理解を手に入れる

 彼女の名前は朱なまえ。朱然の実の妹に当たる。性格ははっきり言って難有り。女性らしい温和さや包容力は皆無。むしろ男と肩を並べて生きてきたいと常日頃から思っており、彼女の原動力は出世欲。女性として出世したいという想いが非常に強く、世間からは変わり者や狂人とも呼ばれていた。そんな彼女の趣味は勉学に勤しむこと。兄の朱然と同等いや、それ以上に机にしがみつき、寝る暇も惜しんで勉強していた。「いえいえ、わたしなんてまだ貴殿に比べればそこらへんに生えている草のようですよ」と微笑を浮かべながら謙虚にいえればいいものの、小さい頃からろくな通り名を付けられてこなかった彼女はそのせいで偏屈者へと出来上がり、「貴殿はそんなこともわからないのですか?案外浅はかなのですね」と嘲笑と捻くれたことばかり言っていた。おかげで周りは敵だらけ。朱然に諌められても「敵の言うことを鵜呑みにする馬鹿はいますか?」と返すだけで全く聞く耳を持たない。


 才が認められ、女人として文官となったが周りからの評価は最悪。男女構わず柱の影から悪口を言われていた。それでも出世を妨げられなければ構わないと全く気に留めない図太さが唯一世間から褒められるところであった。そんな彼女に人生最大のライバルが現れる。その名前は陸伯言。なまえは毎回軍議や政略において彼に論破されてしまっていた。自尊心だけは塔のように高く固い彼女は非常に不愉快だった。いつでも爽やかな笑顔を浮かべて接してくるところ、自分のほうが優れているのに見え透いたお世辞をいってくること。なにもかもがなまえの気に障った。そして今日もぼろくそに論破された彼女は大木に鬱憤を晴らしていた。怨念の相手は勿論、陸遜である。


「にこやかで!好青年で!頭が良くて!あーー!!」
「大木相手に今日も憂さ晴らしかい?」
「誰かと思えば、凌統殿。そうですよ、今日も軍議でけちょんけちょんにされて、苛々してるんです。邪魔しないでください。このっ!この!」


 なまえは木刀で大木を滅多打ちにしたが、大木は痛くもかゆくもないと悠然と聳え立っていた。やがてなまえは段々と息を荒げ、木刀を地面に突き立てて膝をつけた。凌統は呆れた表情をした。


「気が済んだか?相変わらず体力がないな」
「私は文官です……しかも凌統殿のように逞しい身体つきではありません、なのでこうして力尽きるのも当然です」
「文官殿には碁がお似合いでしょう、早く打とうぜ」
「この間私に負けたからってしつこいですよ」


 なまえは息を整え立ち上がり、膝小僧についた埃を落とした。額をじわりと湿らす汗を袖で拭うと凌統へと向いていった。この二人はなまえが気まぐれで打った碁をきっかけに仲良くなったのだ。普通の女人とは一味違うところに凌統は興味心身だが、どうやら嫁にはしたくはないらしい。


「しょうがないですから、今日も相手をしてあげますよ」
「そうこなくちゃな、何だったら陸遜も呼ぶか」
「呼ばなくて結構です。あいつのことを呼んだらその瞬間帰ります」
「あーわかったから、呼ばないから早く行くぞ」







 白い月が濃紺の空に昇る。凌統の部屋で机の上に碁盤を置き、酒の入った杯を片手に二人は碁を嗜んだ。序の口は二人とも互角の勝負をしていたが、予想以上に酒が進んでしまった凌統は段々と酔いが回り、判断も鈍くなる。一方なまえは酒のせいで頭の回転が遅くなることをよく知っていたので、なるべく手を付けないようにしていた。結果はなまえの圧勝。凌統は顔を赤くして、なまえを睨みつける。


「おい、何でだよ。最初は互角だっただろ?」
「後半から一気に崩れましたね、凌統殿」
「あれだ、この勝負を負けたのは酒のせいだ。お前の杯は全然減ってないじゃないの。不公平だろ」
「調子に乗って浴びるように呑んだのが悪いんですよ、自己責任です」



 凌統はくそっと吐き捨てると、額を机に付け、あーだこーだと愚痴を零す。しかし全て猫がごろごろと鳴いているかのように聞こえた。ちょうど部屋の戸が二回ほど叩かれた。呂律の回らない口で凌統が「誰だー」と尋ねた。なまえは杯に手を伸ばし、酒を少しだけ味わっていた。美味な酒だと舌の上で転がす。部屋の外から声が聞こえてきた。


「私です。呂蒙殿から木簡を預かりまして、届けに参りました」


 なまえは口に含んでいた酒を思わず吐き出してしまった。現在、最も会いたくないと思っていた男の声が扉の外から聞こえてきたからだ。美酒が一気に悪酒へと変わり、舌が痺れる。驚きと拒絶が胃から一気に込上げてくるのを彼女は感じた。凌統は顔を顰める。


「おい、さすがにそれは汚いだろ」
「おや、なまえ殿もいらっしゃるのですか?」
「おお。ほら、陸遜も入ってこいよ」


 凌統は夕刻のときになまえが言ったことをすっかり忘れていた。べろべろになりながら手で宙を掻く。彼女は袖で口を拭く。冗談じゃない。どうして先ほどまで大木を滅多打ちにするほど苛ついていた相手を目の前に酒を呑まなければいけないんだ。陸遜の「では、お言葉に甘えて」という言葉と同時に席を立ち、踵を向けた。ちょうど木簡を抱え、部屋に入ってきた陸遜と対面する。彼はなまえの顔とその背後にある碁盤を見て、目を細めた。



「何やら楽しそうなことをしていますね」
「先ほど凌統殿の相手をしていたところです。では、私は失礼致します。二人きりのほうが話しやすいこともあるでしょう」



 なまえは視線を斜め下に向けてぶっきらぼうに吐き捨てた。陸遜の横を素通りしようとしたとき、酔っ払いの凌統が大声を上げる。

「逃げるのか!まだだ!もう一回!」
「酔っ払いを相手にしてもつまらないだけですよ」
「俺が相手しないとお前帰っちゃうだろ?」
「帰ります」
「なら、私が相手をしましょうか?」
「はあ?」


 なまえは顔を引きつらせて陸遜を見上げた。彼は相変わらず楽しげに微笑んでいた。その快活さになまえは舌打をしたくなったが、わざとらしく咳払いをして冷静さを取り戻した。



「無理に気を使わなくて結構です。今日の軍議といい、執務が嵩張りさぞかしお疲れでしょうから」
「いえ、純粋になまえ殿と碁を楽しみたいと思いまして」


 陸遜は好青年らしい爽やかな笑みを浮かべた。なまえは「そうですか」と口角を無理やり上げる。やはり目は全く笑っていなかった。一刻も早く去りたいと思ったが、ここで帰ればまるで尻尾を巻いて逃げているかのように感じた。数秒間、なまえは沈黙した。こいつと面と向かうは癪だ。けれど、もしかしたら碁では勝てるかもしれない。凌統殿のときと同じように酒の力を借りれば何とかなる。これはきっと神様が与えてくれた雪辱を果たす機会なのだろう。なまえは陸遜に向きかえり、挑戦的な笑みを浮かべた。



「その勝負、乗りました」
「それはよかった!」
「しかし木簡についてはいいんですか?」
「あれは凌統殿の酔いが醒めてからきちんと伝えます」


 陸遜はそういうと、凌統へと目配せした。肝心の彼は酔いつぶれており、机に突っ伏したまま眠っていた。陸遜は木簡を壁に立てかけると、凌統の体を起こして、腕を肩に回し寝台へと連れて行った。細そうに見えるが実は凌統に負けて劣らず彼の体は引き締まっており、なまえは自分の力、体力のなさを改めて実感し、なんとしてでも頭脳だけは勝たなければと心に嫉妬塗れの闘志を淀ませた。凌統を寝台へと寝かせ終えた陸遜は先ほどまで彼が座っていた椅子に腰掛ける。


「今日はなかなか美しい三日月ですね。なまえ殿はもう見ましたか?」
「いえ、まだ見ていません」


 なまえは先ほど座っていた椅子に腰掛ける。陸遜は空いている杯に酒を注ぎ、口を付けた。


「なまえ殿は月が似合うと思います。どこか神秘的で」
「冗談はほどほどに。どちらが先制にしますか?」



 陸遜の言葉を遮り、淡々とした様子でなまえは言った。どうやら彼女の頭の中には勝負のことしか頭にないらしい。他愛のない会話を楽しみたいと思った陸遜だったが、手に持っていた杯を置いて、碁盤へと向く。


「なまえ殿が先制でいいですよ」
「そうですか、ならお言葉に甘えて」


 なまえと陸遜の勝負はそうして始まった。序盤は互角、気を張り詰めながらなまえは一つひとつ慎重に進めた。一方陸遜は楽しげにしており、時々会話を弾ませようと話を振るが、彼の言葉はなまえの両耳を通り抜けるだけだった。再び沈黙が訪れる。中盤に差し掛かり、なまえは考え込みながら、陸遜の顔を盗み見た。彼は集中した面持ちをしていたが、なまえと目が合うと、やんわりと微笑む。なまえは腹が立った。こんなにも自分が本気を出して勝負しているのに、陸遜は笑うほど余裕がある。なまえは高ぶる気を落ち着かせようと、杯に手を伸ばした。しかしそれが敗因となる。思った以上に酒を飲んでしまい、頭が回らなくなり、結局なまえは陸遜にまた敗北した。なまえは項垂れ、下唇を噛んだ。また負けた、またこいつに負けてしまった。


「なかなかいい勝負でしたね」
「どこが……!ボロ負けじゃない!どこがいい勝負よ!」
「中盤、一旦危うくなりましたよ」
「どうせ中盤でしょ……中盤はよかったわよ……」


 なまえは杯に余った酒を一気飲みすると、杯を机へと叩きつけてそのまま机に突っ伏した。酒が全身の血液に一気に溶けていくのを感じた。座っているだけなのに頭の中がぐるぐると回る。ふいに兄の朱然が昔言った言葉を思い出した。「女らしいことが女が唯一男に勝てる箇所なのにお前はそれを捨てていいのか?」うるさい。なまえは脳裏に過ぎった兄の顔面を蹴飛ばし、けちょんけちょんにしたあと図星を付かれた悔しさに髪の毛を掻き毟る。


「勝てない……どうして勝てない……」
「今回は私の運が良かっただけですよ」
「そうやって私を慰める気なのね……でも負けは負けよ……」
「所詮は遊びですよ、そんなに気になさらず」


 所詮は遊び。なまえの頭にはその言葉が反芻する。遊びですら勝てないことに悔しさを噛み締める。しだいにその悔しさは自嘲へと代わり、なまえは静かに肩を震わせた。人一倍勉強して、そこらへんに務めている男たちよりは頭がいいと思っていたが、それは井戸の中の蛙だった。力も頭脳も器量も顔も中身も何もかも優れた天才とも言うべき存在を目の前にした改めてなまえは自分がいかに凡才であったかを面と向かって突きつけられた気がした。陸遜は杯を傾ける手を止め、彼女を見つめた。


「どうしたんですか?なまえ殿」
「私は頑張ったところで凡才なんですね」
「なまえ殿は凡才ではないですよ。女人ですが、人一倍優れた能力を持っていると思っています。今日の軍議だって、発想が豊かだと私は実感しましたよ」
「うるさい!!天才には凡才の気持ちなんてわからないんですよ!!この天才!!鬱陶しいわ!何が碁だ!!私はこの酒を飲みにきたんだ!!」


 水瓶に入った酒を杯に注ぎ、勢いよく飲み干す。その呑みっぷりには陸遜も感嘆の声を上げた。呑み終えたなまえの口からは僅かに酒が零れ落ちており、フラフラになりながら椅子の上に崩れ落ちる。陸遜は思わずくすっと微笑んでしまった。なまえはすわった目で彼を睨んだ。



「何笑ってるんですか」
「いえ、普段は大人びいているわりに負けず嫌いで時々童子のように熱くなるところが面白いと思いまして。もう少し自分に素直になられてはどうですか?私はなまえ殿のそのような部分、気に入っています」
「あんたは精神が成熟しすぎてるのよ!!いつも冷静で爽やかで!でも、意外と負けず嫌いですよね。もしかしたらわたし以上に。たぶん自覚していないと思いますけど」
「私が負けず嫌いですか?」
「人一倍心に闘志を燃やしているといいますかね、勝負なんてどうでもいいとか泥臭い戦いはよくないとか、お情けで勝ちを譲りましょうかとかほざきそうな面しときながら、負けるのがいやで、笑顔の下には容赦なく人をこき下ろす邪悪なものがかくれてるんですよ」
「それは確かに当たってるかもしれませんね」
「……え?」
「なまえ殿の才能や努力は認めています。本当に素晴らしいものだと思ってますし、抜かれてもしょうがないと感じますが、抜かれたくないというのが本音ですね。必ず自分が一枚上手でいたいという気持ちはどこかあります」
「私だってあんたに負け続けることは絶対嫌だからね!!次の勝負は必ず勝つ!!」
「なら、もう一度碁を打ちませんか?今度は負けたほうが罰を受けるということで」
「罰は?単純に勝ったほうの言うことを一回聞くとか?」
「それでいいですよ」
「絶対ほえ面かかせてやるわ」
「これは楽しみですね」







 賭けは勿論陸遜の勝ち。彼はなまえに七里ほど離れた農村への視察に同行するよう命令した。自分が馬術が下手糞だと知っていってるのかとなまえは心底憎たらしく思ったが、負けは負けだ。素直に従うしかない。後日、なまえは陸遜の視察について行った。着いてからはお互いにやるべきことを淡々とこなし、用事がない限り話すことなど何もなかった。道中の暇つぶし相手が欲しかったのかとなまえは推測したが、話し相手が必要ならば凌統殿のほうが話が弾むし、美人で有名な細君を遠出目的で連れてくればいいだろうと考えた。自分を連れてくる利点などどこにもないのだから。視察も無事に終わり、帰り道、不慣れな馬に乗っているなまえを気遣って陸遜は少し歩こうといった。手綱を引いてしばしば歩くが、心なしかなまえはせかせかと先を行く。陸遜が苦笑して言った。



「そんなに早足で歩いてはいつか転びますよ」
「別に転びませんよ。貴方の隣を歩いていて変な誤解はされたくありませんし、与えたくもありません」

 
 女官たちから人気者の陸遜の隣を歩いていて、噂にならないはずがない。美人で夫をたてる淑やかさを持つ、実に理想的な細君の悩み種にもなりたくない。しかも悪く言われることが多い自分の隣にいては迷惑を被るだろう。何事も独りでいることが気楽なのだ。なまえはずんずんと歩く。そしてこけた。とっさに手綱を握る手を緩めてしまったため、受身が取れず地面に顔から落ちる。陸遜は慌てて近寄り、「大丈夫ですか」と手をかした。なまえは手を借りず、自力で立ち上がる。



「貴方の手を借りずとも、一人で立てます」
「貴方なんて仰々しい。この前はあんた、とはっきりいっていたではないですか」
「あの時は大変失礼致しました。しかし残念ながら酒のせいで記憶にございません」


 なまえと陸遜は歩き出す。今度は隣で共に。どうやら陸遜がなまえの歩く速さに合わしているようだった。どうしてそこまで自分に構うのかわからず、彼女は訝しげに思っていた。ふと陸遜が何か思いついたかのように言った。



「普通に歩いていてはつまらないので、勝負、でもしましょうか」
「なら、孫子曰わく、兵とは国の大事なり。秀才の陸遜殿ならこの続きが簡単にわかるでしょうけどね」
「死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。懐かしいですね。では、一に曰わく道、二に曰わく天」
「三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法なり」
「天とは、陰陽・寒暑・時制なり、地とは?」
「遠近・険易・死生なり。基本ですよ」
「でしょうね。では碁でもしましょうか」
「碁?碁盤をお持ちではないでしょう?」
「頭の中に碁盤を作りましょう」



 それから二人は脳内で碁盤を作り、碁を始めた。お互いに置いた碁石の場所を覚えながら着々と進めていく。



「二の十六」
「そこはもう私の石が置いてありますよ」
「えっ?なら三の十五」
「そこも置いてますね」
「嘘だ……確かに……」



 ぐうの音も出ないとはまさにこの事だった。陸遜はなまえよりもはるかに碁盤を鳥瞰しており、彼女はまたもや劣等感を前に頭を抱える。結局それから手も足も出ず、またもや陸遜の圧勝だった。負けたことにどんよりとしていると陸遜が朗らかな笑顔を浮かべていった。


「なまえ殿は捻くれている割に素直な方ですね」
「陸遜殿は好青年のふりをして意地汚いところもお持ちですよね」
「先ほど、二の十六といいましたよね。あのとき、実はあそこには石は置いてありませんでした」
「はあ?!」
「私はなまえ殿に信じてもらっているということでしょうか?」
「今ので信用をなくしましたね。見事に」
「申し訳ない。ついからかってしまいたくなりまして」


 なまえは下から陸遜をジト目で睨みつけた。まるで玩具のように扱われている。不快だ。こいつを蹴落として出世したいのに、見事に掌の上で踊らされている。自分はなんて滑稽なんだ。愚か者だ。今まで散々他人を扱け下ろしてきた罰なのか。こんな惨めな想いをするのだったら、いっそのこと出会わなければよかった。記憶からこいつの存在を消したい。なまえはもしも自分の部屋で一人だったら、頭を抱えて壁に打ちつけ、悶絶したい気分だった。


「もうわたしに構わないでください。貴方から見たらわたしはさぞかし滑稽でしょうね。格下の相手を苛めて楽しいんですか?」
「楽しいだなんてとんでもない。私はただ貴方と親交を深めたいと思いまして。普段一人でいることの多いなまえ殿は何かと謎が多く、少しでも貴方のことが知りたいのですよ」
「いつも一人で悪かったですね。どうせわたしが謀反、裏切りを企んでいないかどうかの嗅ぎまわっているのもあるのでしょう」
「それもありますね。しかし、なまえ殿は他と共謀しているような素振りもないので安心ですね」
「もしももっと昇進できるのならば、わたしは他の勢力に移ることも考えていますよ」
「そうなったときは敵同士ですかね」

 陸遜はさほど気にも留めてない。本当に敵同士になったとしたら、彼は容赦なくなまえを切り捨てるだろう。呉のためなら好青年の笑顔を冷酷な鬼の顔へと変えるに違いない。


「貴方はいつも誰にでも敵対心を抱いていますが、もう少し物事を軽く捉えてみてはどうですか?」
「わたしがいままでどんな風に言われてきたかご存じないようですね。朱一族の狂人と隣人から言われ続けていたわたしの心情ぐらい、陸遜殿なら簡単に察することが出来るでしょう」
「なかなか堪える通り名を付けられていましたね。人を不信に思う気持ちは大きくなっていくのは確かでしょうが、友人と呼べる存在を作るのもいいと思いますよ。例えば、凌統殿と話している顔はいくらか穏やかに見えます」


 なまえが凌統と会っているときと言えば、大木に向かって苛々を発散させていたり、密かに壺を割っていたりと、とても穏やかな心情であるとは言い難い。何より凌統と話しているところを陸遜に見られていたことに驚いた。この男は他人を陥れるための術を日頃から人間観察をして探しているのかとなまえは眉間に皺を寄せる。陸遜は相変わらずの笑顔だった。この笑顔だけ見れば穢れのない生娘のような清らかさを感じ、女であれば誰でも惚れるような魅力を纏っていた。女としての社会的な括りからは外れているが、生物としては女であるなまえも例外ではない。一瞬見惚れてしまったが、すぐに理性を正すために近くにあった木を殴る。勿論、木はびくともせず指の骨が砕けたような痛さを感じた。その痛みがなまえの頭を現実に戻す。



「友人などいなくても結構。契りを結んでも人の心は汚れています。肉親ですら簡単に裏切る者がいる中、友人なんてそんな絆の希薄な存在を作っても損を被るだけじゃないですか?」
「貴方はどこまでも捻くれていますね。噂どおり根性が見事にひん曲がっていて逆にわたしはその個性が面白いと感じます」
「じゃあこの話はさっさと終わりにして早く城下へと戻りましょう。大層偉い役職についていらっしゃる陸遜殿に暇なんてあったら、孫呉は立ち回れません」


 なまえは馬を引いて早足で牽制する。陸遜は慌てて声を上げた。


「私の言いたかったことを端的に伝えようと思ったのですが、気分を損ねてしまったのならすみません。ただ、わたしは貴方の友達になりたいと言いたかったのです」
「友達?」



 陸遜の口から飛び出した奇妙で不可解なフレーズになまえは思わず顔を顰め、振り向いた。するとそこには相変わらずの爽やかな微笑みを浮かべた陸遜が真っ直ぐ彼女を見つめていた。



「友達になってくれませんか、なまえ殿」



 その後、何だかんだなまえと陸遜の間では親交が続き、いい雰囲気になったときもあったが、細君がいる男の妾の意味、つまり二番目の女にはなりたくないとなまえの頑固な性格が炸裂し、結局彼女は自分の野望のために呉を裏切り蜀へと移ったのはまた別の話である。






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