七話


 何時もどおりの朝の日常がやってくる。寝坊したわたしは転がるように階段を下りて、毎日向かいに来る真琴と出会う。


「真琴おはよう!またハル起こしてくれなかった!」
「起こしたのに起きなかったお前が悪い」

 ハルは鯖を焼き終わったらしく、食べている。真琴はまあまあ、と宥めてくれた。わたしは急いで風呂場へと直行し、烏の行水のように水浴びをして、制服を着る。ところどころ濡れているが気にしない。鯖を食べているハルの隣に座り、わたしも鯖を食べる。髪の毛からは水が滴れる。

「真琴ー!助けてくれー!」
「はいはい」


 真琴はタオルを取ってきて、髪の毛の水気を取ってくれる。妹の扱いとわたしの扱いは似ているらしく、彼にとってはお茶の子さいさいである。ハルはわたしよりも早く鯖を食べ終わり、席を立つ。わたしは出来る限りハイスピードで鯖を食べるが、なかなか食べ終わらない。


「ハル!待ってよー!」
「お前は食べるのが遅い」


 ハルは残りの鯖を箸で摘むと、そのままわたしの口に突っ込んできた。わたしは口をフガフガさせながら、鯖を完食する。こうして朝の一幕は終了し、学校へと向かう。





 大会が始まる前、ハルは元気だった。けれど大会が始まり、ハルは凛と対決して敗れてから、少しだけ雰囲気が変わった。珍しく落ち込んでいて、でもそれを指摘されるのが嫌らしく、とにかく迷走していた。題名をつけるとしたら


「天才、初めての敗北を知る」
「は?」
「今のハルの題名」
「へぇー…」


 向かい側に座っている凛は視線を斜め下に向けて、ストローを吸って、コーヒーを飲む。とある休日、わたしは凛からデートのお誘いを受けて、隣町に来ていた。ここまで来るのに大変だったのに、凜はまだわたしを連れまわす気だったので、こうして休憩しているのだ。凛のストローは噛んだ後が残っており、わたしはぼんやりとそれを見つめる。



「ハルと凛って喧嘩してるの?」
「喧嘩じゃねーよ」
「前仲良かったらしいのに、なんか全然話さないじゃん」
「お前には関係ねえよ」
「関係ないってひどい!あんなに凛の本音を聞いてきて、相談に乗ってきてあげたのにー!」
「その割りに自分勝手いろいろと俺を振り回していた奴は誰だ」
「わたしかなー」

 そういうと、凛からのチョップが飛んでくる。結構な打撃だ。わたしはチョップされたところを撫でていると、凛が急に誰かを見つけたらしく、ガタっと音を立てて席を立った。


「やばい、クラスの奴らだ」
「えっ?クラスの奴ら?凛の友達ならわたしの友達だね、おーい!」
「馬鹿!見つかったら面倒だから行くぞ!」
「うわあ!いきなり引っ張ったら腕が抜ける!」

 わたしはそのまま凛に引っ張れるがまま、カフェテリアを後にした。夕方になって体力の限界がきたので、駅で別れ家へと帰宅するとハルがいて、居間で寝転がっていた。このごろのハルは風呂に入っているか寝転がっているかのどちらかだ。心ここにあらずといわんばかりの様子だ。わたしは寝転がっているハルの顔を覗き込む。



「ずっと寝てたの?」


 ハルは顔を横に向け、寝返りを打つ。話したくない様子だった。わたしはハルの頬を片手で挟むように掴む。不満そうな瞳をこっちに向けてくるハル。わたしはそんなハルが可愛く見えて、くすくすと笑ってしまった。



「ねえ、ハル。海に行こうよ。泳いで、すっきりしよ」
「海まで行くのに、体力持つのか」
「自転車自転車!ハル、行こうよ!わたし自転車ならどこにだって行けるよ!荷台だったらだけどね。行こうよー」
「……しょうがないな」


 ハルは起き上がって、玄関へと向かう。わたしたちは海へと向かった。


 夕暮れの海は人が疎らで、浅瀬でちらほらと遊んでいるのが数人。ハルは着ていたTシャツやズボンを脱いで、海へと潜る。わたしも後に続く。しばらくは波に身を任せて、ぷかぷか浮かぶ。人の目があるので、ヒレは出せないが、このままでも十分楽しめる。わたしは波に揺られながら、ハルに言う。


「ハルは泳ぐの好き?」
「水の中にいるのは好きだ。ただそれだけでいい」
「そっか」


 夕暮れは早い。瞬く間に橙色は水平線へと消えてしまう。砂浜で遊んでいた人はいなくなり、疲れもありわたしの足はヒレと化す。そろそろ暗闇が訪れるので、上がろうと浜辺に向かおうとするハルを呼び止める。


「夜の海の中、堪能してみたくない?」
「夜の海?」


 水の中にいるのが好きだったらきっと気に入るだろう。ハルに元気を出してもらいたかった。わたしはハルを海の中へと引き込む。ぶくぶくと空気の泡がわたしたちを包み込む。人魚には不思議な魔力がある。わたしはハルに顔を近づけ、軽く唇を重ねる。海の中で人魚とキスしたものはその恩恵を受けることが出来る。元々は「人間の男も海の住人にしちゃえばいいじゃん!」と願った海の魔女の一人が作った力で、加減によってはずっと海の住民にすることができる。今回は一瞬だけでよかったので、軽めに、そっと泡に触れるかのように優しくキスをした。もちろんハルは今までにみたことがないほど唖然としていた。空気が口から毀れ、水を飲んだのか、苦しそうにしたがそれもすぐに終わる。ハルは息が続くことに驚いていた。


 わたしはハルの手をとって、夜の海を案内する。今日は満月なので、月の光を浴びて、いろいろなものが輝いていた。わたしは海鈴蘭という、人間の世界でいうと懐中電灯の代わりになる花を手に海の中を進む。海の住民しかいけない、秘密の海がある。陸にある繁華街のように海の繁華街も賑やかだ。桃色珊瑚の看板に、人がまだ見つけていない沈没船をレストランの代わりにし、勤務が終わった魚たちが漁師たちの愚痴で盛り上がっている。紅梅色のタイが新婚ほやほやのイルカを祝っていた。ハルは言葉を発することも忘れて魅入っていた。

 十分に堪能し人魚の魔法が終わる頃、わたしは静かな浅瀬へといき、もっていた海鈴蘭の光をデコピンで散らす。海の中から空を見上げるようハルに言った。ハルはわたしの言うとおり、空を見上げると、小さく感嘆の声を漏らした。空に浮かぶ満月がふわふわと揺れる光に反射し、きらきらと光って見える。海鈴蘭の光は小波によって、淡いブルーやオレンジに色を変える。海の中で見える星空だ。何度も見ているが、いつ見ても息を呑む美しさだ。この夜空を異性と見ると、結ばれるという伝説があるが、わたしは結ばれた試しがなかった。

 じっくりと鑑賞としているうちに、魔法の力は終わり、わたしたちは陸へと上がった。帰り道、自転車を漕ぎ始める前、ハルはわたしに向かって言った。


「どうして、あの景色を見せた」
「最近、ハルの元気がないから!ハル、水の中好きでしょ?だからきっと喜ぶと思って!きれいだったー?」

 わたしはそういって、荷台に跨った。ハルは自転車を漕ぎ始める。風の音でハルの小声がよく聞き取れなかったが、「ありがとう」という言葉だけは聞こえた。





   
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