勿忘草

 なまえは何ともいえない心境で歩いていた。物心付かないころ、両親が離婚し、母親についていったなまえだが、最近になってその母に再婚の話がでてきた。
 久しぶりの恋に幸せそうな母を見ていると、祝うしか選択肢がなく、加えて義父となる男の人は明るくて、優しい、イケメンという理想の男性を固まりにしたステータスで非難する箇所が全くない。
 何も問題がないように見えるが、なまえが頭を抱えているのは、義兄となる二人の青年のことだった。今日の夜、顔合わせということでお高い料亭に連れて行かれることになるが、なまえはその時間まで丘の上のある公園にいようと決めていた。
 二人は共に大学生らしいが、いっそのこと年が離れていれば気にすることなんてなかった。なまえはまだ高校生で、年の近い男性と一緒に住む、ということは予想以上にストレスだった。
 ジャングルに放りだされても、獣や原住民に溶け込めるほどずぼらでコミュニケーション能力に長けていれば、こんなこと気にするのうちに入らないかもしれないが、一つの人間関係だけでもくよくよと悩んでしまうなまえにとっては縄で身を締め付けられる気分だった。

 日差しが柔らかい春が近づいてきたけれど、夕方はまだ肌寒い。坂を上っている途中、空を見上げれば今日は満月だった。満月の日は犯罪が多くなる、とどこかで聞いたことがあったと頭の片隅に思い出し、変な人はいないかと辺りをきょろきょろしながら歩いた。
 苦労して坂を上りきり、公園に到着した。息が少し乱れてはいるが、足しげくここには通っているため、最近は以前よりも体力がついた。
 なまえがここを気に入っている理由は、公園だけれどベンチがひとつしかない小さな場所で知る人ぞ知る隠れ家のような静けさがあるからだ。
 それともう一つ、公園の片隅にある桜がそれはそれはとても立派できれいだったからだ。
 満開になると、地面に桜の絨毯ができるぐらい、ちらちらと花びらが舞い散ってくる。ここにくると、頭が冴えて、辛いことや悲しいことがあっても、すっきりとした心地になれた。
 なまえが桜の木の下へと足を進めると、先に誰か人がいた。なまえよりも少し年齢は上、白いジャケットと生成色の髪の毛、端正な横顔に、モデルのようなシルエット。琥珀色の瞳は桜と月を写しており、なまえはきれいと息を呑んだ。
 動くことが出来ず、じっと固まって見惚れていると、なまえの熱い視線に気がついたのか、その青年は彼女へと瞳の行き先を移した。
 一瞬目を見開き呆然としていたが、すぐに優しい笑みを浮かべなまえの元へと歩み寄った。
 なまえはどんどんと近づいてくる青年にあたふたとし、もしかしたら変な人かもしれないと、一歩退いたが、それよりも先に青年はなまえの手を捕まえた。そしてぎゅっと勢いよく抱きしめていった。

 「おかえり、なまえ。僕と結婚しよう」
 


 なまえと髭切の出会いは今でも家族の中で伝説といわれるほど語り継がれていた。
 なまえからは「本当に変態かと思った」と気味悪がれ、膝丸からは「気が狂ったのかと思った」と心配された。しかし肝心の髭切はちっとも気にしていない。それどころか、「早く結婚しよう、絶対なまえは白いドレスが似合う」とてきぱきと家事をするなまえの背中に将来の妻としての姿を重ねて満足そうにしていた。
 ちなみになまえはまだ結婚するとも答えていないし、付き合うとも言っていない。「冗談はやめて、兄さん」というと、眉を顰めて「兄さんは駄目だ、髭切って呼んでくれないと将来困るだろう」と全く人の話を聞いていない。
 そんな二人の様子を横目に見て、膝丸はなまえと出会うまでの髭切を思い出す。何事も淡々と上手にこなし、人当たりもよく、けれどどこか他人と壁を作り、掴めない人物だったが、なまえと出会ったときからとても幸せそうに笑うことが多くなった。
 この世の誰よりも溺愛して、一生離れないとなまえのことに関しては人一倍真剣になる。人間らしくなったといえば聞こえはいいが、如何せん溺愛すぎるのがなまえと髭切の喧嘩の原因だった。

 「髭切兄さん、もう高校まで送り迎えとか来なくていいから」
 「だって、なまえに変な男がついていないか心配だし」
 「稼いだバイト代で私の服とかそういうの勝手に買ってこなくていいから」
 「ついつい、なまえに似合うと思ったものは買っちゃうんだよね〜」
 「友達と遊ぶ先についてこなくていいから!」
 「もし変な奴がナンパしてきたら、大変だろう?それに友達は僕のことを気に入ってるみたいだし、いいじゃないか」
 「もう知らない、もう口きかない」

 最終的になまえがぶちきれて、部屋の中に篭もることがほとんどだった。髭切はなまえに許してほしいけれど、要求は譲れないらしく、仲直りには時間がかかっていた。

 ある日のことだった。授業が終わり、部活に参加するため、茶道部の部室へと向かおうとしたとき、廊下で歌仙とばったり出くわした。彼とは同じ部活なので、自然と歩幅は一緒になり、何時もどおり他愛のない話をした。
 といっても、なまえの口から出るのは髭切への愚痴だった。

 「私のお兄さん、過保護というか、なんというか、ちょっと異常なような気がする」
 「確かに話に聞く限りは、すごい愛されているね」
 「人事だと思うけど、ほんと大変なんだって…」
 「それなら、こういうのはどうだい」

 歌仙はなまえにとある作戦を吹き込み、彼女も内容を聞いて乗り気になったのか、部活が終わったあと、いざ実行とのことになった。

 日が暮れた頃、部活を終えたなまえが帰宅するのを待っていた髭切。迎えにいこうと思っていたが、膝丸から今はそれだけはやめておけと説得されたので、大人しくしていた。
 ただいま、と声がしたと同時にドアが開く。一目散に玄関へといって、なまえを迎えた髭切だが、その隣にいる歌仙の姿を己の眼にいれた瞬間、能面のような顔になった。しかし、表面を取り繕うことだけは詐欺師のように上手なのですぐにきれいな作り笑みを浮かべた。

 「やあ、歌仙君じゃないか。なまえに何か用かい?」
 「髭切兄さん、私付き合うことにしたの」
 
 なまえがぎゅっと歌仙の手を握った。歌仙は彼女と目を合わせ、穏やかな笑みを浮かべた。髭切は文字通り、人形のように笑みを浮かべたまま固まり、しんと静まり返った時が淡々と過ぎていった。そして、踵を返し、居間へ行く。
 奥から物騒な物音と膝丸の必死の嘆願が響いてきた。

 「兄者!落ち着いてくれ!さすがにそれを持っていっては……!」
 「源氏の重宝を使うときが来たようだね」
 「それは父上から触るなと言われていたぞ!」
 「大丈夫、これ元々僕だからさ」
 「駄目だ、止められない。歌仙!逃げてくれ!」
 
 膝丸の制止を振り切り、奥から出てきた髭切の手には代々伝わるといわれる家宝の刀が握られており、背筋が凍るような腹黒い笑みは今にも抜刀しそうな雰囲気を出していた。

 なまえは慌てて歌仙を家の外へと放り、玄関で盾となるべく手を広げた。

 「兄さん、落ち着いて!何も斬ることはないでしょう!」
 「歌仙は一番最初に来たからって、近侍とかに任命されることが多くてさ、しかも僕が見ていることを知っていて一緒に手紙書いてるし、馬当番如きでなまえに対して不満抱いちゃってたりしてさ、ちょっと気に食わないところがあったんだよね。なまえの後輩の長谷部もそうだよ、女性が一人で夜道は危ないとか言って送ってくること多いけど、あれほど下心が見え見えなのはないね」
 「落ち着いて、何をいってるかよくわからない」
 「大体、僕はなまえが望めば犬にだってなるし、綺麗なものいっぱい買ってあげるし、一緒に死のうってもんなら喜んで心中してあげられるのに、そんな度胸もないやつがなまえの恋人だなんて僕はちょっと許せないよね」
 「実は!あの、恋人ってのは嘘で、少し実験してみたかったというか!」

 その言葉にピタリと髭切の身体は止まる。しばらくお互いの目を見つめあう二人。

 「嘘?」
 「うん、ちょっとした冗談」

 冗談という言葉に花が咲いたように朗らかに微笑んだ髭切はそのままがばっとなまえを抱きしめた。

 「やっぱりそうだよね、よかったよかった」
 
 彼氏が出来ても絶対に紹介できない、となまえは密かに冷や汗を垂らしながら固まっていたが、外で放ったらかしの歌仙のことを思い出して、腕の中から抜け出すと髭切がとやかく言い出す前に扉を開けて外へと出た。
 歌仙は扉の近くに立っており、苦笑いしながら額に手を当てた。

 「やれやれ、雅じゃないね」
 「巻き込んでごめんなさい」
 「いやいいよ、君のお兄さんは本当に君のことが大好きなんだね」
 「いや、大好きというか……」
 「そうさ、大好きさ。さあ、なまえ。風邪を引いたらいけないから家に入りなよ」
 「ほんと黙ってて」

 扉から顔をひょっこり出して、一言付け加えてきた髭切になまえの鬱憤は溜まっていった。何度怒られても、へこたれない髭切を見て、弟である膝丸は自分の兄をある意味尊敬し、呆れたのであった。

 そのあと、なまえはご飯を食べているときも自室にいるときもお風呂に入ろうとするときもずっと眉を顰めていた。髭切が「歌仙君とは本当に何もないのかい?」「誰かと付き合うとかのときは絶対に報告してよね」と騒音ともいえるほど口うるさくなまえに尋ねていたからだ。どうせ付き合ったなんていったら絶対に彼氏を闇討ちするだろうとなまえは温かいミルクが入ったカップに両手を添えて考えた。これからどうしたものか、とこくりと一口飲む。居間のソファーに座り、だらだらとテレビを見ていると疲れがどっと肩に落ちてきた。寝るなら自室で、と身体を起こそうとしたが抗えず段々と瞼が落ち、心地よい微睡に溶けていった。
 
 寝息を立ててソファーで寝ているなまえをちょうど風呂上りの髭切が見つけ、起こさないようそっと近づく。柔らかい頬に指を這わしたくなるが、そんなことをしては数日なまえと口がきけなくなると髭切は何とか自重しようとした。けれどそれでも彼女が愛しいという気持ちが抑えきれず、そっと頭をなでた。

 「君の本当の願い、僕は覚えてるよ」
 
 その言葉は夢の中のなまえにはきっと届かないだろう。けれど髭切は幸せそうに彼女のことを見つめ続けていた。





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