01

「人間と同じレベルのAIが登場したとしたら、人の定義とは何なのだろうか」
「シビュラシステムに認証されているかどうか、と答える人間が多数だろうが、私は違うと考える。快楽のために思考し、能動的に活動し、本能に柔順でいることが人であり、魂が最も輝くための要素であるに違いない」





 宜野座はいらついていた。
一係の人員不足をきっかけに実の父親である征陸智己が三係からこちらにやってきたからだ。
日東学院時代の友人である狡噛慎也も共に来たことで少しはストレスが軽減されたが、それでも忌み嫌っている父親が同じ職場、しかもいつも視界に入る場所にいることは厄介だった。

 それに加えもう一人、人員不足を補うために増員された者がいた。
それがナマエである。機械化保健局は『〜より心地よい社会への実現のため〜』のスローガンを掲げ、サイボーグの性能実験の研究をしている。
実験結果を元に更に高性能の人造人間を作るため、公安局にて試験的に執行官の仕事をしている。
彼女は人間ではなく、身体の7割を強化素材に置き換えられたサイボーグである。
特殊繊維や細胞を使用しているため、見た目は年頃の少女そのものであるが、身体的能力は男性のものよりも遙かに上である。その証拠に先日宜野座はナマエに力の差を思い知らされた。

 今や過去の遺品とも言われる拳銃を所持した潜在犯を一係が追っているとき、興奮した潜在犯が発砲した際、拳銃を相手にした対処に慣れていない宜野座は一瞬怯んでしまい、棒立ちになってしまったが、咄嗟にナマエが前にでて宜野座を庇ったおかげで彼に被害が及ばずに済んだ。
しかしその庇い方が彼のプライドを傷つけた。
自分よりも背も年も下である少女に足をひっかけられ、転ばされ、無理やり地面に押さえつけられた。
咄嗟に抵抗しようとしたが、思った以上にナマエの力は強く、彼はなすがままになってしまった。
結局ナマエがドミネーターで潜在犯を撃ち殺し事なきを得たが、どこか腑に落ちない想いを抱えていた。
宜野座は自分を押さえつけているナマエに苛立ちを隠さずに唸った。


「いい加減離れろ!」
「ごめん!大丈夫だった?怪我とかなかった?」
「お前のせいであちこち擦りむいた」


 宜野座はスーツについた土ぼこりを落とす。彼女に初めて会ったときに言った言葉が脳裏に過ぎる。
「足手まといだけにはなるな」
まるで足手まといは自分じゃないかと恥ずかしさに猛烈に壁を殴りたくなった。
一方ナマエは救護ドローンを要請するかどうしようかおろおろとしていた。

 見た目や振る舞いはそこらへんにいる少女たちの輪に入っても謙遜なく混じれる。
唯一欠点といえば、脳に知識を刷り込む際に"敬語"という概念を入れ忘れ、筋繊維を強化したあまり脳筋になってしまったことだろうか。
天真爛漫とも捉えられるが、遠慮なく彼のプライドを傷つけるようなことをするので、宜野座にとっては好ましい存在ではなかった。
加えてサイボーグの素体となった身体は無戸籍者のものらしい。
廃棄区画で野垂れ死んでいるところを機械化保健局が拾ってきたのかもしれない。
またサイボーグはシビュラシステムに認証されない。
一般市民の誰しもが持っている戸籍がなく、色相や犯罪係数は測定されるものの、シビュラの恩寵を受けないのならそんな数値はゴミである。
どうせ計測してもそれを役立たせる場所がないからだ。
ナマエは心を持ったサイボーグであって、人間ではない。全く別物である。

 今すぐ機械化保健局に送り返したいところだが、宜野座の権限ではそれが出来ない。
また彼女は持ち前の明るさと無邪気ですぐに佐々山や征陸、他の執行官たちと打ち解け、自分の知らないうちに狡噛とも気軽に話す間柄になっていた。
彼女は執行官のように規則があるわけではないが、執行官のように扱われている。
所謂執行官もどきである。



 そんなナマエだが、どうしてか宜野座の家に数日間居候することになった。
彼にとっては全くもって遺憾であり、どうしてこんな奴と数日間共同生活を送らなきゃいけないと心の中で愚痴を漏らした。
ナマエが宜野座の家に居候する理由を述べるにはだいぶ前から話さなければいけない。

 あれは宿直勤務が終わった早朝だった。
やっとデスクワークから解放された宜野座は眠気覚ましに監視官用の宿直室でシャワーを浴びようとした。
監視官用の宿直室に足を踏み入れたとき、ふとシャワー室から音が聞こえた。
狡噛がいるのかと訝しげに思ったが、がここにいるわけがない。
彼は宿直勤務担当ではなかった。
早朝トレーニングのあと、宿直室にシャワーを浴びにきた他の監視官たちかとも考えたが、わざわざ宿直室のシャワーを浴びる必要があるのかと疑問は尽きず、結局いろいろと考えているうちにシャワーの音が止まり、ひたひたと足音がかすかに響いてくる。
鉢合わせたら気まずいと思い、宿直室から出ようとするがこの足音の正体を確かめたい気もして、出るに出られずその場で踏みとどまっていた。
しかし持ち前の冷静沈着な頭脳で状況を整理してみると、ここは一旦外に出て時間を置いてから確かめるのが懸命そうだと結論付け、彼は宿直室から出ようとした。

 しかし遅かった。足音の人物は目の前に現れる。
シャワー室にいたのはナマエだった。彼女は何も身に纏わず、白いタオルで髪の毛の水気を取りながらシャワー室から出てきた。
必然的に宜野座と目が合う。彼は文字通り凍りついた。
ナマエの白い肢体は柔らかな曲線を描いていて、ちょうど少女から女性へと変化する間の体つきといったほうがいい。
雫で輝いた肌はより一層透明感が増し、思わず生唾を飲み込む。女性の裸体を見たことがないわけではなかった。
性欲に関するストレスケアの一環でヴァーチャルによる視覚的興奮は何度も得てきた。だが、こうして実物を目の前にするのは初めてであり、図鑑で見ていた動物が目の前にいるかのように感じた。
機械化保健局が造った素体だ。男女の理想を統合した体型に改造したのかもしれない。
見惚れるのは当然のことであって、そこに性欲など関係あるはずがない。
目を逸らそうとするが、まるで取り付かれているみたく目が離せなかった。
普通の女性なら叱咤が飛んでくるはずだったが、彼女は全く違う言葉を口にした。


「おはよー!シャワー浴びにきたの?」
「は?」
「やっぱり温かいシャワーはいいねー」

 ナマエは髪の毛を拭き続けながらニコニコすると、ベッドサイドへと歩いていく。
ベッドの奥に置いてあるダンボールらしき箱から下着を取り出すと何事もなかったかのように着替え始めた。
このとき宜野座はやっと金縛りから解放され、慌てて後ろを向いて怒鳴った。


「どうしてお前がここにいるんだ!ここは監視官用の宿直施設だぞ!お前が使用していいはずがない!それにさっさと服を着ろ!それでもお前は女か!」
「えっ?!あの、ごめんなさい……実は私、最近まで刑事課の倉庫で寝てたけど装備の在庫が多くなって寝る場所がなくなっちゃって、寝るところがないから監視官の宿直施設使ってるの」
「ったく誰がしよう許可を下ろした……!」
「霜村監視官は許してくれたよ。あのね、常にここにいるわけじゃなくて時々部屋を変えたりしてるんだ」

 布刷りの音が聞こえてくる。
シャワーを浴びにきたけれど、浴びる云々はもう諦めた。早くここから出ようと思った。
そのときナマエが声をかけてきた。


「シャワーなら空いてるよ」
「誰が入るか!」

 
 そういって、宜野座は監視官の宿直室を飛び出した。
どうやらナマエには貞操観念というものはないらしい。
宿直明けで眠たいのに加え、さらにとんだ目にあったと荒っぽい足音を立てて廊下を歩いていった。
ナマエが監視官の宿直室を度々使用していることを執行官たちは知っていたらしく、知っていたなら一言ぐらい言えと苛々しながら言うと、佐々山はわかっていてどんな反応をするのか見てみたかったとほざいた。
どうだ、興奮したかとにやにやする佐々山を宜野座は睥睨し、やはり潜在犯は厭らしく下品で下等だと改めて感じた。


それから数日後、監視官の宿直室が大幅な改装工事をするため、しばらく使用禁止ということになった。
当然、ナマエは寝る場所をなくした。
執行官の空き室はなく、かといって執行官と同じ部屋で寝ることは職務規定上無理なことだ。
アパートの一室を借りるという案も出たが、生憎ナマエは人間ではないので、戸籍がない。
戸籍とシビュラシステムの承認なしではアパートを借りることはできない。

 それなら監視官の家に居候という案が出た。
発案者は佐々山だ。
この瞬間、宜野座は佐々山のことを憎んだ。
佐々山は煙草を口に咥えながら近くにいるナマエの髪の毛で器用に三つ編みを編んで遊んでいる。
一方ナマエは佐々山に向かって煙草臭い云々言って、口を尖らせているが拒否する素振りは見せていない。
どこに寝ようが住もうが彼女にとってはあまり重要なことではないらしく、あははと笑って佐々山とじゃれあっていた。
宜野座は反対の意見を上げたが、狡噛が宿直室の改装工事が終わるまで預かるしかないかとまるでペットの如くナマエを扱っていた。
勿論宜野座としては執行官もどきを預かるならペットを預かったほうが遙かにマシだと考えていた。
しかし結局、狡噛の意見が通ってしまい、局長もそれを承認した。
局長の許しが出てしまっては、宜野座は何も口出しは出来ない。預かるとしたら狡噛だろうと予想していた彼だが、肝心の狡噛は新居へ引っ越した片付けが終わっていないと言い出した。
こうしてナマエが家にしばらく居候することになった。
 監視官の仕事が終わり、ナマエと共に帰宅する。
道中の車内は勿論無言であった。
ナマエの荷物はダンボール一つで十分なものだった。私物はほぼない。
全て公安局から貸し出されたものである。

 スーツの上着を脱いだ宜野座は手始めにダイムを撫で、ダイニングでコーヒーを飲みながらホロアバターに推奨されたニュースへと目を通す。
一方ナマエはダイムが気に入ったらしく、帰宅してからずっとリビングでダイムとじゃれていた。ダイムもダイムですぐに懐き、二人して楽しんでいた。
こんなに早くダイムとナマエが仲良くなるとは考えていなかったため、このときだけ宜野座はダイムを一瞬恨めしく思った。
彼は10代前半からずっとシビュラシステムとダイムに支えられて一人で生きてきた。
何年も絆を積み重ねてきたダイムがこうも簡単に絆されるとは。ダイムの腹を撫でているナマエの横顔を盗み見る。
無邪気に笑っていた。ナマエの本当の年齢は不明だが、推測すると外見年齢からして十代後半ぐらい、精神年齢は絶対に小学生ぐらいだ。
計略や策略などの言葉とは程遠い純粋無垢な笑顔、悪く言えば頭の中がいかにも空っぽのような笑顔からそう伺える。
宜野座は自分の家の中に誰かがいることが非常に珍しく感じ、同時に違和感を感じた。
ずっと人と一緒にいることに慣れていない彼は息が詰まると頭を抱えた。
どう接すればいいかわからず、かといって積極的に馴れ合おうとする気もさらさらない。
結局宜野座は一人でニュース、ナマエはダイムと遊ぶという形になってしまった。
改装工事は一ヶ月程度かかるらしい。
そこらへんにある工事ドローンを総動員して早急に済ませて欲しいと思った。


「何見てるの?」
「なっなんだ!」


 ダイムとじゃれていたはずのナマエがいつのまにか宜野座の後ろへと立っていて、少し前に屈みながらホログラムに現れるニュースを見つめていた。
宜野座は持っていたコーヒーを落としそうになった。
相変わらずナマエは敬語を使わなかった。本来、監視官のほうの宜野座のほうが階級が上のはずなのにナマエは友達のように話しかけてくる。敬語を使うように指示したが、「宜野座様はお元気でざますか」とガチガチに緊張しながら言ってきたところから、どうやら敬語を知らないようだ。
耳障りな敬語を使われるよりはありのままに話されたほうがマシだ。
宜野座はコーヒーを置いていった。


「ニュースだ。お前も見たことぐらいあるだろう」
「あんまりないなー、あっ!コーヒー飲んでる!」
「飲みたいなら自分で入れろ」
「実は私はココアが好きなんだ」
「そんなものはない」
「えー」
「不満を言っても出てこないぞ」
「そんなー」


 ナマエは口を尖らせる。
宜野座は鬱陶しいと感じ、無視を決め込んだ。カップの場所を聞いてきたので、ニュースから目線を逸らさずに答える。
宜野座の分まで入れるといってきたので、少し警戒しながらもカップを手渡す。
「美味しいコーヒーを入れる!」とうきうきした様子でコーヒーメーカーのところに行った。
誰が入れても美味しくできるようにというコンセプトを元にキッチン系統のドローンは設計されている。
別に意気込むことじゃないと頭の片隅に思いながらニュースに集中する。砂糖などの調味料の場所は最初に来たときに教えておいたため、いちいち聞いてはこないだろうと宜野座はナマエの好きなようにさせていた。
数分後、満面の笑みのナマエがカップを持ってやってきた。
手渡されたカップを受け取り、金融庁からのニュースに意識を集中しながら口付ける。
一口飲んだ瞬間、ナマエはコーヒーとは思えない衝撃な味に目をかっぴらき、咳き込んだ。間髪いれずに怒鳴る。


「なんだこの味は!!」
「えっ?美味しいコーヒーにしようと……アレンジをしてみたり……してー……みなかったり」
「何を入れた。お前はこれを味見したのか!!」
「砂糖と塩だよ!前に佐々山がね、甘いものには意外と塩が合うんだっていっててそれでコーヒーに砂糖入れたときに塩も入れたらイケるからやってみなって…」
「これを美味しいと思うなんてどういう味覚してるんだ!」
「やっぱり、ダメだったんだ……私もちょこっと味見してみたけど、人によっては美味しいのかなーって」


 ナマエはしどろもどろになりながら言った。
視線が右斜め上を向いている。料理のセンスがないやつほどアレンジをしてとんでもない料理を作りたがる。
まさにナマエはそういう類だろう。
宜野座は今後一切コーヒーを作るなと命令した。
もちろんナマエは「えー!?」と衝撃を受けていたけれど、彼は譲る気なんてさらさらない。
宜野座はカップを机の上に置いて片手で額を押さえた。
早く工事が終わって欲しいとこれほど強く思ったことはなかった。









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