り小走りで駆け寄る。
手を繋いでいるため、必然的に宜野座も小走りになる。
ジェラードの露店を目の前に再びナマエがおやつを待つ犬の濡れた目のような瞳で宜野座を見上げる。
じーっと見つめてくるので、買わないと面倒くさいことになると察知した宜野座はしぶしぶジェラードを購入する。
このとき、やっと手が離れた。
宜野座はどこかほっとしていた。握っている手は少し汗を掻いており、自分が緊張していたことを知られたくなかった。
ナマエはカップに盛られたジェラードを両手に持って無邪気に喜び、近くにあった膝丈ほどの段差にひょいっと昇る。
宜野座は眉を顰める。


「転んでも知らないぞ」
「大丈夫!」


 ナマエが宜野座のほうに顔を向け一歩踏み出したとき、見事に段差を踏み外し転げ落ちた。
手からジェラードが抜け、転けたナマエの横へと落下する。
「ああ!」と声を出して、急いでカップを拾い上げたが、肝心のジェラードは地面に張り付き、アイスが溶け始めていた。
ナマエがごくりと生唾を飲み込み、カップでそのジェラードを掬おうとしたとき宜野座が慌てて声を荒げる。


「何をしている!汚いからやめろ!」
「三秒に拾えば平気だってとっつぁんが言ってた!」
「一度落ちたものは秒数に関わらず衛生面に問題があるのは当然だろ!」
「でもジェラードが……」


 ナマエはジェラードを目の前にして手と膝を付けて項垂れる。
彼女の周りにどんよりとした重い空気が流れる。
道行く人がちらちらとナマエに視線を向けており、宜野座を含め注目の的になっている。
恥ずかしさがこみ上げてきた宜野座はナマエに近寄り、肘を掴み言った。


「いつまでその状態でいる、早く行くぞ。ジェラードだったら俺のやつをやる」
「ううん……ギノのジェラードはギノだから……」
「……じゃあもう一回買ってやるから早く立ち直れ」
「ほっほんと?」


 振り向いたナマエの瞳はきらきらと輝き、潤んでいた。
瞬きするたびに星が瞬いているように見えた。
彼女はすぐに立ち直り「本当にいいの?」ともう一度尋ね、宜野座は「早く行くぞ」と肘を引っ張る。
ナマエは目を糸のように細め、朗らかに微笑んだ。
再びジェラードの露店へと行き、ナマエは同じ味を購入する。
満足そうに微笑むナマエを見て、宜野座はやっと一通りのことが終わったとほっとする。
彼の隣を歩いていた彼女だが、急に立ち止まる。不思議に思った宜野座は振り返ると、ナマエはジェラードを片手に持ち、警戒した様子でじりじりと歩いていた。
呆れた表情をした宜野座がナマエに尋ねる。


「今度はどうしたんだ」
「こうして今度こそ落とさないように……慎重に……」


 コーンに盛られたジェラード如きに本気で集中しているナマエを見て、宜野座はその可笑しさに思わず吹き出してしまった。
声を殺して肩で密かに笑う。
ナマエは宜野座の笑みを見て、ジェラードを買ったときよりもふんわりとした柔らかな笑みを浮かべ、落とさないように慎重になりながら彼へと駆け寄った。


「ギノが笑った!」

 嬉しそうに微笑むナマエとは違い、宜野座はむっとした表情で答える。

「……笑ったからなんだ」
「水族館に来て、ずっとむっつりしてたからつまんないのかなって思ってた。でもやっと笑ってくれたから嬉しいなって思って」


 ナマエはそう言うと近くにあったベンチに座り、宜野座のことを呼ぶ。
彼は呆気に取られた表情をして、ベンチへとゆっくり歩く。
確かに水族館へ来た理由は詫びということで彼が来たかったわけではなかった。
ただでさえ相性が悪いと思われるナマエと一緒なので、端から疲労困憊で休日が終わると予想していた。
しかし実際に一緒に水族館を回ってみると退屈という感情はそこにはなく、彼女の一つひとつの行動にひやひやとしたり、呆れたり、可笑しく思ったりした。
小さい魚を可愛いといって無邪気に笑っていたと思えば、少し遠くを泳いでいる厳つい顔の魚を見て、驚いて目を見開いたりとくるくると目まぐるしく変わる彼女の横顔を見て、心のどこかで和んでいた。
もしかして彼女の機関銃のような話や明るい振る舞いは気を使わせていたのかと宜野座は申し訳なく思った。
ジェラードの味を舌で楽しみ、本当においしそうに食べるナマエをちらりと盗み見し、宜野座もつられてジェラードを口にする。
ハイパーオーツで置き換えられた味なので、何処でも味わえるジェラードの味であり、特別美味しいというわけではなかった。
しかし、ナマエの表情を見ていると自然と美味しいと感じた。
宜野座は少し気まずそうに口を開く。



「その、なんだ」


 ナマエが首を少し傾げる。気恥ずかしさをひしひしと感じている宜野座はナマエの目を見ることができず、自分の足元を見つめる。


「つまらないと思わせていたのなら、申し訳ない。あまり人と一緒にどこかに出かけたことがなくてな……だから」
「あっ!あれ!さっき見たペンギンと種類の違うペンギンがあそこに歩いてる!黄色の鶏冠がすごいね!」


 ナマエの興味と目線はすっかりペンギンへと移ってしまい、興奮した様子で宜野座の服を少しひっぱる。
宜野座はナマエを睥睨した。彼なりに勇気を出して謝罪をしようとしていたのに、彼女は全く聞いていなかった。
注意力散漫で危なっかしいナマエに真摯に接しようとしていたのが馬鹿だったと宜野座は小さく溜息をついた。
残っていたジェラードを大口で食べ終わり、立ち上がる。


「ほら行くぞ」
「はっ早い!もう食べ終わってる!」


 ナマエは焦ってジェラードを食べるスピードを速めるが、ジェラードの冷たさに辛そうに目を瞑る。
それでも頬張ることをやめず、急いで食べる。
宜野座は「置いていくぞ」とわざと歩く素振りを見せるとナマエはおろおろとし先ほどよりも焦った様子でジェラードを流し込む。
彼女のあどけない振る舞いに宜野座の口角は自然と持ち上がる。
ナマエが食べ終わったのを確認すると、近くを走っている清掃ドローンを呼び、食べ終わったカップを捨てる。
ナマエは立ち上がり、宜野座の隣に並んで言った。


「次はどこにいく?」
「おそらくもうすぐイルカショーが始まる時刻だから、そっちに行こう」
「イルカかー、きっと可愛いんだろなー」


 二人が歩き出したとき、ふとナマエが足を止める。
宜野座は反射的に振り返ると、片手を差し出して笑顔を向けてきた。
まるで犬が尻尾を千切れんばかりに左右に振り、リードを咥えているみたいだと宜野座は思った。
しょうがないと彼は差し出されたナマエの手を握り、呆れた表情で言った。


「今回だけだからな」
「やったー!」


 ナマエははずんだ様子で宜野座の隣へと行き、彼の顔を見つめた。
呆れ顔の宜野座だったが、その口元には笑みが浮かんでいた





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