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「色相が濁っていますね、この前まで話してくれていた女性と何かトラブルでも起きましたか?」
「いや……その、ちょっと別れがありまして」
「お辛いですね……失恋の傷の一番の良薬は時間です。今は胸が苦しいかもしれませんが、いつしか時が癒してくれます。また彼女との思い出を大事にするのも良いですが、新しい恋愛をすることも勧めますよ」


 カウンセラーに言われた新しい恋愛。色相が濁ったまま放っておきたくないため、宜野座は家に帰ると端末で相性の合う相手を探した。シビュラは偉大だ。自分の一番の女性を探し出し、細かい適正も出してくれる。シビュラの恩地を受けるものは失敗をすることをせずに様々なことを成功させることが出来る。いろいろな女性のプロフィールを見ていると、突如ショートメールが来た。相手はナマエだった。宜野座はすぐさま携帯端末を確認する。

『ナマエです。現場に着きました。これから仕事です』

 一番最初のメールが事務的報告か!と宜野座は携帯端末を強く握り締める。とはいえ、連絡がきたことに嬉しいことは変わりなく、どう返事をすればいいか悩んだ。こっちも事務的報告ををして……と書いていると、まるで報告書のような内容が出来上がる。恋愛に疎い宜野座もさすがにこれはダメだ、と一気に消去し、また悩む。

近くにダイムがいたので、ダイムのことについてつらつらと書く。しかし、ダイムの観察日記が出来上がってしまったので、メールに書くことではないと消去。携帯端末の画面と睨めっこしながら、書いては消して、を繰り返し、ようやく出来た文は『仕事でミスをしないよう気をつけろ』と素っ気無い文章だった。メールというものは送信したあとが一番悩み時かもしれない。いつ頃返事が来るのか、もしかして確認し忘れているんじゃないかと、何度も無意味に携帯端末を手にメールボックスを確認したが、その日、ナマエから返信がくることはなかった。


 ナマエから返事がこないことに悩みながらも数日後、勤務中に電話が着ていたので休憩時間の間にかけなおす。こいつ、メールをシカトしているな。頭の中でどういう風にねちねち言ってやろうかと考えているうちに電話が繋がった。


「ギノー!久しぶり!元気だった?色相濁ってない?」
「煩いやつがいなくなって、ダイムも清々しそうにしている」


 死んでも色相が濁って寂しいなんて言う気はなかった。加えて第一声が元気だっただと?連絡をよこさなかった謝罪がないことにイラっとしたが、耐える。耐えて耐えてそれでもなかったら嫌味の一ついってやろうと思った。


「そんなー……。ダイムに早く会いたいなー」
「公安局のほうに帰ってこれるのはいつ頃になるんだ?」
「言われたとおり、変な人が多くてね、まだまだかかるかもしれな」

 い、の音は爆音によってかき消された。宜野座は思わず眉を顰めて耳を離す。電話越しの相手にまでその衝撃の大きさを伝えるほどの爆発だった。ナマエは焦った様子で言った。


「ごめん、あとでかけなおす!」


 その言葉を最後に電話が切れ、あとでかけなおす、というわりに数日たっても電話はかかってこなかった。うんともすんとも言わない携帯端末に苛々がつもり、「かけてこないじゃないか!」と思いっきりベッドに投げつけてしまった。もちろん、この苛立ちは仕事にまで影響してくる。いつもよりピリピリしている宜野座に執行官の皆は触らぬ神に祟りなしと、一歩引いていた。その中で征陸だけは宜野座に声をかけていた。


「信じて待つことも恋の面白いところだと思うけどな」
「黙れ征陸」

 実の父親からのせっかくの忠告も一蹴りされたが、征陸は苦笑いしながらも彼のことを見守っていた。一方宜野座は征陸に指摘されたことを癪に障りながらも、彼の助言を心の裏側でしっかりと聞いており、ひたすら待っていた。それからやっとメールが来た。どうやら携帯端末が壊れていたそうだ。携帯端末が壊れるとは相当な戦いがあるのかと、夜に電話をかけると、今までの連絡してこなかったことが嘘だったかのように簡単に繋がった。


「おい、ナマエ。そっちは今どうなんだ?この前の爆発音といい、相当厳しいのか?」
「この前の爆発音は珍しかったけど、密入国者がそれなりの武器を持ってきててね、パワードスーツ着てなかったら危ないことが何回もあったよ。それにわたし、ドローンと同じなのかベッドもなくて倉庫で寝泊りしなくちゃいけなくて、食べ物もまっずいレーションだけ!柔らかいベッドと美味しいご飯が恋しいー……」
「結局のところはそこか」
「拗ねてる?勿論ギノも恋しいよ」


 ナマエはクスクスと笑った。宜野座の頬は彼女の一言によって意図も簡単に染まってしまう。こうして連絡が来ないことに苛々したり、どうしているのか気になるのは全て彼女が隣にいないのが悪いんだ。


「ならさっさと帰ってくればいいだろう」
「国境警備隊のドローンがいつになったらこっちに来るかわからないからなー……わたしの権限はやっぱり機械化保健局にあるから、国境警備隊のドローンが揃っても、帰宅を了承してくれなかったらなー……あっごめん!ギノ、ちょっと行ってくる!」

 どうやらなにやら指令が下ったらしく、電話はすぐに切れてしまった。ムードメーカーで、ある意味マスコットのようなナマエがいなくなって、1係は少し物足りない空気になっている。しかも彼女は持ち前の身体能力の高さから潜在犯の排除に貢献している。宜野座は名残惜しそうにしながらもすぐさま、端末で機械化保健局について調べた。機械化保健局にナマエが公安局に戻ってくるように申請できるのではないか。

 宜野座は全てを見透かしてくるような鋭い双眸の持ち主、禾生局長に申し出てみると、彼女はさほど興味がないのか、適当に相槌をしてあしらったが、何度も言ってくる宜野座に折れたのか、ナマエの必要性を説いた文章を持ってくるよう言った。元より文書作成の得意な宜野座は己の文章力を存分に活かし、数日間かけて緻密で巧妙な報告書を作りあげ、提出した。そうして、数ヵ月後、密入国者の減少、国境警備隊のドローンが新たに配置されたことによりナマエの一時帰宅が認められた。


 ナマエが帰ってくるということでマンションの前で待っているが、いつ帰ってくるか、会ったときどういう顔をして迎えればいいのか、わからない。会いたいのに逃げ出したい相容れない気持ちが心の中でごちゃ混ぜになっていた。横につれているダイムは利口に伏せて待っていて、飼い主のほうがおろおろとしている図は傍から見ると滑稽だった。いよいよ小さいダンボールを抱えたナマエが遠くから歩いてきて、宜野座とダイムの姿を見つけるな否や目を細め、はしゃいだ。ダイムも久しぶりに会えたことに嬉しいのか、尻尾を千切れんばかりに振って、今にも駆け出したい様子だった。ナマエもダイムとそっくりで、彼女のほうにはリードがついていないので、ダンボールを抱えて駆けていた。


「ギノ、ダイム、ただいまー!」


 嬉しくて仕方がないのか、ダイムがナマエに飛び掛り、ナマエはダンボールを地面に置いて、ダイムの頭を撫でた。あまりにナマエとダイムがいちゃいちゃしているので、自分の存在が忘れられているように錯覚し、耐え切れず、「ナマエ」と声に出してしまった。するとナマエは上目遣いで彼のことを見上げ、ニカっと笑った。その瞬間、宜野座はナマエの背中に腕を回していた。突然抱きつかれたことに驚いたのか、しばらくナマエは目を丸くして、僅かに頬を染めて固まっていたが、次第に緊張はほぐれ、自分の腕を宜野座の背中に回した。


「ただいま、ギノ」
「遅いぞ、ナマエ」


****





 部屋に上がって、荷物を床に置く。わたしの荷物は特に処分されることなく、以前と変わりなかった。良かったー、このチャンスを逃しはしない!って捨てられていたら、ショックで痛みに強いわたしでも寝込んじゃうかもしれない。いや絶対寝込む。


「久しぶりの我が家!いいねー!」

 そういって振り向こうとしたけれど、それよりも先に抱きすくめられる。今までこんな大胆な行動はしてきたことがなかったので、わたしは驚いて、「ギノ?」と彼のほうに顔を向けた。がすぐに唇をふさがれた。わたしの頭の中はパニックで、会う前に何か変なものでも食べたんじゃないかと兎に角ギノを離そうとしたが、片手で顎を固定され、されるがままのわたし。啄ばむように何度もキスされ、リップ音に身体が熱くなるのを感じた。ギノらしくない!と思ったとき、やっとギノの顔が離れた。今までにないほどの熱っぽい瞳で見つめられ、思わず息を呑む。


「どうしたの……?」
「オレも、どうしてこんなことしているのかわからない…」
「え?」
「ただ、猛烈に、その……お前に触りたくなって」


 そういって、またキスしてこようとしたのでわたしは急いで手で壁を作って、ギノの猛攻を遮る。


「ちょっと落ち着こう!ね?ほら、久しぶりにあったから……ね?」
「……」


 ギノは無言で見つめてきて、やがて力を緩めた。解放してくれた、と思った矢先、彼の腕はわたしの膝の裏に周り、いつの間にかお姫様抱っこをされていた。目を白黒としているうちにベッドがすぐそこまできて、下ろされる。起き上がろうとしたが、ギノが覆いかぶさってくる。え?え?国境警備隊にいったら色気が出ちゃった!?首筋にキスしながら、シャツの下に手を滑らせ、胸を触ってくる宜野座。国境警備隊にいる間、水浴びのようなことしかできなかった。やっぱりちゃんとやる前は風呂に入りたい。入らなきゃいけないような気がする!宜野座の腕を掴み、わたしは抗議した。


「待った!お風呂入りたい!やっぱりきれいな身体のほうがギノもいいでしょ?」
「確かに……でも、オレは気にしない……」

 ギノも自分で自分を止められないのか、わたしのことを上手にくるっとひっくり返すと、シャツを捲りあげて、背中にキスをしてきた。わたしはいよいよ本格的に焦り始める。上半身だけ捻って、ギノの身体を押しのける。


「止まってギノ!止まって、ストップストップ!ストーーーップ!」


 ダイムに待て!というように宜野座に大声で言うと、さすがに抑制心が効いてきたのか、ピタリとやめた。その代わり、少しショックそうな表情をしていた。わたしもしたいのは山々だけど、やっぱり風呂に入りたい。


「きれいになってからね」
「……わかった」


 そうしてお互い風呂に入って、準備完了。先にバスタオルを巻いて、ベッドで寝転がって携帯端末を弄っていると、ギノが出てきた。眼鏡は外していて、濡れた黒髪が艶やかで、わたしよりも色気があるんじゃないかって嫉妬してしまった。改めてベッドで寝転がって向かい合うわたしとギノ。ギノはちょっと先ほどよりも落ち着いたらしく、ここからどう進展してけばいいのか、と今更恥ずかしそうにしていた。


「なんか落ち着いちゃったね」
「さっきはどうかしていた」
「さっきみたいのもいつもと違う感じでよかったよ」
「自制心が効かないことは精神面的にもあまりいいものではない気がするな……」


 ギノがまた色相とか云々で暗くなりかけていたので、わたしは不意打ちでちゅっと軽くキスをした。すると、ギノは一瞬きょとんとしたが、すぐに優しく微笑んで、わたしの髪を耳にかけてそのまま手を頬へと滑らせる。優しく、そっと触ってくるのが擽ったくて、くすっとしてしまった。


「どうしよもなく愛しいんだ」
「うん」
「誰かにこんな気持ちを抱いたのは初めてで、自分でもどうしたらいいかよくわからない。お前を怒らせたり、悲しませたりすることもあると思う」
「うん」
「それでも傍にいて欲しい」
「うん、ずっと傍にいるよ。ギノが悲しくて落ち込んでるときも力になるし、もしも、もしも潜在犯に落ちたとしてもわたしは変わらずギノのことがずっと好きだよ。だから安心して」
「もしもでも不吉なことは言うな!」
「もしもだもん、もしも」


 そこから軽い気持ちでしたキスがだんだんとねっとりとしたものに変わって、ギノの大きい、ゴツゴツとした手がわたしの肌の上を這いずり回る。自分で触ってもなんとも感じないところでも、ギノが触ると途端に別物に変わる。無性にドキドキして、もっと撫で回して欲しいと思ってしまう。時折聞こえてくるリップ音に知らずと興奮して、段々と恥ずかしさが込上げてくるけど、心の底はもっと混じりたいとギノに縋ってしまう。でも裸になったギノを見て、改めて思った。


「ギノってやっぱり細いね」
「まぁ……デスクワークが最近多いからな」


 鎖骨に口づけていたギノが顔を上げる。わたしはギノの二の腕を撫でる。


「やっぱりコウちゃんとは違うんだね。コウちゃんがごっついだけ?」
「あいつと比べるのはやめろ」


 ギノは一瞬にして不機嫌になってしまった。ごめんごめんと軽く謝って、頭を撫でると子供扱いするなといじけてしまった。いつも一係を冷静沈着に纏めるギノでは見られない、子供っぽい表情。眼鏡を外している分、余計にそう見えるせいかもしれないけれど、それが可愛くて可愛くて、自然と顔がにやけてしまう。わたしの表情が癪に障ったのか、ギノはわたしの顔を両手で固定して、じっと瞳を見つめた。わたしよりも色気のある表情で口角を上げた。


「今日は覚悟しといたほうがいい」


 ギノに魅せられたわたしは彼の瞳の中に吸い込まれ、しばらくぼんやりとしていた。頭の中が麻痺して、もうギノのことしか考えられなくなって、今日はどうなってもいいやって思った。







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