18

 新しい組織が順応していき、支障がない程度に身体を動かせるようになった。前のように本調子ではないけれど、大人しくしていれば普段どおりの生活をおくっても構わないと許しが得られた。

このまま事件などなく、平穏な時が過ごせればと願うが、郊外のドローン工場で3人目の死体が発見されたとのことで急遽現場に向かうことになった。

 3人目の死体、殺人と思わしき言葉に空気が変わる。というわけでもなく、ナマエと執行官を乗せた護送車の中はそれほどピリピリしたものではなかった。

「じゃあ"りんご"!」
「ゴリラ」
「ラフマニノフ」
「コウちゃん、何だよソレ!」
「作曲家さ。アーカイブも残ってるし、名前ぐらい見たことはあるだろ」
「いや知らないし」
「ほーらー縢ー!早く!あと十秒!」
「何だよそのルール!じゃあフッフ……フロマージュ」
「フロマージュ?」
「ナマエ、チーズのことさ……そうだな…雪国」
「忍者!」

 ナマエの発案でしりとりを始める執行官たち。こんな風に場が和んでいるのはナマエのおかげかもしれないがこんなところを宜野座が見たら『何をなまけてる!』と叱咤するに違いない。のほほんとした空気の中、現場に到着したナマエだが、宜野座の隣にいる一人の少女に目が行く。同じ年ぐらいの新米監視官。ナマエは宜野座から色々と話を聞いているが、あちらはおそらくナマエのことを知らないだろう。
新しい友達が増える、とナマエは浮き浮きした足取りで常守に近づいた。


「初めまして、私はナマエ。宜しくね!」
「はっ初めまして、監視官として今月赴任した、常守朱です!」
「朱ちゃんって呼ぶね。同じ年くらいの女の子で何だか嬉しいよ」
「まだまだ未熟ですが、今後ともよっ宜しくお願いいたします!」
「そんなに畏まらなくていいよ、敬語とかいらないし!」
「え……っと……うん、わかった。宜しくね、ナマエちゃん」
「お前ら、そんなところで油を売っている暇なんてないだろ」

 公安局の者たちが目指すドローン工場の周りには林ぐらいしかない。ハッキング対策のため外部とのネットワークを遮断しているここはまさに陸の孤島だ。工場の主任の話を聞きながら工場の中を見て回り、事件現場を検証する。従業員を全て工場外に出して一人ひとりドミネーターで色相を調べていくのが一番手っ取り早い方法であるが、この工場の責任者である所長は頑なに公安局らしい捜査を拒否していた。彼は人の命よりも生産効率を重視する人間であり、だからこそシビュラによりこの工場の所長に抜擢されたのかもしれない。

***

 一通り工場を調べ終わり、ブリーフィングに移ったがそこでひと悶着揉めた。宜野座の地雷に触れた常守は彼が去っていく後姿を見て、肩を落としていた。配属早々に上司と仲が悪くなれば誰だって落ち込む。苛立って席を立った宜野座を慰めようと続けて廊下へと向かったナマエだったが、眉をハの字にして暗い表情をする常守を見て、声をかけずにはいられなかった。

「朱ちゃん……?」
「宜野座さんのこと、怒らせちゃったっぽい……確かに私も出すぎた事を言い過ぎちゃった…」
「ギノだったら大丈夫だよ、怒ってるように見えて実は怒ってなかったり、なんと言うか、心配性すぎて怒ってるってところもあるからあんまり気を落とさないでね……」
「……うん、ナマエちゃん。ありがとう」
「私もよく最初のころはギノに怒られてたから、気持ちはすごいわかるよ!それじゃあ、ちょっとギノ追いかけてくるね」

 ナマエは宜野座を追いかけたが、案外すぐに追いつき、隣に並ぶ。宜野座は足音でナマエだとわかっていたのか、隣にいる彼女に目配せすると、再び視線を前へと向けた。


「これからどうするの?」
「オレは主任相手に探りを入れることにする。確かにあの男が殺人を犯したと推論は出来るが、狡噛たちが勝手に処理するだろう。肝心なのはドミネーターで裁けるか裁けないか、それだけだ」
「じゃあわたしもコウちゃんたちのほう手伝えばいいかな?」
「駄目だ、お前は安静にしてろ」
「そんなー!そしたら来た意味が!」
「『大人しくしている』これが条件だっただろ」
「そうだった……」

 ナマエは宜野座と交わした約束をすっかりと忘れていた。そんなはずだと考えていた宜野座は大して気にも止めず、近くにあった自動販売機で自分にはコーヒー、ナマエにはココアを買った。彼女は手渡されたココアを見て、上機嫌になり、早速プルタブを捻り口に当てたが、予想外の熱さに慌てて唇を離す。


「熱い!」
「慌てて飲むからだろう」
「舌がひりひりする」


 口を半開きにして、眉を顰めるナマエを見て、緊張がほぐれたのか宜野座は僅かに微笑んだ。ドローン工場に入ってからずっとしかめっ面だった宜野座が笑ってくれた。些細なことだが、ナマエにとっては嬉しいらしく、渋い表情が段々と和らいでいった。

「そういえば、ここって初めて来た?」
「当たり前だろ、普通だったらこんなネットの繋がらない場所に用はない」
「そっか」
「どうした」
「だいぶ前に来た気がして……この工場じゃないんだけど、この外観というか雑木林というか……」
「似たようなところは八王子以外にも沢山ある」
「うーん……そうだよね!」

 勘違いだと自分を納得させようと一口ココアを飲んで落ち着くが、どうもひっかかる。ドローン工場の隣に財宝が埋まっているかのように、雑木林の中に何かある気がした。けれど、ナマエが宝を隠したわけでもなく、本当にあると確証はない。

「これでもし雑木林に何かあったら……」
「そうだな、宝があったら『花咲か爺』の犬のようだな」
「えっ犬!?そんな!」

 宜野座の脳内には犬の格好をしたナマエが前足で土を一生懸命掘っている姿が浮かぶ。ダイムがそこにいたら、二人揃って夢中で穴を掘ってそうだと自然と頬が緩んだ。ナマエは「ひどい!」と宜野座のことをポカポカと殴るが、それも全く効いていないのか、彼の笑いは止まらなかった。

***

 事件の犯人は征陸の読みどおり、金原という青年だったが、ドミネーターを使用して執行するのにはかなり骨が折れた。高火力レーザーを武器に迫ってくるドローン相手にデコンポーザーで対応しなければならなかったが、怪我人無しで無事に金原を確保できた。が、更なる謎が生まれた。犯人の金原は見知らぬ人物から受け取ったソフトウェアを使用して、今回の事件を起こしたが、そのソフトウェアが何処から流れてきたのかが不可解だった。宜野座が金原に尋問しても、怯えるだけでとくに有益な情報は話さず、真犯人を捕まえることは雲を掴むような話だった。それならば、ソフトウェアのほうに秘密が隠されているのではないかと唐之杜が必死にソフトウェアのソースを解読し、緻密に突き詰めた先にあった答えは『ハヤシノナカ』。言葉通りに辿るとドローン工場の周辺にある林の中だろう。兎に角手当たり次第やるしかないとドローンを派遣して、調べた先にあったものは―――…

「しっ死体!?」
「既に白骨になってだいぶ時間が経過したものだがな」

 宜野座の口から予想だにしない言葉が飛び出し、思わずナマエは寝転がっていたソファから転げ落ちる。呑気に欠伸をしながら、ぼんやりと電子書籍を読んでいた様子から一変。あわあわと冷や汗がじろりと垂れる。雑木林の中といえば、ナマエが先日軽い気持ちで話題に出した場所だ。

「わっ私、何も関係ないからね!」

 死体の場所を言い当てることが出来るのは、超能力者か犯人だけだ。可能性でいうと、後者のほうが当てはまるがナマエは全く覚えになかった。しかし、犯人はみんな最初に「覚えがない」と嘘をつく。言葉だけじゃ、潔白の身を証明できないと行動で示そうとするが、頭がこんがらかっているナマエに今、そんなことを出来る余裕なんてないし、もっと上手い言い草があればいいが、普段から言い回しや相手を説き伏せることが苦手なナマエの口からいきなり飛び出すはずがない。おろおろとしていると、宜野座は呆れた声を出した。


「焦らなくても関係ないのはわかっている」
「よかったー……」
「それにしても、まさに『花咲か爺」の犬だな。いい意味でも悪い意味でも」
「自分でもとんでもない勘の持ち主だと思うよ……それで、その白骨死体ってどうなってるの?」
「だいぶ損傷が激しくてすぐには分からないが、外部に依頼して身元をわっているところだ」
「時間が経ってるってことは、この前の事件とは関係なさそうだね」
「そうだな、今のところこれ以外に手がかりとなるものは上がっていない。しかも肝心のソフトウェアは既に調べつくしてそこから情報も上がってこない。金原も当てにならない……」
「じゃあ時にまかせるしかないのかな?」
「……あまりこのことに関して考えてると色相が濁りそうだ」
「濁っても私がキレイにしてあげる!」
「その自信はどこからくる……気分転換に散歩でもいくか」
「散歩?」
「ダイムとナマエのな」
「ちょっとそれ!」

 完全なる犬扱いにナマエは声を荒げるが、宜野座はダイムの首輪にリードをかけ、準備をし始めた。ダイムは散歩が嬉しいのか、宜野座の後をうきうきとした足取りで追いかける。目を平らにしていると、準備をすませた宜野座が玄関から声をかけた。


「置いてくぞ」
「もー!」

 ナマエは不満の声を上げながらも、その足音は幸せそうだった。

***

 一係に更なる事件が舞い降りてきた。持ち主が死んでいるアバターが平然とVR世界で存在していることだ。誰がそのアバターを乗っ取り、演じているのか。またもや難事件に頭を悩ませる一係だが、ナマエの関心はVR世界へと向いていた。

 悶々と事件のことを考える、とある夜だった。ベッドへと寝転がる二人。宜野座は電子書籍で最近入荷した本をさっと読んでおり、ナマエはというと、彼にくっついて一緒に電子書籍を読んでいたが、小難しい内容が彼女に理解できるはずがなく、まぶたをとろんと下げていた。眠たい目をしっかりと開きながらも、ナマエは宜野座にとある提案をしようと試みていた。


「色々と調べたいから、VR世界を体験してみたいだと?」
「あそこって情報の宝庫でしょ?だから」
「それなら唐之杜に頼めばいいことだろう」


 宜野座にばっさりと切られた。それもそのはずだ。宜野座は普段からVR世界に疎く、また興味がない。常守あたりに相談していればまだ話はすんなりと進みそうだが、そんなことしたら宜野座が拗ねることは明白なので、彼を口説き落とすしかなかった。


「志恩も今いろいろと手一杯だし、迷惑かけたくないし……」

 今、一係が取り扱っている事件はまさにVR世界がキーポイントだ。少しでも役に立ちたいと思う心が半分、VR世界で遊んでみたいという心が半分。見事に二分化されていた。シビュラの統制の世で生きるものなら、ほとんどの人が娯楽等様々な目的を持って利用しているのでそれほどまでに目を輝かせて期待するほどのものでもないが、縢や征陸から教えてもらったアナログの世界しか知らないナマエにとってVR世界は未知の他国へと旅行にいく感覚と変わらない。宜野座はちらっとナマエを見た。


「ネットへのアクセス権は認可されているのか?」
「監視官がOK出せばいいみたい」
「アカウントはどうするんだ」
「新しく……作る?」
「やっぱりダメだ」
「お願い!お願いお願い!」
「ダメなものはダメだ」
「一生のお願い!」
「こんなところで"一生"のお願いを使っていいのか?」
「それは……一生じゃなくて…違うかんじのお願いで!」
「ダメだ」
「ダメ?」
「ダメだ」
「ふんだ!」

 ナマエは宜野座から離れ、背を向けた。普段、宜野座がダメといえば素直に諦めるが、今日はいじけた。珍しいこともあるのだな、と彼は電子端末をナイトテーブルに置き、溜息をついた。

「拗ねることないだろ?」

 しかしナマエは相変わらず背を向けていた。宜野座は眼鏡を電子端末同様に置くと、背中を向けている彼女に近づき、腰に手をかけた。


「子供か…」
「ギノだってよく拗ねるじゃん」
「何だと?」
「ふーんだ」

 頬を膨らましているのがわかる。ナマエにVR世界を渡したら面倒くさいことになりそうだが、このまま許さずにいたら、本当にずっと拗ねたままで今度は常守あたりに縋りにいくだろう。もしかしたらナマエなりに考えた作戦かもしれないが、少しぐらいはいいだろう。


「わかった」
「えっ?ほんと?」

 瞬く間にナマエが振り返り、キラキラとした瞳で宜野座を見つめる。

「嘘だといったら?」
「そんな!」
「色々と制限するが、制限内でなら使用しても構わない」
「ありがとう、ギノ!」

 ちゅっと唇にキスをすると、宜野座はそういう作戦だったのかと許したことを後悔しかけたが、ナマエが本当に嬉しそうに目を細めているので、額に優しく口づけた。縢あたりが見たら、「いちゃいちゃしすぎてむかつく」と苦笑いしながらコメントするに違いない。


****

 宜野座の許しを得て、VR世界を体験するナマエ。ヴァーチャル・インターフェイスセットを家宝のように扱い、家に一人でいるときは大概VR世界に潜っていた。主にコミュフィールドに浸ることよりもゲームをやることに夢中だったが、とりわけ気に入っていたゲームは3Dアクションゲームだ。モンスターの吐息で震える空気が伝わってくるほど臨場感に溢れ、まるで本当に自分が戦っているかのような実感を抱かせる。痛覚はないはずだが、切れた肌がじりじり痛いと錯覚させるほどの出来をナマエは気に入っていた。基本はダンジョンに潜り、モンスターをやっつけるのが主な目的であるが、ランキング方式で1on1で戦うシステムも搭載されている。元々公安局でしっちゃかめっちゃかやっているナマエなので、このような類は非常に得意であり、強化された素材や神経を使用しているからこその反射神経がここでは他と一線を引く要素だった。

 見る見るうちに下位ランキングから上位ランキングへと駆け上り、公式サイトの掲示板では彼女の話題で一色だった。そんなある日、何時もどおりランキング上位の相手と1on1で戦っていたとき、決闘を申し込まれた。相手は自分と同様に一気に下位から上位へと登りつめたものだ。きっとかなりのやり手だ。気合を入れなおして、それを受ける。戦ってみてわかったことはランキングに見合う実力、いやそれ以上の実力を持っていた。たまにランキングは上位だがそれほど実力のないものなど、数だけでは強さはわからない。しかし、この相手は相応の力を持っている。かなり苦戦したが、延長した結果判定勝ちで勝利できたナマエは安心して一息ついた。知らずと頬には汗が垂れており、一度休憩するためディスプレイを外した。

 お茶を入れて、席へと戻ると便箋マークのアイコンが光っていた。

「あっメッセージだ」

 ディスプレイを付け、すぐさまそれを開くと、差し出し主は先ほど戦った相手のID。

『久しぶりに痺れる戦いが出来て、とても楽しかった』

 律儀にこうしてメッセージを送ってくれる相手も珍しい。わざわざメッセージを飛ばしてくれたのだから、一言ぐらいは返しておこうとすぐさま返事をした。


『こちらこそ』
『君はどうして闘う?』

 すぐに返ってきた。なかなか返答に困る内容だ。


『ゲームだから?』
『楽しいかい?』
『楽しいよ』

 不思議な相手だなーと頭の片隅で考えながらもカップに入っている紅茶を啜る。それから他愛のない話に移り、自然とお互いのことを話すようになった。相手も色々とVR世界の使用を制限されており、似たような境遇であることがわかった。

『僕も色々と制限されている身でね、君とは気が合いそうだ』
『でもこのぐらいで私は楽しいかな』
『囚われている、そう感じることは?』
『ないかな?今で満足してる!』
『あの戦いぶりを見ていると、とてもそうには見えないけれど』
『そう?』
『あぁ、戦っているときの君は非常に昂ぶっている』
『そうかな……?』
『色相浄化の言葉が跋扈するこの世界からしたら、非常に珍しい。僕はそんな君の瞳が好きだよ』
『ありがとう』

 好き、という言葉は宜野座ぐらいにしか言われたことがない。加えて彼は恥ずかしがり屋かなんだか知らないが、中々愛してるなど本音を出さない人なので、好きという言葉は久しかった。非常にこそばゆい想いを感じながら、宜野座が帰ってくるとのことで、そこでVR世界からログアウトした。

 それから戦うたびにその相手と出会い、他愛のないことを話す生活が続いた。最初の頃と比べてお互いに警戒心が段々と和らいでいったのか、まるで前から友達だったかのように会話は続いた。ある日、相手から予想外のオーダーが来た。

『直接君と会ってみたい』
「うーん……」

 さすがにこれにはナマエも頭を悩ませた。確かに顔を突き合わせて色々なことを話したいのは山々だが、ナマエの脳内には宜野座の姿。さすがにこのことを知ったら、カンカンに怒って、ディスプレイを没収する。それだけは避けたいと一度は断ったものの、彼は諦めず食いついてきた。

『君の家の近くの公園で、赤い薔薇を持って待つよ。来れなかったら来なくていい。君の用事もあるだろうからね』
「いやいやいや」

 ナマエはメッセージを読んだあと、ソファに寝転がって頭を抱えた。こんな自分のために貴重な一日を無駄にしないで欲しいといいたいところだが、本人は退く気はないらしくとうとう約束の日が来てしまった。勿論、行ってはだめだ!と朝から自分に言い聞かせていたが、夕方、悪魔が囁いたのか、ダイムの散歩のため公園の近くを通ったとき、少しだけを覗いてみようと、足を踏み入れてしまった。さすがにいないだろうと諦めながらも、もしものことを考えるとそれだけで緊張が止まらず、脈拍が胸から身体中へと響いていった。端から順々にベンチを確認し、ついに一番奥のベンチへと到着した。彼がいた。斜陽を浴びた白い髪がキラキラと輝き、僅かに俯くその表情は男性ながらも美しいとの印象を抱かせる。彼の手にある赤い薔薇は完全に彼をより魅力的にする道具にしか過ぎず、その美しさも夕日の光も全て彼の前に跪く。こんなに絵になる人物がいるのだな、と思いながら、どこか見たことのある姿だと記憶を辿る。廃棄区画で出会った、佐々山の持っていた写真にいた。

「槙島……?」

 俯いていた青年が顔を挙げ、にこりと微笑む。その微笑さえも天に祝福されているかのようだ。

「来てくれたね」

 青年はナマエの前へと行き、赤い薔薇を手渡す。

「ちなみに僕は槙島ではない、柴田さ」
「……えっ?あっ、えーっとごめんなさい。知り合いに似ていた気がして……」


 苦し紛れの嘘をついて、差し出された赤い薔薇を自然と受け取る。指に触れた瞬間、はっと気がつく。

「どうして私だってわかったんですか?」
「直感かな」
「えー……」
「もっと理論的な言葉を望んでいたとしたら、失望させてしまったね」
「いえ、そんなことなくて!」
「時間があったら少し話していかないか?ほんの少し。僕もすぐに帰らなくてはならないから」
「えっと……じゃあ少しなら」

 さすがに夕方まで待たせ、薔薇を受け取っておいてハイさよならは申し訳ないと感じた。ベンチに座り、ダイムは足元に伏せさせ、少し話をした。非常に彼の話は面白かった。彼の話術に見る見るうちに引き込まれていき、気がつけば自分から話を繋げていた。しかし、話が一番盛り上がったところで彼は帰ると切り出した。まだ話していたいと余韻を残すほどの楽しさだったので、これでお別れであることが名残惜しかった。しかしナマエも帰らなければならない。柴田は悶々としているナマエの心情を見抜いたのか、くすくすと笑った。


「話は一番盛り上がっているところで切るのが一番良い。もう一度僕に会いたくなっただろう?」

 否定できない。だけど、ここで否定しないと宜野座に申し訳ない。言葉を濁しているとさらに彼はナマエを看破してきた。

「恋人に申し訳ない?」
「……はっはい!」


 恋人がいることを言ったっけ?と頭の片隅に考えながら答えた。彼はナマエの持っている薔薇に視線を落とし、眉をハの字にした。

「そしたら、その薔薇は勘違いされそうだ」
「でもせっかく貰ったものなので……」
「一本の薔薇の意味を知っているかい?」
「えっと……何だろう……」
「君に一目惚れってことさ」

 さらっと甘いことを言ってのける彼にたじろいだ。この人の爪の垢を宜野座に飲ませてやりたいなんて微かに思ったけれど、宜野座の素直じゃないところはある意味魅力のうちに入る。端整という言葉が似合うほどの顔立ちをした彼にそんなことを言われ、赤面しないものはいないだろう。ナマエが言葉を詰まらせていると、柴田は彼女の手から薔薇を攫っていった。


「この赤い薔薇は君のものだ。恋人のためを思うなら捨ててしまうのが一番だろうけれど、どうせ捨てるのだったらこうしたほうが薔薇も喜ぶ」


 そういって彼は薔薇の茎を手折り、短くするとそれをナマエの髪へと添えた。真っ赤の薔薇が夕暮れの輝きの中でナマエの髪をより美しく映し出した。

「よく似合う」
「あの、その、なんていったらいいかわからないけど、兎に角薔薇ありがとうございました!」

 このままだったまた彼のペースに引き込まれる。ナマエはぺこりとお辞儀をすると、逃げるように去っていった。その後姿を青年は微笑みながら見つめていた。そして彼女の背が小さくなっていくにつれて、彼の仮面がはがれていき、本来あるべき笑みが現れた。


「確かに僕は一目惚れしたさ」


***

 持ち帰った薔薇を前にナマエは難しい顔をしてうーんうーんと唸っていた。一輪だけの赤い薔薇。宜野座が帰ってきたらなんていうだろうか。彼は勘が鋭い。恋愛には疎いが、監視官というエリートになれるぐらいだから、普通の人間よりは優れている。この赤い薔薇を前に彼は何を考えるだろうか。ナマエが知らなかった赤い薔薇の花言葉をきっと知っているだろう。絶対に出る、第一声目は「誰に貰った」に間違いない。ということは薔薇の存在を消さなければいけないが、こんな美しく、満開に咲く薔薇をゴミ箱に放り込むことは出来ない。


「ということは……食べるしかないのかな……」

 赤い薔薇を持って、ごくりと唾を呑む。花びらはいけそうだが、茎は苦そうだ。

「でも、押し花って手も……って押し花の作り方わからないよ!あーどうしよー!」

 ナマエは赤い薔薇を前に頭を抱えて悶絶する。考えはぐるぐると巡っていき、結局のところ、安直な言い訳で通すことにした。


***

「この薔薇はなんだ?」
「それね、拾ったの!地面に落ちててかわいそうだったからさ……」
「こんな長さで落ちているなんて珍しいな」

 ぎくっと肩を上げるナマエ。仕事帰りの宜野座にやはり突っ込まれた。貰ったではなく、拾ったということで通すことにしたが、宜野座の質問が一つ一つ尋問のようで、ナマエは心がどきまぎしていた。

「それはね、短くしてみて髪飾りにしてみたのー!ほら、きれいでしょ?ほらほら!」

 ナマエは冷や汗をたらしながら、薔薇を右耳の上へと添えた。わざとらしく褒めてといわんばかりに見せ付ける。きれいだとか、可愛いとか、砂糖を吐くような甘い言葉を素直に口に出せない宜野座にとって、この状況は息苦しいに違いない。そう踏んだナマエは何時もどおり照れて話を逸らしてくれ、と心の中で祈った。が、神は彼女を見放した。


「確かに……と……とととてもきれいだと思う……。薔薇もきれいだが、きっと別の花も似合うだろう。それにしてもこんなきれいな薔薇が落ちているなんて、どこで拾ったんだ?」
「えっ?えっと……ダイムの散歩中に……」
「ダイムの散歩ルートに落ちていたのか?近くにあった花屋か……いい花を育てる」

 宜野座がデバイスを起動させ、ダイムの散歩ルートから花屋を割り出そうとした。ナマエは寸でで手を伸ばして阻止する。

「花よりご飯にしよご飯!ほら、おなかすいたでしょ?ご飯にしよう!」

 無理やりご飯へと話を逸らせてなんとか薔薇から意識は離れたが、始終ナマエのハラハラは止まらなかった。


 薔薇を小さい小瓶に飾りながらも、なるべく視界に入らない場所に置き、今日も普段どおりの夜を送るつもりだった。宜野座はナマエがVR世界で何をしているのか気になり、ディスプレイを装着する。ナマエもアクションゲームしかしてなかったので、もしかしたらこれを機に宜野座もはまってくれるのではないかと淡い期待を胸に抱きながら横にいたが、今日は非常にタイミングが悪かった。宜野座がメッセージフォルダを開くと、会話のログが残っており、ナマエはしまった、と口に手を当てた。宜野座は淡々とそのログを読み、ディスプレイを外した。テーブルに置いていた眼鏡をかけると、心の篭もってない声で尋ねた。


「なんだこのログは」
「えーっとそれは今日戦った相手とのログで…」

 会おうといってきたときのログは知らないうちに消えていた。消したはずはないけれど、きれいさっぱりフォルダからなくなっていた。メッセージが消えた原因を考えるよりも、ナマエは別のことで頭がいっぱいだった。会う会わないの会話以外で別にやましい会話はしていないが、"他者と過度の接触はしない"の掟を破ってしまっているかもしれない。いやでも、日常会話だったら。とナマエはしどろもどろになりながら頭の片隅で色々と解決策を考える。


「こっこの相手すごく強かったんだ!きっと現実でも強いのかなー」
「僕ってことは男か」
「いやーそんなことないと思うよー」

 今日会ってきました。ちなみに男性です。なんて口が裂けてもいえない。嘘をつけず、いつも正直に話してしまうナマエでもこのときは本当のことを言ったら自分の命がないかもしれないと頑なに口を閉ざしていた。宜野座はしばらくナマエを睨みつけたのち、息をついた。

「没収だ」
「そんな殺生なー!お願いします……今いいところまでランキングが……」
「オレが没収といったら没収だ!」
「ごめんなさい!」

 散々泣きついたナマエだったが、結局宜野座の言うとおりヴァーチャル・インターフェイスセットは没収されてしまい、泣く泣くVR世界を諦めたナマエであった。







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