――帰っていく後ろ姿を、抱き締めたい、と思ったとき。


 その衝動は多分、それまでにも何度となく胸を掠めたもので、けれどひどくあやふやで柔らかく、手を伸ばすころには消えていた。だから正体を掴むまでに至らず、見過ごしてきた。
「ご馳走さまでした」
 カウンター席でふわ、と笑顔を浮かべて、空っぽの皿を前に彼女が一瞬、目を伏せる。それがオレたちの間にある、今日という日の繋がりの終わりだった。
「ちゃんと食ったか?」
「うん、お腹いっぱい。いつもありがとう」
「はは、なに礼なんて言ってんだよ。それはオレが言うことだろ?」
 いつもありがとう。改まって言うとミノリは頷いて、美味しかったと立ち上がる。夕暮れ、空の橙が紺に変わるころ、一日の仕事の終わりに早めの夕食を食べに寄る時間が彼女とオレの接する時間だ。
 レストランはちょうど、混雑を迎える一足前の時間帯である。客は少なく、自然と口を利くことも多くなった。長い胡桃色の髪を跳ね上げて、ドアへ向かう彼女を見送りに出る。窓から射すしなやかな残照が、その背を照らしたとき、ふと胸が騒いだ。
「それじゃ、また――レーガくん?」
 あの曖昧な感触がまた、陽炎のように立ち昇る。胸を覆う陽炎が邪魔で、ほんの一瞬、またなと返すのが遅くなった。
 そのときに、振り返った彼女を見て、やっと分かった。
「……ああ、うん。ははっ、そうだな」
「なに?」
「何でもないよ。また明日」
 どうやらオレはただいつも、彼女を引き留めたくて、もどかしかったらしい。
 首を傾げるミノリを見送りながら、気づいてしまった今となっては、妙にすっきりと納得して、さてと考えていた。明日から、どんな言葉をもってこの気持ちを明かしてゆこう。帰り去る背中に手を伸ばして、無性に、ここにいてほしい。その想いを。


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