17


 かつてはハロウィンという祭りがあったらしい。10月31日になると、普段は仮装のかの字も見せないような人々が魔女になったり、ヴァンパイアになったりと好き勝手に楽しむ。今はそれほどまで名残は残っていないが、クリスマス同様商業的な利用はされている。そのハロウィンの日に仕事が休みであるナマエは同様に休みである縢の部屋に訪れ、オーブンの前でじっとタルトが焼きあがるのを待っていた。縢は洗い終えた食器を拭きながら、わき目でナマエを見つめた。


「そんなに睨みつけても出来る時間は変わらないって」
「なんか段々と焼きあがっていくのを見てると、楽しくて」

 ナマエはにこりと縢のほうへと向く。彼は呆れながらも笑みを浮かべて食器を片付ける。


「というか家にオーブンつけてもらったんじゃないの?わざわざオレのところ来る理由なんてないでしょ?」
「だって先生がいたほうが絶対失敗しないし」
「授業料は高いよぉ〜?身体で払ってもらおうかな」
「ギノの許可が取れたらいいよ」
「オレ殺されちゃうよ」


 鬼のような形相の宜野座はすぐに想像がついた。お互いに考えていることが同じなのか、笑みがこぼれる。待ちにまってパンプキンタルトが焼きあがり、縢が作ったかぼちゃのお菓子を摘みながら軽くお茶をしたあと家へと帰った。お気に入りの紅茶とティーカップを準備して、魔女の仮装のホロを纏う。ついでに犬用のホロもあり、ダイムはジャックランタンの被り物をした。黒いとんがり帽子を鏡の前で調節して、くるりと回れば、同色のサーキュラースカートはふわりと舞った。こっそり買った星型のステッキを準備すると、ちょうど良く日勤終わりの宜野座が帰ってきた。

「ただいま」
「おかえり、ギノ!」

 ダイムと共に玄関へと迎えにいく。宜野座はナマエの格好を見て、不可解の表情のまま固まる。


「なんだその格好は」
「ハッピーハロウィーン!」


 陽気な声と共に、星型のステッキで宜野座の鼻の先をぺちっと叩く。すると宜野座のスーツはドラキュラが着るような黒いマントへと変化し、次に彼女がステッキをくるっとまわすと内装ホロが一変した。レトロなランプの中には橙色の松明が灯り、いたるところに目の光ったジャックランタン、壁には墓場と城の黒いシルエットが浮かんでいた。

「バカか!」
「今日はハロウィンということで、いろいろしてみました〜!お菓子をくれないと悪戯するぞー」

 ワン!とタイミングよくダイムが吠えた。宜野座は一から突っ込むことを諦め、まずは靴を脱ぐことにした。スーツを着ているはずなのに、床にまでつくほど長いマントが視界に入り、ホロのはずなのに何時もより倍肩が重かった。一歩踏み出そうとした瞬間、

「ていっ!」

 ナマエは宜野座が歩もうとする前に足を出した。勿論、予期せぬナマエの足に宜野座は慌てて避け、その拍子に足が絡まり転びそうになるが、細身のわりに運動神経の良い宜野座は何とか体勢を保った。


「悪戯一つめ!」
「コイツ……!」
「ハロウィンだもん!」
「……フン、お菓子をくれないと悪戯すると言ったが、そういうお前はお菓子を用意しているのか?」


 どんな悪戯をしてやろうかと想像しながら、ナマエに詰め寄る。

「お菓子ならあるよ!」
「……は?」
「こっちきて!」

 宜野座の袖を引っ張って、ダイニングへと向かう。机には縢と作ったパンプキンタルトがあり、ダイムが机に手をかけて鼻をヒクヒクとさせていた。

「これは…」
「今日はハロウィンというお祭りらしいので、パンプキンタルトを作ってみたんだ!」
「なかなかおいしそうだな」
「失敗はしてないよー、縢が手伝ってくれたから」
「縢が……?オーブンなら最近買ってやっただろ?」
「天然素材のかぼちゃを使ってるから、失敗したらとんでもなくもったいない」
「へぇ……」

 宜野座はホロを解除して、スーツからラフな格好に着替えるとダイニングの椅子に座る。その瞬間、またドラキュラのマントが出てきた。仮装は必須らしい。ナマエは入れたての紅茶が入ったカップを置き、タルトを切り分けた。宜野座はじっとナマエの顔を何かいいたげに見つめている。


「どうしたの……?」
「いや…なんでもない」

 タイルを皿に盛り付け終わり、フォークで一口サイズに切り分けて口に含む。天然素材らしいかぼちゃの甘さが噛んだ瞬間に広がり、ナマエは我ながら美味しいと思わず頬に手を当てた。宜野座も美味しいのか、満足げな表情をしてタルトを食べていた。緩やかな、温かい時間の流れにナマエは心底心地よさを感じた。タルトのほとんどをナマエが完食し、にこにこと満足げにしているが、いつになったらハロウィンは終わるのだろうかと、宜野座は電子書籍を片手にソファでくつろぎながら考えていた。いつものストレスケアを意識した内装とはかけ離れた、派手でちかちかする壁紙、オブジェクト。今すぐにでも切りたい気持ちで満々だったが、彼の目の前には星型のステッキを振って、ダイムと遊ぶナマエの姿があった。ハロウィンなんて特別意識したことのない行事であるし、一日がカボチャ一色になるというぐらいしか印象にない祭りだ。しかしこうして愉快そうにしているナマエを見ていると、ハロウィンも悪くはないと宜野座の口元は緩む。

「ギノ、楽しい?」


 ダイムと遊んでいたナマエが宜野座の隣に座った。自分だけ遊びほうけていることに少々不安を感じたようだった。

「そろそろ内装だけでも戻したいな」
「わかった!」
「やけに素直だな」
「内装はもういいかなーって。それより仮装いいでしょ!」
「魔女か?」
「そう!本当はゾンビとかになって床這い蹲ってビックリさせようと思ったけど、縢にそれはやめといたほうがいいって言われたからやめた!というわけで……これにしました!色々と試してみたけど、これが一番いいと思ったんだ」
「それは賢明な判断だな……縢のその場にいたのか?」
「うん、タルト作ったついでに」

 へらへらとしているナマエと対照的に宜野座の表情は曇る。可愛らしい魔女の仮装を一番初めに見たのは縢で、彼はナマエのそのほかの仮装も見れた。ほんの些細なことだが、宜野座は悔しかった。ナマエの魔女姿を初めに見るのは自分であり、こんな可愛い姿、他の誰にも見せたくない。自分の腕の中だけで完結したい関係なのに、ナマエはふらふら蝶のようにすり抜けていく。言葉にすると馬鹿らしく思える嫉妬を心の奥底に隠し、代わりに「そうか」と一言だけ告げた。暴発する嫉妬は獣の姿をして平常心を食い荒らす。怒りと愛情が渦を巻いて混ざった感情。
 その晩、宜野座はナマエを抱いた。縢と狡噛が何かがあると、決まって夜はこうだ。いつもよりも激しく、愛情の全てを叩きつけてくる。誰よりも彼女を愛し独占したいがため、心の底に淀み、隠していた嫉妬心が彼女の肌に触れるとじわりと滲みでてきて、頭の中で他の男の前で笑顔を見せているところを想像すると目の前がかっと真っ赤に染まって、色相が濁っていく気がした。サプリメントやカウンセリングで幾らか解消できるが、一番の解決策はこうしてナマエを抱くことだった。快感と共に彼女が誰のものかを実感できて、心が安らいだ。


 柔らかい朝日が差し込み、ナマエは目を覚ました。仕事がなくても、自然と起きてしまう。宜野座はまだ隣で熟睡している。最近大きな事件があったせいか、疲れているようでほっぺをつついてみても夢の中。宜野座を見ているとこっちもまた眠りたくなったが、ナマエは眠気を堪えてベッドをそっと抜け出す。すると既に起きていたダイムが尻尾を振って出迎えてきた。何時どおりコーヒーを入れて身支度を済ます。さすがに毎日入れているせいか、コーヒーを入れることだけはプロになれるんじゃないかって思ったが、そのことを宜野座に言うと「機械が優秀なだけだ」と一蹴り。確かに機械のおかげかもしれない。ダイムが散歩に行きたくてうずうずしているせいか、ずっとナマエの後をついてくる。リードを見せると、興奮は最絶頂となり、わんわんと吠えた。宜野座を起こしかねないほどの吠え声だったので、急いで散歩の準備をして外に出る。淡い光としんとした空気に包まれる朝の散歩は新鮮だ。


「そういえば、もうすぐ新しい監視官の子が来るらしいよ、ダイム」


 ダイムに話しかけてもダイムは自分の散歩に夢中なのか、ナマエに興味を示さない。もしダイムが喋れるとしたら「へぇ〜」と目線をどっかに向けて言ってそうだ。それでも彼女はダイムに話しつづける。


「楽しみだね、これでやっとギノの負担も減るから、色相がどんどん良くなるかもね!」


 狡噛が潜在犯に堕ちてから、宜野座の色相は緩やかに悪化している。監視官が一人になって他の係からも応援を要請しなければならないことが多々ある。監視官はエリートでなかなか採用されない。そんな中、新しく監視官になる子が現れた。どうやら若い女の子らしい。


「早く会ってみたいねー、たくさん話して、仲良くなりたいね」


 ここでやっとダイムが目を合わせてわんと返事をした。ちょっとは人の話を聞いていてくれたようだ。


***


 闇夜に細い針のような雨が降る。廃棄区画の中をドミネーターを片手に駆け回る。今日は2係での任務だった。青柳監視官の指示の元、廃棄区画を逃げ回る潜在犯、悪質な手口でネット上に不適切な動画や画像を大量に流したものだ。珍しく足が速いタイプに加え、この廃棄区画をよく知っているらしく、迷路のようなこの区画をスイスイと進み、目を離したらすぐ様消えていなくなりそうだった。しかし、猟犬の嗅覚を甘くみてはいけない。強化された素材を使用しているナマエの足の速さは相手よりも上だ。着実に距離を縮め、確実に狙いを定められるところまで近づく。潜在犯は廃ビルの中へと逃げ込み、非常階段を上がっていく。ナマエもそれを追いかけ、脱兎のように駆け上がる。今日はやけに月光が眩しかった。街灯が一つもない、真っ暗闇の廃棄区画は珍しく、犯人を追いかけながらも頭上に浮かぶ月に目を奪われた。赤黒い月だった。怒りと憎しみが篭もった瞳で地球を見つめてる。その月光を浴びていると、なんだか不気味な気がして、今すぐにでも屋内に入りたかった。潜在犯がドアを蹴破ってとある個室に飛び込んだ。これで仕留められるとドミネーターを構えなおし、相手の続いて部屋に入る。後頭部に視線を感じた。月光と似ているようで、似ていない、こちらも奇妙なものだ。仲間か、と瞬時に背後に振り向くと、窓越しに見えた青年の姿。隣のビルの窓から目を細めてこちらを見つめる、白髪の青年。デジャブを感じる。彼は昔廃棄区画で出会った、あの青年かもしれない。記憶が脳みその中で電撃を放ったかように過去が鮮明に蘇ってくる。そちらに一瞬気が取られてしまった。脅威ではないことを咄嗟に判断し、慌てて潜在犯へと意識を集中すると、部屋の中で血走った目をむき出しにし、泣いているのか笑っているのか不可解な笑顔で、片手を掲げた潜在犯。握られていたのは携帯端末。彼の背後には嫌な黒い影があった。爆弾だ。ドミネーターで相手を捕らえると案の定300オーバー。エリミネーターモードに変わろうとするが、どうせ死ぬとわかっている人間の勇ましさは賞賛に値するものだ。狂気の笑みを浮かべた潜在犯は変化する銃よりも先に「死ねぇ!」との台詞と共に携帯端末のスイッチを入れた。

 エリミネーターモードに変わり、引き金を引いた瞬間と、相手がボタンを押したタイミングはほぼ一緒だった。ナマエの瞳には潜在犯の血と肉片が眩い赤炎の中に吸い込まれていく景色が写る。細かい金属片と龍のような火炎が部屋中を這ってこちらに向かってきた。きっと怪我だけじゃすまないと直感したナマエは少しでも軽くしようと身を翻して部屋の外に出ようとしたが、彼女の双眸には燃え盛る火炎の輝きが反射し、礫となった金属片が身体を貫いた。ゴーン、と頭の奥で鐘が鳴った。真っ暗な、何もない海の中にいるようだった。記憶の波が押し寄せてきて、彼女を飲み込む。それはやがて火炎へと変わり、意識の中に痛みを伴う熱さが雪崩れ込んできた。痛い。熱いという感覚はとっくの疾うに過ぎ去り、痛みしか感じなかった。意識はやがて痛みに負けて、気がついたときは身体の感覚はどこかに消えていた。兎に角暗い暗い闇の中で自分の手足、肌、内臓何もかもが霞みのように消えて、首から下は何もかもなくなっていた。そのうち瞳も消え去り、ナマエは呆然とされるがままになっていた。彼女は分かっていた。大怪我をしたので素体を交換している。身体のなにもかもが新品に入れ替わる。オリジナルの臓器など今はどこにあるかもわからない。それよりオリジナルの臓器が入っていた頃を知らない。人工まみれの自分。本当の私はどこにいるのだろう、と雲を掴むような思考を繰り返し、やがて身体はいつの間にか元通りになった。頭上には光が溢れ、眩いと目を瞑る。覚醒の時だ。

 はっと目を覚ますと、腕には点滴が打たれ、ベッドで寝ている自分がいた。肌は焼け焦げてはいない。どうやら機械化保健局が上手くやってくれたようだ。目だけを動かして辺りを見回すと、椅子に座って腕を組みながらこくりこくりと舟を漕ぐ宜野座の姿があった。ナマエはゆっくりと身体を起こそうとするが、まるで重い岩が乗っかっているかのように身体がだるい。新しく組み込まれた組織がまだ順応していないらしい。ナマエは顔を歪めながら何とか上半身だけでもと頑張っていると、転寝をしていた宜野座がハッと目を覚ました。病み上がりのくせに身体を動かそうとするナマエの肩を押し戻す。


「まだ寝ていろ」


 肩を押し戻され、ころんといとも簡単に身体はベッドへと沈む。ナマエは宜野座を見つめる。


「何日間ぐらい寝てた?」
「五日間だ。機械化保健局に運ばれるほどの怪我をするなんて、どういうことだ」
「ごめん…」
「いや、早い目覚めでよかった…」

 宜野座はナマエの手を握る。彼女の手の甲を指で擦るが、余り感覚が伝わってこなかった。宜野座もナマエがこんなに昏睡していたことは初めてだったので、いつ起きるのだろうかと気が気じゃなかった。安心したのか、ほっと息をつき、愛おしそうにナマエを見つめた。


「五日間ってことは、新しい監視官の子はもう入ったんだ!」
「あぁ、早速初日で狡噛のことを撃った」
「えぇ!?」
「色々とやらかしてくれたが、仕方がない。入って早々厄介な事件に当たったからな」
「コウちゃんのこと撃っちゃうって、きっと将来大物なるよ」
「変な意味で大物にはなって欲しくはないがな」
「意地悪しないでよ、ギノ」

 ナマエはギノの手を握りかえす。

「あと何日ぐらい寝たら大丈夫かな?」
「唐之杜によれば、あと一日か二日くらいらしい」
「じゃあ半日で大丈夫かな」
「おい」
「だって一人じゃ寂しいでしょ?」
「ダイムがか?」
「あっ照れてる」
「うるさい、早く治して帰って来い」
「ギノとダイムのために頑張るね」

 宜野座は仕事の後始末があるため、パイプ椅子から立ち上がり、ナマエに近づくと額に軽くキスをした。ナマエは至近距離で目を真ん丸にして宜野座の瞳を見つめる。もしかしたら志恩が見ているかもしれないこの場所でこんな大胆な行動に出るなんて初めてだ。


「珍しい!」
「今日だけは…特別だ」
「嬉しい、ありがとうギノ」

 にこっと笑うナマエを見つめていると、このごろ溜まっていた愛欲が足元から勢いよく込上げてきて、抱きしめたい欲求に狩られたが、それを頑なに握った拳と共に我慢し、病室を後にした。







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