神童、もしかすると、地球とは五分前に出来たものかもしれない! という説が存在するそうなんだ。
 俺達がこうして保持し続けている記憶も、感情も、思考回路も、昨日一緒に眺めた海がお前の心のように美しかったという意見すらも、全ては五分前に地球が誕生したその瞬間に植え付けられた設定という事になるらしい。
 例えば俺が、「神童」という言葉を発したとするのなら、正確に俺が音にしたのは「う」のみで、残りの「しんど」は、口にしていないにも関わらず発言をしたものとして俺とお前の過去に組み込まれるんだ。
 つまり、俺がこの説を利用して言いたいのは、経験や過去とは、決して蓄積されたものではなく、まるでお買得の惣菜のごとくパック詰めにされて脳味噌にぽんっと置かれてしまったものなんじゃあないかってこと。
 そうしてこの地球五分前説っていうのは、いつでも使える、便利な、現代の魔法みたいなものだ。
 だって、はい、地球は五分前に始まりました! というセリフは、いつだって使えるだろ? 同時に、いつだって、人類は、この説を否定できない。
 これがどの瞬間にでも通用するのならば、地球は、常に五分前に創られているってことになる。更に、世界は常に新しいということ。
 俺達は、日々、新世界に生きているんだ。
 そこでだ、神童、常に生きているという事は、常に世界が新しいという事は、常に消える世界が有って、常に死んでいる人がいるという風には捉えられないだろうか。
 今現在に至るまでも、現状は五分前に作られたという説に、幾重にも塗り潰されているんだ。
 だから、五分前までの、もういない俺が同じ気持ちだったかどうかは、分からないけれど、この感情が過去の積み重ねじゃあなくって、突然用意された記憶のもとに作られたものかもしれないけれど、立場だとか、性別だとか、色々なものに押し込められていたけれど、地球が常に変わるのだから、俺の行動だって、地球にとって不都合ならば、きっとまた新しくされるのだろう。
 それなら、もう、俺は、神童が好きだって気持ちを隠す必要も、捨てる道理だってないんだ。
 何も気にする事はない。
 俺達はいくらだって、前に進める。進みたい方向に、臨むだけ歩いていける。地球が書き変わるまで、好きなだけ、自由に生きて良いんだ。


2013/1/16



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