09

 医務室から出た宜野座はやり残してある仕事を片付けるため、早足で大部屋へと向かう。その足並みはどこか荒い。彼は面目を潰されたと感じていた。幸い、あの場所でモロゾフカクテル等の取引は行われていないことが判明したが、不祥事を起こした事実はそれだけでは到底拭えない。

 ついこの前、彼は禾生局長にナマエの責任者になると申し出ていた。今までナマエが誤って破壊してしまったものや日常生活における損失、出動要請等、刑事課全体が担っていた。ナマエの命令や行使の権限は刑事課が主に握っていたが、宜野座が彼女の責任者になることでその権利が幾らか譲渡される。責任者になるメリットは他の監視官や公安局にある他の課よりもナマエに対する権限があることだが、実際のところ彼は権限の云々よりも彼女に一層近づくことに魅力を感じていた。お互いの立場や彼の自尊心からはっきりと出せない嫉妬心、独占欲がよく言えば穏便な形で現れた。


 しかしそれも今となっては後悔の元とも言える。今回の不祥事でおそらく、狡噛や宜野座よりも先輩に当たる霜村監視官からは監視不足だと白い目で見られ、禾生局長が落胆する表情も鮮明に脳裏に浮かぶ。宜野座は顔に泥を塗られたも同然のことをされた。責任者なのだから何かしらの不祥事は予想していたが、捜査中に酒に酔って倒れるなんて前代未聞。宜野座はストレスを少しでも軽減させるため、大部屋へ行く途中ドリンクサーバーにより、ストレスを緩和させる健康ドリンクを選ぶ。公安局のマスコットキャラがプリントされた缶を片手に近くにあったソファーに座り、気持ちを落ち着かせる。


「どうしてこうなった……」


 何もかも全てナマエに変に愛着が湧いてしまったせいだ。飼い主と犬、その言葉できっちり区切りを付けていればこんなことにはならなかったし、執行官と同様シビュラから容認されていない、逸脱したナマエにこれ以上自分の人生をしっちゃかめっちゃかされるのはごめんだとはっきりと思った。手作りのプレゼントや彼女の笑顔に癒され、虜になっていた過去の自分を殴りに行きたいと彼は力強く缶を握りしめた。


***


 ナマエと宜野座の仲はなかなか修復されなかった。義務的な会話以外することがなく、ナマエが他愛のない会話をしようと話しかけても彼はちっとも笑顔を浮かべず、冷めた瞳で早々に会話を切り上げていた。完全に嫌われていると身に染みて感じたナマエは幾度も宜野座の機嫌を取ろうとしたが、上手くいかない。

 二人の仲が不和のまま、反社会的コミュニティの掃討は大詰めに差し掛かった。六合塚弥生という北沢を中心に活動していたバンドマンの有力な情報を元に一係はイエローフッド、ツーセブンクラブに目を付けた。征陸、ナマエの二人はイエローフッド、残る佐々山はツーセブンクラブと班が別れた。イエローフッドに潜入した二人だったが、そこはホロアバターを着用をするイベントが行われており、ホロアバターをかぶるという概念がなかった征陸とナマエはかなり存在が浮いていた。イエローフッドはとくに変わった様子はなく、征陸が宜野座にデバイスで連絡する。浮いていることを伝えようとしたが、宜野座の舌打とともに回線が切られてしまった。征陸は苦笑いを浮かべた。



「あいつ、回線を切りやがったな」
「きっと忙しいんじゃないかな」

 ナマエもつられて苦笑いをする。


「おそらく、現れるとしたがツーセブンクラブだろうな」
「どうして?」
「こんなホロアバターをかぶっていないおっさんがいたら、誰だって不審に思うだろう。少しでも不安要素がある以上、ここで取引をしないほうが懸命だ」
「じゃあ、有る意味ホロアバターをかぶってなくてよかったかもね」
「かぶるのはマスコットのやつだけでいいさ」


 征陸は壁にもたれかかった。ここは壁際は比較的に静かでレーザービームも当たらない。客席を監視するにはいい場所だった。ナマエはドリンクカウンターが目に入った瞬間、先日の不祥事がフラッシュバックし、急いで目を逸らした。


「伸元と喧嘩しているそうだな」

 征陸はそういって、ナマエを見た。

「喧嘩っていうのかなー……一方的に嫌われてるっていったほうがいいかもしれない」
「若いうちはよくあることだ、いつしかアイツの機嫌も直るって」
「だいぶ失望させちゃったからな、態度が出会った頃に戻っちゃってさ。前みたいに話せるかどうか」
「少なくとも、伸元はお前のことを気に入っていたと思うぞ」
「本当?」
「ああ、一度0から1にすることができたなら、もう一度することだって不可能じゃないだろ?あいつがいつかまた心を開いてくれるって信じてれば、きっとそれに答えてくれるさ」
「そっか……ありがとう、とっつぁん!わたし、頑張ってみる!また信頼を取り戻してみせる!」
「おお、その意気だ」



 征陸のデバイスがなり、ツーセブンクラブで反社会的コミュニティが取引をしていたところをちょうど差し押さえたと連絡が入った。幸い、イエローフッドからツーセブンクラブまではそこまで離れていない。二人は合流するため、ツーセブンクラブを目指した。




***


 反社会的コミュニティの根本的壊滅は出来なかったものの、潜在犯を仕留めることはできた。宜野座はそのまま宿直だったので、その足で公安局に戻り、報告書の作成に取り掛かった。しかしツーセブンクラブでいろいろあったせいか、あのとき感じなかった疲れがどっと肩に落ちてきた。瞼が重く、頭がぼんやりとし始めた。

 宜野座は気を引き締めるため、眼鏡をはずして拭いた。少しでも眠気が覚めればと思ったが、レンズを綺麗にしても、デスクトップを見る視界はぼやけた。ナマエのこともあり、最近ストレスでいくらか寝付きが悪くなった。いろいろと気を使ってくるナマエにまた気を許しそうになったが、大事なのは線引き。この機会に飼い主と犬の境界線をはっきりさせるべきだと、心の奥底に秘めていた好意を抹消すべく冷たくあしらっていた。そうだ、全てあいつのせいなんだ。宜野座はもう一度眼鏡をはずし、眉間を指で押さえて瞼を閉じた。寝てはいけないと思っても、眠気は無慈悲に襲ってくる。そしていつしか彼はこくりこくりと舟を漕ぎ始めた。


 ちょうど彼がまどろみ始めた頃、ナマエが大部屋にやってきた。今日の昼頃、三係の執行官にお菓子を貰い、そのまま自分のデスクに置き忘れてしまったからだ。手作りで保存が利かないお菓子だったため、急いで取りに戻ったナマエは居眠りをしている宜野座に驚き、わっと声を上げそうになったが寸前でそれを飲み込む。忍び足で近づいてそっと顔を覗き込む。眼鏡をはずした彼の目元は征陸のものとやはりどこか似ていた。


 ナマエは宜野座が居眠りしていることを珍しく思い、しばらく寝顔に見惚れていた。いつしかはっとし、自分の椅子にかけてあったひざ掛けを手にとり、起こさないよう、肩にかけた。ナマエはよしっと内心ガッツポーズをして、自分のデスクにあった忘れ物を手に大部屋を後にした。





そして宜野座は転寝から目を覚ました。慌てて時間を確認するが、数十分しか経っていなかった。ほっと一安心したとき、肩に何かがかけられていることを感じ、色と形ですぐにナマエの膝掛けだとわかった。宜野座はその膝掛けを手に取り、しばらく考え込む。その後、「くそっ」と呟いた。せっかく忘れてかけていた恋心が隙をつくかのようにひょっこりと顔を出す。飼い主と犬なんだ、と何度も心の中で唱えるが、彼女の優しさを思い出すたびにせっかく気付いた牙城がぼろぼろと崩れ落ちてくる。


どこまで自分を苦しめる気なんだ、と宜野座は再び眉間に皺を寄せた。





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