八話


 夏はやっぱり祭り。江ちゃんのお母さんに浴衣の着付けをしてもらい、いざ祭りへ。祭りはとても楽しかった。イカを素手で捕まえる催しがあって、もちろん参戦。友達にイカがいるので、性格や動き、もちろん好みまで全て知っている。手に吸い付くようにイカを捕まえたわたしは見事に総合優勝し、イカクイーンとして名を残したが、今回の話の大事なポイントはそこではない。どこが大事なポイントなのかは追々気付くだろう。


 夏祭りも終わりかけた頃、イカクイーンの褒美として氷水とイカの入った発砲スチロールを抱え、ハルと一緒に帰路を歩いていた。何度もこけそうになったので、途中からはハルがイカ入り発砲スチロールを持ってくれた。ゆっくりと暗闇の中を歩く。街灯と月の光だけでも十分、道は見えたし、ハルの表情もよくわかった。最近になって、ハルの表情は前よりもよく変わるようになったような気がする。初めて会ったころは、無表情がデフォルトで眉の角度が変わるだけで鬼道哀楽を表していた。今は眉以外にもちきんと動いていた。今度ハルたちはリレーで大会に出るらしく、心なしか嬉しそうだった。けれどそれを言うと、途端に不機嫌そうに「別に」と言葉を吐き捨てるので、言わないでおいた。


「リレーの大会、応援しにいくね!わたしの声があればきっと他の選手がばったばったと倒れて、一位確定だ!」
「それじゃ意味がないだろ」
「みんなで泳いで楽しそうだなー……来年はハル、リレー以外でも出れるといいね。ううん、出れるか!うん、出れる出れる!」
「来年までいるのか」
「あっそーか……そうだよねー……」


 留学といっても、短期留学なので、そんなに長くいる計画ではない。来年はもう海に戻ってるかー、なんて頭の片隅で思っていると、ハルの声が聞こえてきた。


「祭り、まわり損ねたところあるだろ」
「ん?祭り?あぁ、たくさんあるよ!イカを捕まえるのに必死で全然回れなかったなー……屋台のものも食べたかったし。あーぁ、ショックだなー。ハル、作れるやつあったら作ってよー!料理上手いから何でも出来そう!」
「材料用意するのが面倒くさい」
「そこをなんとかお願いします!」
「来年もまた来ればいいだろう」
「来ていいの……?いやー来ても、きっと一人でまたイカクイーンとして名を残すだけとか、そういうことになりそうだしなー…だってハル、真琴とかがいないとこなさそうでしょー?うーん、ハルが一緒に来てくれたなら行こうかな!なーんていったら絶対来なさそう」
「行く」
「行く?」
「なんでもない」


 ハルはそのまま歩き続け、わたしは立ち止まる。ハルの耳は少しだけ赤い。それを見た瞬間、ズッキュンとわたしの心臓に何かが突き刺さった。鋭いものだ。カジキマグロの吻のようだ。どきどきと胸が高鳴って、体の芯が熱くなってくる。別に光ってるわけじゃないのに、ハルが輝いてみえた。こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。今まで味わったことのないほどの快感、イカクイーンになったときの喜びとは全然桁が違う。思わず駆け寄ってハルの背中に抱きつきたくなって、わたしは一歩踏み出した。


「ハル!」
「駄目ですぞ、海様」
「うああああ!」


 突如わたしとハルの間に現れた謎の影。わたしの臍ぐらいの大きさだった。人型をしている。月の光がきらりと当たる。亀の甲羅柄のシャツを着た、髭の長いおじいさん。厳ついその表情を見て、わたしは見事に思い出した。


「亀じじい!何でここにいるの!?ここ陸だよ?!なんで歩けてるの?!」
「亀の魔術を舐めてはなりませぬぞ。それより、海様、この男は?」


 亀じじいは手に持っていた杖の先をハルのほうへと向けた。ハルは未だに状況が飲み込めていないのか、頭の上にクエスチョンマークを浮かべて、亀じじいとわたしを交互に見ていた。ちなみにわたしも夢を見ているのかと思うほど、驚いていた。


「それはお世話になってる人だよ!それよりどうしてここにいるの?観光?」
「観光……笑止!」

 亀じじいはわたしへと杖の先を向ける。きらりと光って鋭く見えたので、わたしは生唾を飲み込む。


「何度も浅瀬で人魚に変身して、挙句の果てに人間の男に魔法を使うなど……おかげで、一部の週刊誌で記事が書かれてしまったのですぞ、海様!このスキャンダルにご主人様は大変お怒りで……わしにまで怒りが及ぶところじゃった……兎に角、今すぐ海に戻りますぞ!」
「えっいきなり?!海?!ちょっと待って、わたしハルのリレーの応援いかなくちゃいけないし、まだやることがあって、帰りたくないよ!」
「海様の意見など端から聞く気はございませんぞ。さあ、早く!」
「おい、これどういうことだ?」


 ハルは未だに状況がつかめないのか、眉をハの字にしている。一方、わたしは亀じじいに浴衣の袖を掴まれる。まだ帰りたくない。ハルと一緒にいたい。けれど、ここで帰らなかったら父さんにもっと怒られる。父さんは普段温厚で、プランクトンさえ大切にする心優しい人だが、怒るとめちゃめちゃ怖い。わたしは巾着に手を突っ込み、中にあった巻貝の貝殻をハルに投げた。



「ハル!ごめん、一旦帰るね!何かあったらそれに連絡して!」
「おい!」


 巻貝の貝殻は水の張った発砲スチロールの中にポトリと落ち、水がはねる。その瞬間、亀じじいが懐からなにやら黒い袋を出し、地面に投げつける。イカ墨煙幕だ。袋は破裂して、真っ黒な煙がわたしと亀じじいを包む。


 こうしてさよならも言えずに、わたしとハルは別れることになった。





   
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